第70話 時間スキップ
地獄のような、列車の中。
ガタン、ゴトンと揺れる車内で、息が詰まりそうだった。
四人席の向かいには、サファイアブルーの髪を揺らす月詠がいる。
その隣で、和装で腕を組む常闇朔が座っている。
そしてオレの隣には、ショッキングピンクのボブヘアをした綺羅星キラの姿があった。
このままだと、オレが——いや、オレのカメラが。
竹取月詠を、最悪の『常闇朔ルート』へと向かわせてしまう。
オレに出来るのは、写真を撮ることだけだ。
逆に言えば、写真を撮らなければいい。
この場から姿を消してしまえば、きっとフラグは折れる。
でも、ダメだった。
綺羅星のマゼンタ系の明るい瞳に見つめられると。
彼女のその言葉を聞くだけで。
あるいは、指先で送られる小さな合図を見るだけで。
オレの体が、勝手に反応してしまう。
まるで、見えない糸で操られているかのように。
どうすれば……。
どうすれば、この強制イベントから逃れられる?
そうだ。
こんな時こそ、ゲーム特有の都合のいいシステム。
『時間スキップ』が起きてくれれば……。
でも、そんな都合よく時間が飛ぶわけが——。
……。
……ん?
目が、開いた。
見慣れた天井だ。
埃っぽさと、薬品の微かな匂い。
どうやらここは、写真部の部室らしい。
……助かった。
本当に時間スキップが起きたんだ。
あの列車の地獄から、抜け出せたらしい。
オレは小さく息を吐き出す。
自然と、唇の端が緩んだ。
やった。
これで、常闇ルートの進行を止められたはずだ。
安堵とともに、机の上に目をやる。
そこには、見慣れない写真が並べられていた。
月詠と朔の、ツーショット写真だった。
「な……んで」
列車に乗る前の光景。
乗った後の光景。
席についてからの光景……そこまでは分かる。
でも、こんなの知らない。
飯盒炊爨で、不器用に作業する朔の隣で微笑む月詠の写真。
肝試しの暗がりで、怯える月詠を朔が庇う写真。
見たこともない魔獣と戦う常闇と、それを見つめる月詠の写真。
どれも、完璧な構図の『イベントスチル』だ。
オレは震える手で、それらの写真を一度手にとってみる。
ひやりとした印画紙の感触。
これは、間違いなくオレのカメラで撮られたものだ。
オレの魔力でしか、このカメラのシャッターは切れないのだから。
しかし、指から力が抜け、写真はひらりと床に落ちた。
オレが、撮った?
記憶がないのに?
常闇ルートなんて、一番避けなきゃいけないはずなのに。
オレ自身の手で、世界の破滅への決定的なフラグを立ててしまったというのか?
いや。
違う。
そんなはずはない。
オレは、撮りたくなかったんだ。
必死に抵抗していたはずだ。
その瞬間。
綺羅星のマゼンタの瞳が、瞼の裏に鮮明に浮かび上がった。
列車の中で、彼女が小さく指を動かした光景。
あの合図を見た途端、オレの体は勝手に動いた。
……そうだ。
オレの意志じゃない。
オレは操られていたんだ。
アイツだ。
あの時、アイツが何かをしたんだ。
日和見主義で、常に勝ち馬に乗ろうとするあの女。
月詠の隣という特等席から、この盤面を引っ掻き回している綺羅星キラ。
アイツが、オレのカメラを利用したんだ。
アイツが、常闇朔のルートを強引に進めようとしているんだ。
心臓の鼓動が早くなる。
自分が無意識に破滅の引き金を引いてしまったという恐怖。
それが、急速に別の熱へとすり替わっていく。
オレは悪くない。
オレは被害者だ。
全部、あの女の盤上での出来事だったんだ。
そうだ、そうに決まっている。
オレがこんな、致命的なミスを犯すわけがないんだから。
オレは椅子をガタッと倒す。
勢いよく立ち上がった。
自分が自分でなくなっていたという不気味な感覚。
それを全て、「アイツの企みだ」という確信の炎で塗り潰して。
オレは、そのまま部室を飛び出していた。
◇
部室を飛び出し、廊下を駆け抜ける。
息を切らしながら、夕焼けに染まる中庭へと飛び出した。
そこで、探していた三人の姿を見つけた。
常闇、月詠、そして綺羅星の三人だ。
彼らはごく普通に、自然に並んで歩いていた。
常闇が、少し自慢げに話をしている。
「朔の国の様子は、この国と大して変わらない」
常闇は黒い瞳を細めた。
遠くの故郷の景色を思い描くような、そんな仕草だった。
「だが、魔力持ちは圧倒的に多いのじゃ」
オレは、その和やかな空気を引き裂くように走り寄る。
そして、綺羅星に向かって言いがかりをつけた。
「どういうことだ、綺羅星!」
怒鳴り声に、月詠が驚いたように大きな金色の瞳を見開く。
彼女の少し曲がったリボンが、夕風に揺れた。
常闇は足を止め、面倒くさそうに、だが静かにオレを見た。
「守部、お前。本当に守部か?」
……意味が分からない。
何を言っているんだ、こいつは。
オレは常闇の言葉を無視する。
そのまま、綺羅星に食ってかかった。
「あの列車の中で! 写真を撮ったのは、お前か! お前がオレを操ったんだろ!」
綺羅星は、長めのカーディガンの袖を口元に当てる。
そして、心底不思議そうに小首を傾げた。
「は? アンタ、何言ってんの?」
「とぼけるな! お前が合図して……!」
「馬鹿じゃないの」
綺羅星の冷たい声が、オレの言葉を遮った。
彼女はマゼンタの明るい瞳で、オレを真っ直ぐに見据える。
「あたしがどうやってアンタを操るっていうのよ。綺羅星家はそんな都合の良い魔法は使えない。そもそも、あたしが使えないし」
「それは……アイテムとか、何か強制イベントの裏技を使って!」
「アイテムと言えば守部でしょ。その魔導カメラ、守部家の……アンタの魔力でしかシャッターが切れないんでしょ?」
綺羅星は呆れたように肩をすくめた。
「アンタの好きな『設定』ってやつ。他人のあたしが、どうやってアンタの魔力を引き出してシャッターを切らせるのよ。魔術の基本原理からして不可能じゃない」
「っ……」
オレは言葉を失った。
心のどこかで分かっていたのだ。
「それに、毎回毎回、あたしがアンタを? 駅弁とお茶で両手塞がってたし。肝試しはついて行ってないし。あたしがどうやってカメラを構えさせるの」
オレは縋るように、月詠へと視線を向けた。
ヒロインなら。
正義感が強くて誰にでも優しい彼女なら、オレの言い分を信じてくれるかもしれない。
「月詠……!」
しかし。
月詠は、いつもなら誰にでも向ける平等な優しさを、今は引っ込めていた。
静かな、けれど毅然とした表情で、オレを見つめ返してくる。
「……守部くん」
月詠は、はっきりと告げた。
「キラちゃんは、そんなことしてないよ」
「……っ!」
月詠の方が圧倒的に上にいる。
そもそも、綺羅星にそんな力があれば、こんな回りくどいことはしない。
「ずっと一緒にいたから、分かるの。キラちゃんは、絶対に何もしてない」
オレは、完全に言葉を失った。
これ以上、何を言えばいいのか分からない。
「そ……れは……」
自分が立っている足元が、ガラガラと崩れていくような感覚。
「ってか。アンタ以外の誰に撮れるのって話ね」
「オレ……以外は……む……り……」
そう、分かっていた。
誰かに、綺羅星に責任を押し付けたいだけだった。
オレはそのまま踵を返した。
三人の呆れたような、あるいは戸惑うような視線を背中に浴びながら。
逃げるように、写真部へと戻っていった。
ガチャン
「オレが……撮った……」
部室の机に向かう。
「無意識に……違うっ!」
そんなの無意識と言わない。
列車の中から、ここに来た。
「時間スキップ……の間に撮った……」
イベントがないから時間が飛んだ。
そうだった筈だ。
「今までだってそうだろ。オレがオレの力で魔導カメラを」
だったらと探した。
オレの記憶にない写真が一枚もなければ、月詠かキラか、若しくは朔か。
あの条件下でのみ起きた、バグだと証明できる。
引き出しという引き出しを、狂ったようにあけまくる。
証明を探す。悪魔の証明と呼ばれる類かも知れない。
けれど、悪魔はあっさりとその顔を覗かせた。
「嘘……だ……」
次々と出てくる悪魔のようなカラー写真。
オレの知らない、オレが撮った写真たち。
中には、見覚えのない顔の写真まであった。
それから、予想通りなかったものもあった。
あの体育館倉庫の裏で、オレをお礼参りで囲んだ不良グループ。
オレは、あいつらの写真を一枚も撮っていなかった。
逆に出てきたのは、それ以外の三年生の写真だ。
……ああ、なるほど。
そういうことだ。
三年生全員を撮っていないなら、守部の仕事として失格だ。
教頭の磯野も、もっと目くじらを立てるはず。
だが、実際は何度も褒められていた。
「オレは仕事が出来てる……って」
ズキッ……
こめかみが痛む。
あの不良たちは確かに、オレの目に入らなかったくらい魔力が小さかった。
だから、将来有望ではなかったのだ。
だから、オレは撮らなかったのだ。
「殴られ損……だな。でも——」
頭の中が混乱する。
写真を撮ったのは、無意識の自分なのか。
それとも、この世界の『仕様』なのか。
だけど、守部のカメラは、守部にしか反応しない。
オレは頭を抱え込んだ。
ガチャ……
そこへ、背後から音。
部室の扉が開いた。
さっきの三人——常闇、月詠、綺羅星だった。
オレを追って、写真部に入ってきたらしい。
三人とも、本当にオレを心配している顔だった。
綺羅星が、いつもとは違う真剣なトーンで言う。
「守部。アンタさ」
彼女は一歩前に出て、覗き込むようにオレを見た。観察した。
「ちゃんと診てもらってるの?」
「みてって?」
オレは顔を背け、乱暴に頭を掻いた。
「今は、話す気分じゃない」
答えた瞬間。視界がぐにゃりとぼやける。
頭の奥が、ズキリと痛んだ。
綺羅星が、さらに続ける。
「宵坂先生に」
保健医である、あの男の名前。
彼女は普段の日和見な仮面を捨てていた。
心底、心配そうに眉を下げていた。
「診てもらってるの?」
普段の綺羅星ではない顔で、心から心配している。
また、視界がぼやける。
割れるように頭が痛む。
なんでだよ。
ゲームの核心部分に触れると、じゃないのかよ。
ただの体調不良の心配すら、ゲーム用語で処理しなきゃいけないのか。
月詠は、神妙な面持ちでオレを見つめていた。
常闇は、まるで奇妙なモノを見るような目つきだった。
その月詠が、静かに判断を下した。
「分かった。キラちゃん、朔くん。今日は帰ろっか」
彼女はオレを気遣うように、柔らかく微笑んだ。
「守部くん、しっかり休んでね」
三人はオレだけを残す。
静かに、部室を退室していった。
ガチャン——
扉が静かに閉まった。




