第76話 突然のお月見会
広大な校庭の芝生の上。
大きく広げられたキャンピングシート。
その中央には、豪華な重箱がいくつも並べられていた。
和洋折衷、色とりどりの料理がこれでもかと詰まっている。
霜降りのローストビーフに、宝石みたいに輝く手まり寿司。
どこぞの専属シェフが腕を振るったであろう、芸術的なオードブルまである。
「ねえ、そっちのキッシュを回して!」
「わあ、このフルーツタルト、すっごく甘くて美味しいですわ!」
あちこちから、はしゃぐ生徒たちの声が聞こえてくる。
普段はお高く止まっている貴族の子息令嬢たち。
今日ばかりは無礼講と言わんばかりに、普段の仮面を外していた。
宝石のように盛り付けられた料理を、次々と口に運ぶ。
皆、ワイワイと食事を楽しんでいた。
「はぁぁ、もう食べられない……。お前、よく食うな」
「ケーキは別腹ですわ」
すでに空になっている箱も、ちらほらと見え始めている。
流石に学生の身分だから、お酒なんて飲めない。
代わりに、果実炭酸水をシュワッと開ける音が、ところどころで小気味よく響いていた。
「……ということです」
「ふむ。それは楽しみだ」
そんな賑やかな生徒たちの輪から少し離れた場所。
「それにしても……」
見回りをしている教職員たちの、ヒソヒソとした立ち話が耳に届く。
「まったく、どこの家も重箱の豪華さを競い合って……」
「あれなんて、王都で一番の老舗料亭の特注品じゃないですか?」
カメラマンがどう思おうと、世界は存在する。
あの時──仮面舞踏会でのそうだったように。
「……それより、先生。例の、一年生の留学生たちはどうですか」
「ええ、今のところは大人しくしていますが……いつ問題を起こすか……」
ひそめられた声に混じるのは、明確な警戒心。
今年の四月に入学してきた、異国からの留学生数名。
——常闇朔たちへのものだった。
「それにしても月とは。どういうことなんだ?昇る気配さえないじゃないか」
「私に聞かれましても……帝国と朔、両者の上層部からの指示でして」
大人たちが勝手にピリピリしている。
伝承通りというのに、皆、様子が少しおかしかった。
そんなことは、今のオレには分からないんだけど。
◇
オレは炭酸水をごきゅっと飲み込む。
「……ひっく」
「お主、大丈夫か? 酒ではあるまいな」
気持ちの問題……かもしれない。
だが、酔うのと同じ感覚だったかもしれない。
勿論、この守部は酒を飲んだことはないだろう。
飲んだのは、前世の経験だ。
「にしても、さ。朔の国は嫌われているな。モブのオレには関係ない話だけど」
だが、それは守部弥彦という人間設定の話。
未来を知る、オレ自身にはとても良い傾向である。
竹取月詠が常闇朔と結ばれるのは、かなりハードルが高い。
それでも、月詠と朔が結ばれる未来はある。
「ま……今は何もできないし」
公式記録係として、守部からやってきた。
だが、その守部……
ヤバい。
本当にアルコールが入ってたらしい。
うまい飯にありつけているだけで、今は満足すべきらしい。
「色の無い国……」
「あの魔獣みたいなのは、やはり朔の国から」
「みんな! い、今は楽しもう!お月……様は出てないから、お花見だけどっ」
サファイアブルーが風に流れる。
夜風に乗って、季節外れの桜が静かに舞い散ってくる。
九月末に桜。
たったの半年でここまで咲き乱れる。
「……そうですよ。今日は政府主催の社交会でもあります」
「お前はそればっかだな」
だが、そこは流石、ご都合主義の乙女ゲー世界。
誰も気にする様子はなく、ただの美しい夜の演出として受け入れている。
「悪いですか。これでも私は」
「知っているさ。慧は昔から真面目だからな」
桃色の花びらが、ひらりと宙を舞う。
アルコールが混じっているらしい、シュワシュワの中に、音もなく落ちる。
「う……真面目かは、私が決めることでは」
「恥ずかしがるなって。……ていう、だったら、月見会なんて言わなきゃいいだろ」
既に日が沈んで、数時間経過している。
山の際を見つめても、雲の隙間を眺めても、空に月は見えない。
ただ、どこまでも深い夜の闇が広がっているだけだった。
「朔くんの国の夜も、こんな感じ?」
「……いや。夜に月はある」
「お? そうなのかよ」
そして、無礼講はレギュラーキャラにも伝染した。
「当たり前じゃ。月が繋がっておると言うたじゃろう」
「俺は聞いてねぇよ。……てか、輝夜ってあの?」
穏やかな空気の中。
話は自然と『輝夜』の伝説へと移っていた。
「朔の国の女神もしくは王女、もしくは姫。……輝夜には、不思議な力がある」
薄紫の髪を揺らしながら、夕星が静かに口を開く。
相変わらずラベンダーの香りがしそうなくらい画になる男だ。
夜の暗闇に、彼の艶やかな声が、静かに溶けていく。
「えっと。たしか、無理難題を出すのでしたね。それこそ、生きては帰れない場所にある宝物を『持ってこい』と命じるような」
続くように、暮小路が細めた目をうっすらと開いて言った。
いつもの胡散臭い笑顔だが、どこか腹の底が読めない。
「ただ、それで終わりではない。そのための力も授ける、と王家には伝わっているよ」
東雲が穏やかに頷く。
発光するような王子スマイルは、こんな暗がりでも健在だ。
「っていうか、性格悪くない? 複数の男をパシらせるとか」
ピンクのボブヘアが揺れる。
綺羅星が、呆れたように苦笑した。
「ちげぇねぇ。力を与えて、修羅場を乗り越えろってか。しかも一人じゃねぇんだろ?」
それをお前が言うか、真昼。
オレは果実炭酸水らしき液体の泡から桜の花びらを摘まんだ。
ついでに会話も摘まんだ。
「今も同じだろ……。お前ら、全員。魔力増してるじゃん」
「ち、違います。月詠さんは、男を使ってはいません」
「……そう。そうだ。月詠は誰にでも優しい」
「あのさっ」
皆の視線が、オレに向く。
でも、オレはペラペラと続けてしまった。
「慧。それに先輩方。と、後輩一人。あと……先生。状況だけ見たら、同じだろ。そもそも、輝夜は朔を捨てて、こっちに残ってくれたんだ」
「守部家……どこまで」
言った直後。
——ピシッ、と。
場を包んでいた穏やかな空気が、完全に凍りついた。
それから脳内にもビシッと。
(……やべっ)
オレは内心で冷や汗をかいた。
流石に喋り過ぎたらしい。
ただのモブ生徒が知っているはずのない、世界の真理。
東雲も、暮小路も、夕星も。
そして勘の鋭い綺羅星すらも、言葉を失って、オレを見ている。
その中で。
「その通りじゃ。じゃから返せと言うておる」
異国の黒装束を纏った少年。
常闇が、夜より暗い黒瞳で、オレをじっと睨みつけていた。
瞳の奥に、仄暗い赤が揺らぐ。
「で……貴様、なぜそこまで詳しい?」
高いが、精いっぱいの地を這うような声。
オレは、僅かに眉を寄せた。
すると、常闇は忌々しそうに吐き捨てた。
「ワシらにはこう伝わっておる。それほどまでに、ワシらの国には宝物と呼べるものがないのじゃ。だから——」
常闇の視線が、オレから月詠へと移る。
「色がないと言うておる。月詠を返せ。輝夜を、な」
強気で誇り高い声。
だが、その言葉には、どこか切実な響きがあった。
無礼講の時間は終わった。
「過去にでも行きなよ」
「なんじゃと?」
空気がピンと張り詰める。
「守部の話じゃ三百年でも六百年でもないんだろ? タイムトラベルでもしてろってことだよ」
パキっと、真昼の指が鳴る。
そのまま戦闘が始まりそうなほどの緊張感が走る。
その重苦しい雰囲気を断ち切るように。
「……その前に」
月詠が突然、改まった声を出した。
「守部くん……」
闇夜と真逆に光る青い髪が揺れた。
彼女の満月のような金色の瞳が、まっすぐにオレを捉えていた。
「守部くんにも、分かるんだよね……」
青い髪が、黄金の瞳を隠す。
それでも魔力を帯びた瞳は、宝石のようにありかを示し続ける。
その少し下、小さな唇がゆっくりと開いた。
何かを言いかけた……
タイミングは、まさにその瞬間だった。
「なんだ、アレはっ!」
「眩しっ!」
これほど多くの人間が集まっていたのかと、息を呑む。
今は押並べて、驚愕の顔が照らされている。
そす。
月が昇ったのではない。
雲間から顔を出したわけでもない。
——空に月が現れた。
本来あるべき、昇っているであろう上空。
唐突に、夜空に満月が現れたのだ。
「どうなって……?」
誰かの声が漏れる。
誰もが息を呑み、驚愕の表情で空を見上げた。
だが、オレだけは違った。
「やっと現れたか……」
それだけの認識だ。
空に浮かぶ不自然な月自体には、目もくれない。
すぐさま首から下げたカメラを構える。
ファインダー越しに、月を背にした月詠たちの姿を捉えた。
皆が見惚れている月、そんなものをオレは撮らない。
オレが残すべきなのは、被写体である彼女たちの姿だ。
カシャッ、とシャッターを切る。
そして——
「みんな、踏ん張れ」
その10秒後。
ドンッッッ!!!!
凄まじい爆音が空を裂いた。
直後、暴力的な衝撃波が校庭を大きく揺らす。
「きゃあっ!?」
「なっ……なんだ!?」
吹き荒れる風。
キャンピングシートが煽られ、重箱が吹き飛び、悲鳴と混乱が渦巻く。
オレは、驚きに目を見開いている月詠たちの顔を
カシャ——
そのまま、ファインダーに収めた。




