第67話 勝った、勝ったの夏休み前
七月最終週。
うだるような夏の熱気が、窓ガラスの向こうで揺れている。
けたたましい蝉の鳴き声が響く中、オレは意気揚々とAクラスの教室に戻った。
五人の個別ルートを、なんとか強引に前進させた直後だ。
教室内では、綺羅星キラが相変わらず月詠にきゃぴきゃぴと明るくまとわりついている。
だが、オレの姿を視界に捉えた瞬間。
その鮮やかな赤紫色の瞳が、スッと温度を失って凍てついたのが分かった。
オレの内心は、ただ一言「これは勝った」だ。
何せ、あの厄介な常闇朔ルートの写真は、三月の早い花見イベントで撮ったきりだ。
アイツが一年生として正式に入学してからは、一枚のスチルも撮っていない。
一年前から、月詠の隣でアドバイザーとして動いていたはずの綺羅星。
結局、彼女は決定的な行動を起こしていなかった。
綺羅星キラは大したアドバイザーじゃなかった。
オレが先んじて個別ルートをこじ開けたことを不快に思っているらしいが
でも、結果は変わらない。
盤面は、完全にオレが制圧している。
(……宵坂ので決定だな。負けを認めて、一応アドバイスした風を装っただけ)
自然と、口元に余裕の笑みが浮かんだ。
当然だが、ここに六人目はいない。
常闇は一年下なので、当然この二年生の教室にはいない。
そして月詠だ。
彼女は、五人のヒーローたちと話しをする中で変わっていった。
自分も覚悟を決めないと、という強い思いを抱いていた。
「……で。決められない月詠ちゃんはぁ、どう思ったの?」
マゼンダの瞳が細められる。
だが、月詠の満月のように丸く大きな金色の瞳は、凪いだ水面のように静謐なままだった。
「うーん……」
胸の内にある思いを、まだ顔に出してはいない。
真面目なトーンで五人の印象を語り始める。
「東雲先輩は、誠実で真っ直ぐ。何より国を思っている」
王道ルート、東雲暁。
オレの脳裏に、静謐な石造りの儀式堂が浮かぶ。
甘い香りが立ち込める中、彼から溢れ出した眩い金色の魔力。
国を支えようとする、重圧に負けない真っ直ぐな横顔。
「真昼先輩は、覚悟が凄い。彼なら何があっても、と期待してしまう」
騎士道ルート、真昼剛。
物々しい空気に包まれた、軍部の駐屯地。
土煙と硝煙の匂いが混じる中で、彼は月詠を守ると宣言した。
月詠の前に片膝をついた彼の姿は、猛烈な朱色の魔力風を纏っていた。
「夕星先輩は、とても不思議で静か。でも、心の奥から優しさが伝わる」
神道ルート、夕星律。
波音が響く、夕暮れの荘厳な神社。
薄紫の香木の煙が舞う中、彼は美しく舞った。
静かな声で結界の不安を口にしていた、色素の薄い瞳。
「暮小路先輩は、凄く努力家。あんな感じだけど、ちゃんと細かいところまで配慮してくれる」
政界ルート、暮小路慧。
古い紙と埃の匂いがする、淀んだ国会議事堂。
馬車の中で必死に分厚い書物を読み込み、国のねじれに立ち向かおうとしていた真剣な横顔。
「宵坂先生は、やっぱり凄いと思った。他の先生よりもずっと……魔術の仕組みを熟知している。もしかしたら、私の力も解明してくれるかも」
そして術士ルート、宵坂千秋。
冷たい風が吹き荒れる、十二月に月が落ちた焼け野原。
群青の瞳で、月詠に大切な魔術の話を教えていた。
月詠の言葉をうんうんと聞く綺羅星。
その遠くで、苦笑いを浮かべるオレ。
ヒーローたちの前だと、ただのモブとして適当に囃し立てて応援していた。
でも、
本人がいない場所で、月詠の口からその印象を聞かされると、オレの内心は複雑だった。
(アイツらって、もっと我欲に塗れてなかった?)
ファインダー越しに間近で見てきたオレには分かる。
どいつもこいつも、自分の背負っているドロドロとした重い運命を、月詠頼りにしていた。
心優しい、才能あふれる少女に、丸投げしようとしていた。
「皆さん……とてもステキで、それに私のことを思ってくださって」
それでも、オレは誰かのルートを推し進めなきゃいけない。
この精神的苦痛は、世界を救う為だ。
(みんな、分かってないんだよ。 オレが救世主だってことに)
常闇ルートの最後には、あの煉獄の日の滅亡ルートが待っている。
そうなると帝都は全滅で、未来ある若者は生き残れやしない。
上級生に、体育館裏で殴られて、蹴られた。
あれだって、おかしい。世界を救うというのは、彼ら彼女らも救うということだ。
っていうか、あと少しだ。あと少しで終わる——じゃなくて始まる。
死んで転生して始まったオレの第二の人生だ。
そういう意味では、スタート地点にすら立っていない。
(正しいヒーローとヒロインを繋ぎとめる)
この世界に来て、初めて好きになった相手を、他の男に嫁がせる。
そして、この世界救済の行為は、煉獄の日が来ないから、誰の目にも分からない。
(それが、オレ流のゲーム内異世界転生勇者の冒険活劇なんだよ……)
オレは密かにそんな葛藤を自尊心に変えようとしていた。
その時だった。
それはやってきた。
いや、やって来たというより——
綺羅星がうんうんと愛らしく頷いた。
そして、満面の笑みで言った。
「あ。そういえば、もうすぐ林間学校! あたしたちが上級生だね」
ガタッ——ガシャン
立ち上がった拍子に、椅子が倒れた。
立ち上がったのはオレ。
そしてオレの目は限界まで見開かれていた。
「前は……東雲先輩たちがいたけど。ねぇ?」
明らかに、オレのこめかみを、オレの耳朶を狙った言葉だった。
「暮小路くんもいるし」
「暮小路慧くんは生徒会長だよ? 前も肝試しの途中で呼ばれてたじゃん」
オレの首筋に
「それに去年って、先生の姿も見なかったよねー。だから、月詠」
言葉の刃があてがわれる。
オレは二人を見ていない。
そして綺羅星も見ていない、となんとなく分かる。
いつもの日和見貴族の仮面を張りつけた笑みのまま、オレを笑っている。
「うんっ! 私たちが常闇君に色々教えなきゃだね。こっちのごはんの食べ方も知らなかったし」
彼女は、オレの凍りついた気持ちなど全く察さない。
太陽のようで、無邪気な笑顔で、そう続けた。
◇
Aクラスでの、あの絶望的な会話の後。
オレは逃げるように、学生寮の自室へと帰ってきた。
オレが重い足取りで部屋に入ろうとしたときだった。
背後から、声をかけられた。
「明日から林間学校だ。いつものように頼むぞ」
たびたび登場する、教頭の磯野だ。
オレが振り返る前に、教頭は静かに、だがはっきりと告げた。
「帝国の未来がかかっている。守部の未来もな。君はこれまで通り、写真を撮り続けたまえよ」
オレの。
守部家の未来。
それは、どういう意味なのか。
このモブ教頭でさえ、オレがいずれ記憶を失うと思っているのだろうか。
「わ……分かってます。オレの、みんなの未来の為に」
「うむ。よろしい。君を悪いようにはしない。勿論、守部にも相応の見返りがあるだろう」
オレの人生はこれから始まる。
逃げ道を見失った。
バタン、と。
重い音を立てて、部屋のドアが閉まる。
オレは力なく、ベッドの端にドサリと座り込んだ。
ため息をつきながら、首から下げた魔導カメラを手に取る。
そして無意識に、カメラを手入れし始めた。
手入れ用の柔らかい布を引き寄せる。
レンズの表面を拭き、革のストラップを整え、カシャ、カシャとシャッターを空打ちする。
「オレは馬鹿か……。完全に忘れてたっ!」
思わず、大声を上げて立ち上がる。
「アイツ、綺羅星! ずっとこれを狙ってたのかよっ!!」
林間学校は、一年生と二年生だけが参加する合同イベントだ。
綺羅星が言うように、三年生の東雲暁、真昼剛、夕星律は参加しない。
同じく綺羅星が言うように、生徒会長の暮小路慧も、裏方仕事で大忙しだ。
つまり、実質的に「月詠と常闇朔」が中心のイベントになる。
アイツは、この状況をずっと待っていたんだ。
自分が動かなくても、勝手に常闇ルートの確定フラグが立つ、この瞬間を。
盤面を制圧した気になって余裕ぶっていた自分が、心底恥ずかしい。
オレは再びベッドに腰を下ろした。
布で、レンズを丁寧に磨き始める。
キュッ、キュッとガラスを磨く音だけが、静かな部屋に響く。
「……いや、待て」
林間学校に参加するのは、一年と二年だけ。
だが、当然「引率の大人」は来る。
つまり、保健医であり魔法学の教師でもある、宵坂千秋も来る。
オレの頭の中に、ヒーロー六周分のデータが浮かび上がる。
宵坂千秋は、スチル最多。
オレの認識では、開幕で落ちる最イージー枠の男だ。
そして二位が常闇朔。一年のハンデがあるのに流石だ。
だが三位につけるのは、暮小路慧だ。
「オレが最初に言ってた、イベントスチル上位勢の直接対決じゃないか……」
常闇ルートを強引に推し進めようとする、キラのアドバイザー。
対するは、圧倒的イベント数を誇る宵坂ルートのポテンシャル。
「まだだ。まだ終わらんよ」
ごろんとベッドに仰向けになり、薄暗い天井を見上げる。
明日からの激戦に備えて。
オレはそのまま、ゆっくりと目を閉じた。




