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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
最終章 モブはこうしてモブとなった

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第79話 月下の約束

 戦いが終わった後の校庭は、妙に静かだった。


 煌々と輝く月の下、影の残骸が黒い粒子となって空に消えていく。

 空気には、まだ激しい熱と魔力の残り香が漂っていた。


 オレは少し離れた場所から、カメラを下ろしたままその様子を見ていた。


 最初に動いたのは、真昼剛だった。

 彼は大剣を担ぎ直し、朔の方へ歩み寄るとぶっきらぼうに言った。


「少しはやるようだな」


 朔は肩をすくめただけだった。

 そこへ、東雲暁が自然に加わる。


「君のおかげで、被害が最小限で済んだ。感謝するよ」


 その隣で綺羅星キラが、楽しそうに手を叩いた。


「そうよそうよ! 朔くん、すっごくかっこよかったよっ」


 すると、朔は気まずそうにふいと顔を背けた。


「……フン、ワシにかかればこんなものじゃ」


 夕星律が、静かに頷いた。


「確かにね。僕たちの結界の展開が遅れていたら、もっと危うかった」


 そして暮小路慧が、眼鏡の奥の目を細めながら落ち着いた声で続けた。


「どうやら、影の魔物が朔の国の攻撃だとされていたのは、誤解のようです」


 朔が短く返した。


「最初からそう言っておるじゃろうが」

「まあまあ。ボクたち大人も、一度状況を整理しないとねぇ」


 宵坂千秋が、だるそうに白衣のポケットに手を突っ込みながら割り込んでくる。


 四人のヒーローと、朔。


 そしてアドバイザーのキラ。

 そして一人の頼りない教師。


 一夜にして人々を救った、学校の英雄たちだ。


 綺羅星キラはいつも通りだが、四人の空気が違っていた。 

 四人のスーパーヒーロー、男子生徒。

 男同士の尖っていた空気が、徐々に和らいでいくのが分かる。


 互いへの警戒心が、少しずつ溶けていく。


 やがて、カラフルな髪色の面々が、煌々と輝く月を背にして校舎の方へと歩き始めた。


 オレは遠巻きにそれを見ていた。


 ……状況は……最悪だ。


 オレが知っている、あの『常闇朔エンド』に向かって一直線に突き進んでいる。

 頭の中に浮かぶのは、あのイベントスチルだ。


 月詠と朔の結婚式。


 全員が心からの笑顔で二人を祝っている、完璧なハッピーエンドの光景。


 そして、その直後に訪れる世界の終わり——


 でも、さ。


 朔は、本当に良いやつなんだよな。


 アイツが本当に、世界を——


 その考えが完結する前に。


 頭が……、鋭く痛んだ。


 ◇


 校庭には、人の気配はほとんど残っていなかった。


 空の中央には、煌々と輝く満月が静かに浮かんでいる。


 季節外れの桜が、夜気の中でなおも花びらを散らせていた。


 風はほとんど吹いていない。


 それなのに、薄桃色の花吹雪だけが、ゆっくりと淑やかに舞い続けている。


 その静寂の世界に、守部弥彦は一人きりで立っていた。


 鋭い頭痛が、頭の奥を深く締めつけている。


 写真部のモブ生徒として、彼が首から下げているカメラ。


 魔導装備を握る指先には、もう力が入らなかった。


 カラフルな主要人物たちが揃う。


 そんな世界の中で、彼だけが現実的な茶の地味色髪をしている。


 そんな地味な男子高校生の瞳は、焦点を失ったようにただ虚空を漂っていた。


 そのとき。


 背後から、小さな声が届いた。


「ねぇ、守部くん」


 夜風に舞う花吹雪と一緒に、その透き通った声は流れてきた。


 学生服の男は、虚ろだった瞳をわずかに揺らす。


「守部くんは、未来が見えるんだよね」


 その言葉が耳に届いた瞬間だった。


 脳内を苛んでいた激しい痛みが、嘘のようにすっとやわらいでいく。


 彼は、導かれるようにゆっくりと振り返った。


 そこに、竹取月詠が立っていた。


 満月の光を背に受けて立つ彼女の立ち姿は、限りなく淡い。


 そして、息をのむほど美しかった。


 鮮やかなサファイアブルーの長い髪が、夜の空気の中でサラリと揺れている。


 その美しい髪に桜の花びらが幾つか舞い降りた。


 透き通るような白い肌の肩をすべり、制服の胸元へと滑り落ちていく。


 月に愛された少女の大きな瞳が、静かに少年を見つめていた。


 満月の色をそのまま宿したかのような金色の瞳。


 今は、迷いも恐れも一切存在しなかった。


 ただ真っ直ぐで、澄み切った光だけが宿っている。


「誰かに聞いている……とかじゃなくて、見えるんだよね」


 青髪の美少女の瞳が、ほんの少しだけ細められた。


 それは彼女が、自身の確信を確かめるような仕草だった。


 あるいは、長い間ずっと探し続けていた答え。


 ようやく辿り着いたかのような佇まいでもあった。


 公式記録係として学苑にいる、凡庸な青年。

 

 彼は握りしめていたカメラから、そっと手を離した。


 指先から、余計な力が抜け落ちていく。


 手放された機材が、胸の前で静かにゆらゆらと揺れた。


「うん」


 彼は真っ直ぐに向けられた視線を受け止め、小さく頷いた。


 ◇


 頷いた後、二人の間には深く、短い沈黙が落ちた。


 夜の冷たい空気に、微かな桜の香りが溶けている。


 透き通るような月光の下で、月詠が静かに瞳を上げた。


 満月の色をそのまま映し出したような金色の大きな瞳が、彼を真っ直ぐに射抜く。


「やっぱり見えてるんだね」


 弥彦は戸惑った。


 間違いなく、未来は知っている。


 だが──


 彼が見ているのは、六つのクリアルートが存在する、乙女ゲームの記憶としての未来だ。


「その……私はどんな顔……してる?」


 期待と不安が入り混じったような声で、月に愛された少女が問いかける。


 彼にとって、未来の光景は脳裏に焼き付いたイベントスチルそのものだった。


 そして、答えるのは容易いことだった。


 どのルートを辿ったとしても——彼女の結末は、鮮明に焼き付いているから。


「……月詠は幸せそうな顔してるよ」


 月詠の金色の瞳が、水面のようにわずかに揺れた。


「本当?」


「本当だよ。オレの知ってる月詠はどれも幸せな顔だ」


 月詠の顔に、ふわりと、はにかむような笑顔が浮かんだ。


 誰にでも平等に向ける優しさではなく、等身大の少女としての無防備な笑顔だった。


 少年は、その眩しい笑顔に胸を痛めた。


「えへ。なんか、ズルしてるみたい。恥ずかしくなっちゃうね……」


 月詠は、ただひたすらに美しい。


 けれど、彼女が幸せそうに微笑むその未来の光景の中に、自分自身の姿はどこにも存在しない。


 夜風が吹き抜けた。


 彼女の鮮やかなサファイアブルーの髪が、風に煽られて柔らかく靡く。


 薄桃色の桜の花びらが、二人の間を遮るように音もなく舞い散った。


 ふと、月詠の表情からあどけなさが消え、至って真面目なものへと変わる。


「ね。守部くんは……未来で、どんな顔してる?」


 少年は小さく息を吐き出すと、自嘲するように肩をすくめた。


「オレの知ってる未来に、オレはいないよ」


 イベントスチルに写らない。

 イベントスチルのどこにも守部弥彦はいない。


 その言葉を聞いた月詠は、痛みを堪えるように小さく息を吸った。


「そ……っか。守部くんは記憶を失う……って決まってるもんね」


 彼は不快げに眉を顰める。


 また記憶の話をしている。


 この学苑のヒーローたちも口にしていた、守部家が背負うという謎の運命。


 いい加減に訂正しないと、話がどんどんおかしな方向へ進んでしまう——


「いや、オレは。記憶を失うのは——」


「私、会いに行く。絶対に思い出させる」


 強い決意を秘めた声が、メタ思考男の言葉を遮った。


「は……?」


 弥彦は完全に混乱した。


 目の前の青髪の美少女の頭の中で、一体何が起きているのか。

 そして、どういう理屈でその言葉が出てきたのか。


 分からない。


 ただ石のように固まった。


 青髪の少女は、彼の戸惑いなど気にも留めずに言葉を続ける。


「その時は、私はお姫様で、直ぐには駄目……みたいだけど」


「月詠……えっと」


 突如として、弥彦の脳裏に強烈なフラッシュバックが走る。


 白いウェディングドレスをまとった月詠。


 お姫様になる。圧倒的な力を持って——


 鋭い痛みが頭を駆け巡った。


「でも、お婆ちゃんになって死ぬ前なら、もう関係ないよね」


「……はい?」


「だから遠い約束……」


 二人の間を吹き抜けていた風が、ふっと凪いだ。


 桜の枝葉も空気を読んだかのように、ぴたりと音を止める。


 夜空の雲が静かに流れ去り、遮るもののなくなった澄んだ月の光が、


 桃色の花びらを照らす。


 そして、竹取月詠を照らす。


「約束する……」


 男の瞳が、驚きでゆっくりと開かれる。


「月の姫との……月下の約束だよ」


 凡庸な学生の瞳が、今度は限界まで大きく剥かれた。


 微かに頬を染めた少女は目を細めて、ゆっくりと名前を紡ぎ続ける。


「東雲先輩。真昼先輩。夕星先輩。暮小路くん、常闇くん……」


 少女の形の良い唇が、そこで小さく震えた。


「…………」


 ここで終わり──


 今回は、その五人らしい。

 彼女の周りにいる特別な五人のヒーローたち。


 彼女を導こうとしているのは、五つの星。


 でも……


 彼女の薄紅色の唇が紡いだのは、もう一人の名前だった。


「そして、君。守部くん……」


 満開の桜にも負けない、満月よりも眩しい。


 爽やかな、月詠の笑顔が弾けた。


「……え」


 艶やかな指先が胸元に、少し折れ曲がったリボンに、そっと触れて押さえる。


「オレ……は」


 少年の深い戸惑いの声。


 ごちゃごちゃの思考を置き去りにしたまま


「──私は、月の姫は、六つの星の下で……誓います」


 彼女は夜空へ向かって柔らかに告げた。


 そして──


 守部は頭を抱えた。


【システムエラー:情報を停止します】

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