第62話 東雲家の聖油儀式
オレは、個別ルートの強制発生を狙う。
アドバイザーの言葉を、先ずは信じてみることにした。
裏切って常闇朔に寝返った『今の彼女』ではない。
一番最初の頃の、彼女の読みだ。
綺羅星は普通に考えて、進めるべきは王子様だと言った。
王道中の王道、王子ルートは言われてみると確かにそう。
だから、オレプロデュースの第一弾は、東雲暁だ。
「確か……この時期は」
朝のホームルームが終わったばかりの、少し埃っぽい廊下。
窓から差し込む春の陽光を背に受けて立っていると、鈴を転がすような、よく通る声に呼び止められた。
「守部くん」
振り返ると、そこには東雲暁が立っている。
三年生に進級したばかりの彼は、相変わらず完璧な笑顔を標準装備していた。
明度の高い金色の髪が、朝の光を反射して眩しい。
正直、ファインダー越しでも露出補正がいらないレベルで発光している。
「写真で忙しいのは分かっている。だが、守部くん。今日の午後、少し付き合ってくれないか」
「それ、撮影ですよね? 王子ルートのイベントですよね」
「王子ルート……?」
「あ……いえ。東雲先輩も三年生です。オレたちみたいに就職活動じゃないんだろうな……って」
内心で実況しつつ、オレは首から下げたカメラを軽く持ち上げて見せる。
すると暁は、ふっと困ったように笑った。
「確かに、そうだな。流石は守部……か。もうすぐ、王位継承の前儀式があるんだ。月詠さんにも来てもらう予定で」
う……
そう……なのだ。
イベントスチルは知っている。
でも……コレは実質、婚約イベントでは?
月詠が、王族の儀式に呼ばれる。
それでも、絶対に絵になる。
というか、そんな厳かな場にオレ?
ただのモブには荷が重すぎるが。
「了解です。公式記録係、フル稼働しますよ」
オレが軽くポンとレンズを叩くと、暁はふっと息を吐き出し、少し安堵したような顔をした。
◇
午後。
学苑から馬車が出た。
馬車を見たのは、一年前のことだ。
帝都の最奥にある、古い石造りの儀式堂へと向かう。
普段は賑やかな道だが、今日は人通りが極端に少ない。
足裏から伝わる石畳の冷たさと、微かに漂う香木の匂いが、空気を重くしていた。
王族の一部と、儀式に関わる限られた貴族だけが、衣擦れの音を立てて静かに歩いている。
月詠は、暁の少し後ろを歩いていた。
鮮やかなサファイアブルーの長い髪が、歩くたびにサラサラと揺れる。
彼女は時々、不安そうに金色の大きな瞳をきょろきょろと動かして、周囲を見回していた。
「大丈夫ですか、月詠さん」
オレは小声で声をかける。
すると、彼女はビクッと肩を震わせ、小さく頷く。
「はい……でも、私、こういう儀式、初めてで」
「まあ、王子様が連れてきたんですから、大丈夫でしょ。オレもカメラ持ってついてますし」
無理もない。ここは禁足地。一般人は立ち入れない。
だが竹取月詠は、帝国随一の魔力を持つ。
王族と、その血縁に囲まれても、全く引けを取らない。
誇りも持ってよいと思いながら、オレは平然と儀式堂の重厚な木の扉をくぐる。
「……そ、そだよね」
荘厳な空気が室内に満ちていた。
ステンドグラスから漏れる色とりどりの光の中に、埃がキラキラと舞っている。
カシャ──
参列者たちは皆、息を殺すように静かに立ち並んでいる。
金色の髪の王子が、祭壇の中央に立った。
その傍らに、月詠が寄り添うように立つ。
彼女は少し強張った顔で、両手を胸の前できゅっと重ねていた。
カシャ──
祭壇には、滑らかな純白の布が敷かれていた。
その上に、細身で美しい儀式用のサーベルが置かれている。
そして、鈍い光を放つ銀の小壺。
並大抵の貴族は、その存在は知っていても、見たことはない。
今日は、神聖な香油を使った『聖油式』なのだ。
濃厚で甘い、百合と没薬を混ぜたような強い香りが、鼻腔をくすぐる。
カシャ──
「そこに立って……うん。一礼して、壺に祈りを」
月詠が、オレの言葉に従う。
ヒロインが王位継承を祝福する、超重要な役目だ。
問題は一つだけしかない。
月詠が、その手順を全く知らないことだった。
カシャ──
オレは、月詠のすぐ後ろの死角まで回り込んだ。
そして、ファインダーから目を離さず、ほとんど聞こえないくらいのヒソヒソ声で囁く。
カメラは構えっぱなしだ。
「月詠さん。そこで……望月の聖なる力を、帝国の王の継承の証とします、だ」
すると月詠が、オレの言葉を小さくおうむ返しする。
「……望月の聖なる力を、帝国の王の継承の証とします」
彼女の白く細い指先が、銀の壺の中へそっと入れられる。
とろりとした冷たい聖油が、たおやかな指先に纏わりつく。
その間、月詠の大きな金色の瞳が、ちらりとオレの方を見た。
すがるような視線を投げて、すぐに暁の顔へ戻る。
「……よ、よろしくお願いします」
暁の朝焼けオレンジの瞳も、わずかに揺れていた。
困惑したように、オレと月詠の間を視線が行き来している。
「月の女神の力を、東雲暁、貴方に授けます、だ」
「つ……月の女神の力を、東雲暁、貴方に授けます」
また、おうむ返し。
聖油に濡れた月詠の指先が、暁の滑らかな額に触れる。
次に右肩、そして左肩へ。
動作はひどくぎこちないけれど、なんとか形にはなっている。
「……はっ」
二人の視線は、まだ落ち着かない。
月詠はオレの口元を伺うように一瞬見ては、すぐに暁の目を見る。
暁もまた、黒いレンズを向けるオレのカメラと、自分に触れる月詠の手を、きょろきょろと交互に追っている。
ヒロインと王子様が、裏方のカンペを見ながら演技してる……みたいに見える……だけだ。
そして、次。
月詠の動きが、ふと止まった。
合わせて、暁の動きも止まる。
オレも、カメラを構えたまま息を止める。
冷たい石造りの堂内に、数秒の沈黙が落ちた。
カシャ──
その沈黙の中で、二人の瞳だけがせわしなく動いていた。
月詠はオレを見て、暁を見て、またオレを見る。
暁も同じように、オレと月詠の間を視線で激しく往復している。
「あ、ここでサーベル」
「あ、ここでサーベル」
「それは口にしなくていい! サーベルを手に取って、切っ先を右肩、左肩、そして頭、だ」
月詠はビクッとして、白い布の上からサーベルを静かに取り上げた。
冷たい金属の擦れる音が、小さく響く。
彼女は切っ先を暁の右肩に、左肩に、そして最後に頭の上へと掲げた。
その瞬間だった。
暁の体から、ブワッと膨大な魔力が溢れ出した。
カシャ──
淡く、しかし強烈な金色の光が、彼の全身を包み込むように立ち上がる。
空気が震え、肌がビリビリと痺れるような熱を感じる。
「え?」
月詠が、驚きに小さく声を上げる。
彼女の大きな瞳は、目の前で溢れる光の奔流と、オレのカメラの真っ暗なレンズを、慌ただしく行き来していた。
オレは構わず、眩しさに目を細めながらシャッターを切り続ける。
「女神に恥じることなく、国を治めなさい、だ」
「え……えと。め、女神に恥じることなく、国を治めなさい」
光の中心で、暁がようやく口を開いた。
「……はい。精進いたします」
これで一応終わり。
暁もそう悟ったのか、落ち着いた静かな声だった。
静かだが、石造りの壁に反響し、はっきりと重く響き渡った。
カシャ──
彼の朝焼け色の瞳は前を向く。
誰を見るでもなく、王としての覚悟を示すように真っ直ぐ、遠くを向いていた。
「……安寧を」
「あ……安寧を──」
熱を帯びていた魔力が、ゆっくりと収まっていく。
堂内の空気が、ふっと元の静寂に戻った。
オレは最後の一枚を撮り終え、カメラをゆっくりと下ろした。
これで王子ルートの儀式イベント、無事クリアだ。
◇
重苦しい儀式が終わった後。
暁は月詠の前で、スッと静かに頭を下げた。
「今日は助かった。これからも、助けて欲しい」
月詠は少し驚いたように丸い瞳を見開いて。
それからすぐに、花が咲くように優しく微笑んだ。
「はい」
それだけで、十分だった。
余計な言葉はなく、ただ素直にコクンと頷いて。
彼女は暁と並んで、重い木の扉を開け、儀式堂を出ていく。
カシャ──
オレはカメラを首から下げて、二人の背中を静かに見送った。
輝くような金色の髪と、風に揺れるサファイアブルーの長い髪。
二つの色が、硬い石畳の上を並んで遠ざかっていく。
……やっぱり、圧倒的に絵になるな。
王子ルート、めちゃくちゃ順調だ。
しばらくして。
魔導カメラの片付けをしていると、暁が一人で戻ってきた。
月詠は、先に学苑へ向かったらしい。
彼はオレの前で立ち止まり、いつもの完璧な笑顔を少しだけ崩した。
どこか、抱え込んだ重圧に疲れたような顔だ。
「守部くん。少し、話せるか」
「……いいですよ。オレも達成感あったっすし」
オレが軽く応じると、暁はフッと苦笑した。
そして彼は、周囲に誰も残っていないことを確認した。
先の儀式で、一段と魔力が上がったのだ。
鋭い視線を一度巡らせる。
視線の意味、オレには全く伝わっていなかったが。
「今日、月詠さんを連れてきたのは……僕個人の気持ちだけじゃないんだ」
「え……と?」
「国家の安寧のために、彼女の力に協力してほしい、と。王族の意向、そういうことだ」
彼は、朝焼け色の瞳で真っ直ぐにオレを見据えた。
「守部くんも、知っているだろう。君の家は……いずれ、すべての記憶が消える運命にある、と」
シリアスなトーンで告げられた、その言葉。
また、言ってる──と思った。
オレはカメラのストラップを指で弄りながら、適当にコクンと頷いた。
ループ式の乙女ゲームだから、毎回記憶を引き継いでたら困る。
前の記憶がリセットされて消えるのは、当然のシステム仕様だ。
「そういう設定ですよね。オレは、ただのモブですし」
流石に聞き飽きた。
オレが軽く笑い飛ばすと、暁は少しだけ目を細めた。
何か言い返したげに唇を動かしたが、結局、それ以上は口にしなかった。
「……君がいてくれて、助かったよ。本当に」
彼は静かに背を向ける。
ステンドグラスから差し込む午後の光の中で、彼の金色の髪が柔らかく揺れた。
オレは一人残された儀式堂で、甘い匂いの残る空の銀壺と、祭壇の白い布をもう一度、カメラに収めた。
カシャ──
シャッター音が、やけに虚しく響く。
第一王子のトップってのも、色々と大変なんだな。
そんな暢気なことを思いながら、オレは堂内を後にした。




