第71話 魔女は平等で純粋すぎる
バタン、と写真部の重いドアが閉められる。
廊下に出た月詠、綺羅星、常闇の三人は、無言のまま立ち尽くしていた。
「何か、しないと」
「ちょっと、月詠!」
月詠は走った。
サファイアブルーの髪を靡かせて、学苑の中を走り続けた。
もう、彼女の魔力は凄まじかった。
綺羅星も、追いかけるのがやっとだった。
隣を走る常闇も、同じだ。
「ちょっと待て、月の姫」
「待てない! みんなに話さないと」
「なにをじゃ」
「決まってる——」
東雲暁、真昼剛、夕星律、暮小路慧。
そして白衣を着た、宵坂千秋。
「——全部!」
学苑の中心にいる者たちが揃った。
異様な空気が漂う中で、口火を切ったのは常闇朔だった。
「あやつは一体何なんじゃ?」
常闇は苛立たしげに、見事な鞘に収まった刀の柄を指で叩く。
「この一ヶ月、ワシらを冷たい目で撮り続けていたあの人形のような奴と」
彼の黒い瞳の奥に、得体の知れないものに触れたような不気味さが滲む。
「さっき苦しんでいた男……どっちが本当の守部なんじゃ?」
その問いに、東雲暁が腕を組む。
彼は完璧な姿勢のまま、静かに口を開いた。
「……父上から、議会を通して守部家に依頼したと聞いている」
暁は薄く目を伏せ、記憶を辿るように呟く。
「三百年に一度の、天文学的事故。ただの伝承かもしれないが、念のためにとね」
そして、視線を部室のドアへと向けた。
「何かあったときに、強い王国の写真を人々に見せるためだとか」
「でも、確かに。あれほどの重責の中で感情を押し殺すのは、術を使わないと無理だったのかもしれない」
暁の暁色の瞳が、スッと綺羅星を射抜く。
「ただ、あいつが毎回タイミングよく現れるのは、誰かが手引きしていたからだろう。……綺羅星、君ではないのか?」
ザッと足元の砂が弾けた。
「朔の国の血を引く人間を三百年追うって、大変なんだから」
暁の疑念を、綺羅星は鼻で笑って一刀両断した。
「あたしたちの武器を、あたしたちが漏らすことないでしょ」
彼女は袖の長い腕を組み、不敵に口角を上げる。
「そもそも? 血統管理が得意な王族と宰相なら容易いでしょうけど?」
暁とキラの間に緊張が走る。
二人に気を使ったのか、それとも何も考えていないのか
「俺も親父から議会で決まったって聞いてるぞ?」
真昼剛が、でかい声を上げて綺羅星の皮肉を遮った。
「まぁ、細かいことは分からねぇが……」
彼は太い前腕を擦りながら、納得したように頷く。
「お陰で月詠を兵士の皆に見せられたのはデカい。そっかよ。あいつ、時々人が変わっちまってたのは、術の影響か」
真昼は真っ直ぐな青い瞳で、周囲を見回した。
「で、どっちが本当の守部なんだ?」
「僕も神道ルートから聞いていたよ」
夕星律が、ため息混じりに長めの紫髪を払う。
「うん。間違いなく術の影響だね」
彼は並木に寄りかかり、淡々と分析を口にした。
「しかも禁忌レベルの術……。元々、記憶の封印は禁忌の魔術だしね」
「それから守部自身のものじゃないから、どっちが本人かは分からないし、彼も気づいていないんじゃないかな」
「当然、議会での話は私も聞いてます」
すると次は暮小路慧だった。
彼は滑らかな髪を掻き上げ、肩をすくめた。
細められた黄昏色の瞳の奥で、思考が巡っている。
「その後の父と母は大変でしたよ。先んじて夕星家には断られましたからね」
すかさず律が呟く。
「禁忌の術の使用は、使わないから禁忌だよ。誰も経歴に傷をつけたくない」
暮小路は伊達眼鏡の位置を直し、周囲を見回した。
「本当に苦労してましたよ。誰に依頼したらいいか分からないし、誰がやるのか分からないようにしないといけない」
その瞬間。
全員の胡乱な目が、宰相の息子である暮小路に向けられた。
——お前の家が、やったのではないか
という、無言の追及だった。
暮小路は慌てたように、首を横に振った。
「そ、それは違います。私が話しているのは、これから先のこと。彼の記憶の消去の方です。に、二重人格とか、私は知りませんし、関係ありません」
彼は両手を軽く上げて、必死に弁明する。
「そもそも、あれは。守部の術だとばかり。あの写し絵だって、守部の血統でなければ使えないのですし」
「……それは……確かに。だったら」
全員の視線が、最後に宵坂千秋へと集まる。
学苑の保健医であり、大人である彼。
魔術研究部顧問にして、特別教師の彼なら、何か知っているのではないか。
集まるのは当然だった。
「ふむ……」
宵坂は少しだけ言葉を濁す。
「一応……個人情報なのだが……」
「先生っ」
聞いているだけ、では済まされない空気だった。
やがて観念したように、首元の開いた白衣の肩をすくめた。
「あぁ。皆の言う通り。彼のあの症状は、恐らく禁忌の術によるものだ」
いつものように、群青の瞳に疲労の色を浮かべていた。
眉を寄せ、険しい顔で続ける。
「彼に何かの術がかかっているのは間違いない。ボクは彼を何度も、保健室で診ているからね」
彼だけが守部の様態を観察していた。
「そんな期待されても困る。恐らく守部の術だろうことしか分からないんだよ」
宵坂は何かを掴んでいる、皆の視線を彼は少し嫌った。
両手の手のひらを上にあげ、軽く首を傾げて、おどけてみせた。
「ボクは彼の親御さんからもよろしく頼まれている。そこからの想像でしかないんだが……。記憶を消される運命を、あの若さで飲み込めるとは思えない」
今では月詠も知っている。
全員が守部が過酷な運命を背負っていることを知っている。
勿論、常闇は別だ。
「そういう理由での、彼奴じゃったとは」
だから常闇は、不快げに顔を歪めた。
「それにしても、望月はやることがエグいの。噂通りじゃ」
「月の力を独占し続けた国に言われたくない」
自国を貶められた暁が、半眼になって冷たく言い放つ。
ガゼボに、一触即発の空気が流れた。
その時、宵坂がコレ幸いにとヘラッと笑った。
「噂といえば、その角。魔力の受信に使う……だっけ?」
宵坂はわざとらしく、常闇の頭上を指差した。
「近親婚の繰り返しの結果だっけ?」
「な……なんじゃと? ワシは」
常闇が殺気を、ついに爆発させる。
刀の柄に手をかけ、魔力と刃の冷たい気配を充満させた。
国家間の確執と、血統への侮蔑。
それが今まさに弾けようとした――その時だった。
「みんな……待ってよ」
震えるような、細い声が響いた。
誰もが、声の主である月詠を振り返る。
「……待ってください。みなさん」
彼女は、今にも泣き出しそうな瞳だった。
両手をぎゅっと握り締め、立ち並ぶ男たちを睨みつけていた。
ぽつり、ぽつりとこぼれ落ちる言葉。
「術とか、誰がやったとか。やるとか、どうでもいい……んです」
その弱々しい響きが、殺気立っていた中庭の空気を急速に冷やしていく。
「どうして、守部くんは……記憶を失わないといけないの……? その運命は必要なの?」
月詠の悲痛な問いかけが、ガゼボの天井で跳ね返る。
ただ、彼女のこの悲痛さは、答えられない類のものではない。
答えにくいだけ。
沈黙を破ったのは、綺羅星キラだった。
マゼンダの瞳を細め、まっすぐに月詠を見据える。
「……すべては、月詠のためよ」
「え……?」
月詠は大きく目をむいた。
まさか、答えだった。
彼を苦しめている原因が、自分にある。
彼女は1mmも思っていない。
微塵もそこに辿り着いていなかった。
「正確には、月の姫のためです」
綺羅星の言葉を引き継ぐように、宰相の息子である暮小路慧が静かに腕を組んだ。
「伝承によると、次代の男たちは月の姫に貢ぐことで、月の姫から力を与えられる。そう言われている」
続いて、王家。
東雲暁が、自らに言い聞かせるように頷きながら話した。
「んで、国を治める。月の姫の下に、だ。伝承通りならな」
壁に背を預けていた真昼剛が、自嘲するように鼻を鳴らす。
武門の名家である彼にとっても、国家の権力と力の関係は他人事ではない。
すると夕星律が、憂鬱そうに紫の髪を揺らした。
「でも、時代は変わってしまった。三百年で文明も開花したし。伝承ではなく、記録として伝わってしまう」
「そこで私たち、正確には私たちの親世代は考えました」
再び。
暮小路が、冷徹な次期宰相の顔で言葉を紡ぐ。
「記録係を一つの家に独占させる、と」
権力者たちが次代の覇権を争う。
その泥臭い過程や、月の姫へ向けられる恋慕、あるいは選ばれなかった者たちの嫉妬や醜聞。
「もし、その記録係が私欲を持ち、未来の王や宰相の青臭い過去を盾に脅迫してきたらどうなるか」
だからこそ、独占させる。
すべてを記録し、すべてを忘却する。
しかし、月詠は男たちを順番に見つめたまま、ただ瞬きを繰り返していた。
純粋な少女には、彼らが何を言っているのか、その意味が分からなかった。
そんな彼女を見て、綺羅星キラが小さくため息をつく。
彼女は、呆れたように、
けれど、一番分かりやすい言葉で言い放った。
「つまりね、月詠。月詠のための、一応のスキャンダル防止ってこと」




