第72話 魔女の一撃
月詠は、呆然とした声で呟いた。
「スキャンダル防止……私の……為……?」
守部弥彦の記憶隠滅の話だ。
それが、国家レベルの話に膨らんでいた。
そして何より、月の姫とかの話。
月詠自身のためだった。
と言われても、
彼女の純粋な心は、まったく処理が追いついていなかった。
そんな彼女の戸惑いを断ち切るように、綺羅星キラが肩をすくめて言い放った。
「月詠は目立つし、田舎の子だから、貴族の所作も分からない。隠密に、如何に殿方と逢引するのかも、分からないでしょ?」
身も蓋もないことだが、現実的な指摘だった。
竹取月詠は、無自覚に人を惹きつける。
「 その前に剥き出しすぎる男も男だけど」
そして、彼女の気を引こうとする権力者の男たち。
彼らがその若さゆえに感情を剥き出しにしてすれ違う。
その様子を、一番近くで記録し続けてきたのが、守部弥彦という男だった。
「——あの程度の魔力で特権階級よ。ま、あたしは記憶を消されるのはごめんだけど」
月詠は言葉を失って立ち尽くす。
そんな中、暮小路が忌々しそうに眼鏡をくいぃと押し上げた。
「根回しも大変でした。認められた家のみが、守部と接触してよいとしていたのに。半年前の卒業式で暴力沙汰となったと聞いた時は、肝を冷やしましたよ」
黄昏色の細められた冷たい視線が、すっと綺羅星へと向けられる。
半年前の三月、卒業参りと称して不良生徒たちが守部を体育館の裏に呼び出した。
特権階級である守部は記憶を失う、それを知って暴力事件だった。
「でも、あれって……」
綺羅星は、わざとらしく視線を逸らした。
「さぁ……なんのことかしら」
「それに……守部くんにお友達がいないのにも……」
サファイアブルーの髪が顔に影を落とした。
守部弥彦は男子寮で生活をしている。
「理由……あったんだ」
入学して一年半も経つ。
だのに、ここにいる生徒以外と話をしていない。
会話を聞いたのは最悪にも、あの暴力事件だけだった。
重苦しい空気が、ガゼボを包み込む。
その時だった。
「かかっ……」
乾いた笑い声が、静寂を切り裂いた。
異国の黒装束を纏う少年が笑っていた。
「それが望月か……。実に望月らしい話だ。己らの保身のために自国の民に呪いをかけ、挙句の果てにそれを『姫のため』とすり替える。虫唾が走るわい」
「朔くん……」
「なぁ、月詠。じゃったら、ワシと来い」
朔は笑いを止め、夜より暗い黒瞳で月詠をまっすぐに見据えた。
「伝承では、数年以内に朔の国は再び分かれる。朔の国ならば、スキャンダルなど存在せんのも同じ」
三百年に一度の接近。
そういうからには終わりがある。
再び世界が断絶すれば、この国での醜聞など何の意味も持たなくなる。
だからこそ、自分の国へ来いという圧倒的な宣言だった。
「ふざけるな。誰がお前に渡すか!」
いち早く激昂したのは、武門の嫡男である真昼剛だった。
緋色の髪を逆立て、殺気を込めて朔を睨みつける。
しかし、朔は面倒くさそうに鼻を鳴らした。
「渡すではない。返す、だ」
「三百年前なら分かるけど。そういうのは三百年前に言って」
「なんじゃと?」
夕星律が、冷ややかな声で朔の言葉を切り捨てる。
宮廷魔術師の家系として、過去の伝承を振りかざす異国の王子を牽制した。
すかさず、次期宰相候補である暮小路も冷徹に事実を突きつける。
「月詠さんは、望月の両親との間に生まれた、望月の人間です。あなたの国に返す道理など一つもありません」
国を背負う若き権力者たちと、異界の王子。
彼らの間で、火花が散るような緊張感が弾ける。
その一触即発の空気が漂う。
「あははっ、その理屈なら、立憲君主制以前に『月の力』を受け継ぐボクたちも入るのかい?」
宵坂千秋は、首元を緩めながら薄く笑った。
「朔の血は望月に溢れているよ。こんなボクで良ければ、いつでも婿入りにいくけど、ね」
冗談めかした、しかし底知れぬ狂気を孕んだ教師、宵坂の煽り。
ガゼボの空気が、さらに混沌としたものへと変わりかけた。
その時だった。
月詠の柔らかな手が固く結ばれる。
息を呑む音さえ、ガゼボの空気を薄れさせる。
彼女は戸惑いながら、独白した。
「私のため……だったら、止めてもいい……よね。わ、私は気にしない! スキャンダルなんて! き、気にしなければいいだけ」
震える声で、月詠はそう叫んだ。
悪意を認識できない純粋な彼女だ。
自分が我慢すれば彼を苦しませずに済む——という自己犠牲は、当たり前だったかもしれない。
だが、その真っ直ぐすぎる言葉。
一つ年下の常闇朔が、呆れたように深い溜息をついた。
「……月詠。お主が良くとも、世の中はこう思うじゃろう? その子は本当に正統な子かと」
「……え? その……子?」
その残酷な指摘に、月詠は息を呑んで戸惑った。
朔は異国の王子であり、血統の重さを誰よりも知る。
「月詠。君は次の世代の王族だ」
「……そ……れは」
月詠には、何も言い返せなかった。
自分の行いが招いた結果は、国を揺るがすものだった。
第一王子の東雲暁。
武門の嫡男である真昼剛。
宮廷魔術師の名門、夕星律。
次期宰相候補の暮小路慧。
かつての宮廷魔術師である宵坂千秋。
そして、異界の王子たる常闇朔。
誰にでも平等に優しく接し続けた結果だ。
気づけば、この六人の男たち全員が、同じくらい深く歪な仲となった。
「月詠のせいじゃないて。どいつもこいつもサカってるんだもん」
「最近の綺羅星は売国の噂がありますが?」
「あたしは知らないしぃ」
月詠は中庭のガゼボを包む、一触即発の空気を見渡した。
もしも、彼がここにいたなら——
どんな修羅場でも、どんな甘いやり取りの最中でも
決してフレームの内側に入ってこなかった茶色い髪の少年。
彼がいたなら、
この恐ろしい光景の前に立っても、感情を押し殺したまま魔導カメラを構え――
カシャ、と。
乾いた音を立てていただろう。
「シャッターが……」
存在しないはずのそのシャッター音が、月詠の脳裏には鮮明に響いた。
彼女は、かつて自分が彼にお願いした、ある出来事を思い出した。
「カメラが——」
――いつだったか
月詠は、彼にお願いした。
月詠は、弥彦ともツーショットの写真を撮ろうとした。
しかし、できあがった写真は無惨なものだった。
彼の姿だけが激しい手ブレによって輪郭を失っていた。
アレは、やっぱり態とだったのだろうか。
彼自身の意志だったのか。
それとも――
『記録係自身は、決して記録に残ってはならない』という、大人たちの冷酷な術が強制したのか。
今となっては、どちらなのか分からない。
もしかすると、その両方だったのかもしれない。
どちらにせよ
彼は初めから、この青春というフレームの中から徹底的に排除されていたのだ。
彼がすべてを忘れさせられる呪いを背負ってくれていた。
だからこそ、自分たちの「青春」は守られていた。
「私はお姫様になんてなりたくない。私はこの力を……」
月詠が震える声で訴えた、その時だった。
——コツ、コツ、と。
中庭を囲む旧校舎の奥から。
冷たい軍靴のような足音が響いた。
最初は微かな音だった。
次第に大きくなる。明確に近づいている。
そして——ザッ、ザッ、と
硬い床から柔らかい砂利を踏む音へと変わった。
「噂をすれば……」
特注学生帽、特注学生服の男が一人。
中庭の砂利を踏み鳴らして近づいてきた。
ガゼボの入り口に立っていたのは、いつもの茶色い髪の少年だ。
首から下げられた魔導カメラは、まるで銃のように無機質な光を反射している。
だのに、その表情はどこまでも柔和だった。
「お。みんな揃ってるなー」
どちらともつかない、呑気な喋り方。
真昼がわずかに息を呑み、宵坂が目を細める。
全員の目が一斉に釘付けになった。
真昼の言う通りだった。
「記録係の呪い」に縛られた人形か、それとも本物の守部弥彦か
一見すると、誰にも見分けがつかない。
だが、宵坂は「彼には術がかけられている」と言ったばかりだ。
満月の色をした月詠の金色の大きな瞳が、まっすぐに少年を捉える。
彼女の規格外の直感が告げていた。
――目の前にいる彼は、違う。
だからこそ、胸が締め付けられた。
彼のあの笑顔は、自分のためにつくられた呪いの産物だった。
「――ごめんなさい」
小さく呟いた。
その直後、月詠の細い腕が空気を切り裂いた。
「ん? 謝るようなことは何――」
パァンッ!!!
乾いた激しい破裂音が、中庭に響き渡る。
凄まじい魔力の奔流と、衝撃波を伴った平手打ちは、守部弥彦の頬を、顔をスローモーションのように歪ませた。
――次の瞬間。
ガゼボの階段にいたはずの少年は弾けとんだ。
物理法則を無視したような軌道を描き、中庭の芝生の上をゴムボールのようにバウンドして、遥か彼方へと勢いよく弾き飛んでいった。
「…………え?!」
あまりにも突然だった。
あまりの光景に、ガゼボにいた全員が文字通りドン引きした。
ぽかんと口を開けたまま固まった。
政治的対立も、異国の王子との一触即発の空気も、すべてが彼方へと吹き飛んだ。
「月詠……。アンタ、何を……」
綺羅星キラは、冷や汗を流しながら、引きつった声で呟いた。
その視線の先で、月詠は真っ赤に染まった自分の手のひらをそっと仕舞った。
それからサファイアブルーの髪と、スカートの裾を翻して、クルッと振り返った。
「つ……月詠。今のは」
彼女の瞳に宿っていた凄まじい魔力の光がスッと消えた。
いつもの少し抜けたような、あどけない少女の目元に戻る。
そして、月詠はいたって真面目な顔で、こう言い放った。
「だっておかしいもの。叩いたら、直るかなって思って」
ガタッ!!
静まり返った中庭で、常闇朔が遠い目をする。
彼は、やれやれと深い溜息を吐き捨てた。
「……望月の学校は、何を教えておるのか……」
このビンタこそが、叩けば直るの法則が
——もしかすると、
世界を救う魔女の一撃だった……のかもしれない。
(第三章完)




