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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第三章 モブは魔界の王子様と出会う

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第62話 東雲家の聖油儀式

 オレは、個別ルートの強制発生を狙う。


 アドバイザーの言葉を、先ずは信じてみることにした。

 裏切って常闇朔に寝返った『今の彼女』ではない。

 一番最初の頃の、彼女の読みだ。


 綺羅星は普通に考えて、進めるべきは王子様だと言った。

 王道中の王道、王子ルートは言われてみると確かにそう。

 だから、オレプロデュースの第一弾は、東雲暁だ。


「確か……この時期は」


 朝のホームルームが終わったばかりの、少し埃っぽい廊下。

 窓から差し込む春の陽光を背に受けて立っていると、鈴を転がすような、よく通る声に呼び止められた。


「守部くん」


 振り返ると、そこには東雲暁が立っている。

 三年生に進級したばかりの彼は、相変わらず完璧な笑顔を標準装備していた。

 明度の高い金色の髪が、朝の光を反射して眩しい。

 正直、ファインダー越しでも露出補正がいらないレベルで発光している。


「写真で忙しいのは分かっている。だが、守部くん。今日の午後、少し付き合ってくれないか」

「それ、撮影ですよね? 王子ルートのイベントですよね」

「王子ルート……?」

「あ……いえ。東雲先輩も三年生です。オレたちみたいに就職活動じゃないんだろうな……って」


 内心で実況しつつ、オレは首から下げたカメラを軽く持ち上げて見せる。

 すると暁は、ふっと困ったように笑った。


「確かに、そうだな。流石は守部……か。もうすぐ、王位継承の前儀式があるんだ。月詠さんにも来てもらう予定で」


 う……

 そう……なのだ。


 イベントスチルは知っている。

 でも……コレは実質、婚約イベントでは?


 月詠が、王族の儀式に呼ばれる。


 それでも、絶対に絵になる。


 というか、そんな厳かな場にオレ?

 ただのモブには荷が重すぎるが。


「了解です。公式記録係、フル稼働しますよ」


 オレが軽くポンとレンズを叩くと、暁はふっと息を吐き出し、少し安堵したような顔をした。



 午後。


 学苑から馬車が出た。

 馬車を見たのは、一年前のことだ。

 帝都の最奥にある、古い石造りの儀式堂へと向かう。


 普段は賑やかな道だが、今日は人通りが極端に少ない。

 足裏から伝わる石畳の冷たさと、微かに漂う香木の匂いが、空気を重くしていた。

 王族の一部と、儀式に関わる限られた貴族だけが、衣擦れの音を立てて静かに歩いている。


 月詠は、暁の少し後ろを歩いていた。

 鮮やかなサファイアブルーの長い髪が、歩くたびにサラサラと揺れる。

 彼女は時々、不安そうに金色の大きな瞳をきょろきょろと動かして、周囲を見回していた。


「大丈夫ですか、月詠さん」


 オレは小声で声をかける。

 すると、彼女はビクッと肩を震わせ、小さく頷く。


「はい……でも、私、こういう儀式、初めてで」

「まあ、王子様が連れてきたんですから、大丈夫でしょ。オレもカメラ持ってついてますし」


 無理もない。ここは禁足地。一般人は立ち入れない。


 だが竹取月詠は、帝国随一の魔力を持つ。

 王族と、その血縁に囲まれても、全く引けを取らない。 


 誇りも持ってよいと思いながら、オレは平然と儀式堂の重厚な木の扉をくぐる。


「……そ、そだよね」


 荘厳な空気が室内に満ちていた。

 ステンドグラスから漏れる色とりどりの光の中に、埃がキラキラと舞っている。


 カシャ──


 参列者たちは皆、息を殺すように静かに立ち並んでいる。

 金色の髪の王子が、祭壇の中央に立った。

 その傍らに、月詠が寄り添うように立つ。

 彼女は少し強張った顔で、両手を胸の前できゅっと重ねていた。


 カシャ──


 祭壇には、滑らかな純白の布が敷かれていた。

 その上に、細身で美しい儀式用のサーベルが置かれている。

 そして、鈍い光を放つ銀の小壺。


 並大抵の貴族は、その存在は知っていても、見たことはない。


 今日は、神聖な香油を使った『聖油式』なのだ。

 濃厚で甘い、百合と没薬を混ぜたような強い香りが、鼻腔をくすぐる。


 カシャ──


「そこに立って……うん。一礼して、壺に祈りを」


 月詠が、オレの言葉に従う。


 ヒロインが王位継承を祝福する、超重要な役目だ。

 問題は一つだけしかない。

 月詠が、その手順を全く知らないことだった。


 カシャ──


 オレは、月詠のすぐ後ろの死角まで回り込んだ。

 そして、ファインダーから目を離さず、ほとんど聞こえないくらいのヒソヒソ声で囁く。

 カメラは構えっぱなしだ。


「月詠さん。そこで……望月の聖なる力を、帝国の王の継承の証とします、だ」


 すると月詠が、オレの言葉を小さくおうむ返しする。


「……望月の聖なる力を、帝国の王の継承の証とします」


 彼女の白く細い指先が、銀の壺の中へそっと入れられる。

 とろりとした冷たい聖油が、たおやかな指先に纏わりつく。


 その間、月詠の大きな金色の瞳が、ちらりとオレの方を見た。

 すがるような視線を投げて、すぐに暁の顔へ戻る。


「……よ、よろしくお願いします」


 暁の朝焼けオレンジの瞳も、わずかに揺れていた。

 困惑したように、オレと月詠の間を視線が行き来している。


「月の女神の力を、東雲暁、貴方に授けます、だ」

「つ……月の女神の力を、東雲暁、貴方に授けます」


 また、おうむ返し。


 聖油に濡れた月詠の指先が、暁の滑らかな額に触れる。

 次に右肩、そして左肩へ。

 動作はひどくぎこちないけれど、なんとか形にはなっている。


「……はっ」


 二人の視線は、まだ落ち着かない。

 月詠はオレの口元を伺うように一瞬見ては、すぐに暁の目を見る。

 暁もまた、黒いレンズを向けるオレのカメラと、自分に触れる月詠の手を、きょろきょろと交互に追っている。


 ヒロインと王子様が、裏方のカンペを見ながら演技してる……みたいに見える……だけだ。


 そして、次。


 月詠の動きが、ふと止まった。

 合わせて、暁の動きも止まる。

 オレも、カメラを構えたまま息を止める。


 冷たい石造りの堂内に、数秒の沈黙が落ちた。


 カシャ──


 その沈黙の中で、二人の瞳だけがせわしなく動いていた。

 月詠はオレを見て、暁を見て、またオレを見る。

 暁も同じように、オレと月詠の間を視線で激しく往復している。


「あ、ここでサーベル」

「あ、ここでサーベル」

「それは口にしなくていい! サーベルを手に取って、切っ先を右肩、左肩、そして頭、だ」


 月詠はビクッとして、白い布の上からサーベルを静かに取り上げた。

 冷たい金属の擦れる音が、小さく響く。

 彼女は切っ先を暁の右肩に、左肩に、そして最後に頭の上へと掲げた。


 その瞬間だった。

 暁の体から、ブワッと膨大な魔力が溢れ出した。


 カシャ──


 淡く、しかし強烈な金色の光が、彼の全身を包み込むように立ち上がる。

 空気が震え、肌がビリビリと痺れるような熱を感じる。


「え?」


 月詠が、驚きに小さく声を上げる。

 彼女の大きな瞳は、目の前で溢れる光の奔流と、オレのカメラの真っ暗なレンズを、慌ただしく行き来していた。


 オレは構わず、眩しさに目を細めながらシャッターを切り続ける。


「女神に恥じることなく、国を治めなさい、だ」

「え……えと。め、女神に恥じることなく、国を治めなさい」


 光の中心で、暁がようやく口を開いた。


「……はい。精進いたします」


 これで一応終わり。

 暁もそう悟ったのか、落ち着いた静かな声だった。

 静かだが、石造りの壁に反響し、はっきりと重く響き渡った。


 カシャ──


 彼の朝焼け色の瞳は前を向く。

 誰を見るでもなく、王としての覚悟を示すように真っ直ぐ、遠くを向いていた。


「……安寧を」

「あ……安寧を──」


 熱を帯びていた魔力が、ゆっくりと収まっていく。

 堂内の空気が、ふっと元の静寂に戻った。


 オレは最後の一枚を撮り終え、カメラをゆっくりと下ろした。


 これで王子ルートの儀式イベント、無事クリアだ。


 ◇


 重苦しい儀式が終わった後。

 暁は月詠の前で、スッと静かに頭を下げた。


「今日は助かった。これからも、助けて欲しい」


 月詠は少し驚いたように丸い瞳を見開いて。

 それからすぐに、花が咲くように優しく微笑んだ。


「はい」


 それだけで、十分だった。

 余計な言葉はなく、ただ素直にコクンと頷いて。

 彼女は暁と並んで、重い木の扉を開け、儀式堂を出ていく。


 カシャ──


 オレはカメラを首から下げて、二人の背中を静かに見送った。


 輝くような金色の髪と、風に揺れるサファイアブルーの長い髪。

 二つの色が、硬い石畳の上を並んで遠ざかっていく。


 ……やっぱり、圧倒的に絵になるな。


 王子ルート、めちゃくちゃ順調だ。


 しばらくして。


 魔導カメラの片付けをしていると、暁が一人で戻ってきた。

 月詠は、先に学苑へ向かったらしい。


 彼はオレの前で立ち止まり、いつもの完璧な笑顔を少しだけ崩した。

 どこか、抱え込んだ重圧に疲れたような顔だ。


「守部くん。少し、話せるか」

「……いいですよ。オレも達成感あったっすし」


 オレが軽く応じると、暁はフッと苦笑した。

 そして彼は、周囲に誰も残っていないことを確認した。


 先の儀式で、一段と魔力が上がったのだ。

 鋭い視線を一度巡らせる。


 視線の意味、オレには全く伝わっていなかったが。


「今日、月詠さんを連れてきたのは……僕個人の気持ちだけじゃないんだ」

「え……と?」

「国家の安寧のために、彼女の力に協力してほしい、と。王族の意向、そういうことだ」


 彼は、朝焼け色の瞳で真っ直ぐにオレを見据えた。


「守部くんも、知っているだろう。君の家は……いずれ、すべての記憶が消える運命にある、と」


 シリアスなトーンで告げられた、その言葉。


 また、言ってる──と思った。


 オレはカメラのストラップを指で弄りながら、適当にコクンと頷いた。

 ループ式の乙女ゲームだから、毎回記憶を引き継いでたら困る。

 前の記憶がリセットされて消えるのは、当然のシステム仕様だ。


「そういう設定ですよね。オレは、ただのモブですし」


 流石に聞き飽きた。

 オレが軽く笑い飛ばすと、暁は少しだけ目を細めた。

 何か言い返したげに唇を動かしたが、結局、それ以上は口にしなかった。


「……君がいてくれて、助かったよ。本当に」


 彼は静かに背を向ける。

 ステンドグラスから差し込む午後の光の中で、彼の金色の髪が柔らかく揺れた。


 オレは一人残された儀式堂で、甘い匂いの残る空の銀壺と、祭壇の白い布をもう一度、カメラに収めた。


 カシャ──


 シャッター音が、やけに虚しく響く。


 第一王子のトップってのも、色々と大変なんだな。


 そんな暢気なことを思いながら、オレは堂内を後にした。

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