第61話 花見と決意
自室の机の前で、オレは力なく突っ伏していた。
一枚の紙が、目の前に広がっている。
学校で、机があって、椅子に座って、机の上に答案用紙。
(お約束だけど! コイツら、全然勉強しないよね!)
心の中で盛大に叫ぶ。
卒業生は無事に、いや将来が無事かはさておき、皆いなくなった。
その後、結局オレは病院送り。
気付いたら、問題が並べられていた。
真に問題なのは、アドバイザーが六人目のヒーローを推すことなのだが。
( オレも含めてだけどっ!)
先ずは学徒として、目の前の問題を片付けなければならない。
だが、この一年。勉強なんてしていない。
授業シーンなんて、描かれていない。
教師はいたが、授業は持たない保健室の先生だ。
(あー……無理だ。分かるわけない。守部弥彦……って名前くらいしか)
ゲームでは描かれない望月の国の常識。
帝国の法律なんて、分かるわけもない。
ましてや、魔法体系とか、雑にしか扱われていない。
オレは黙って、名前のみを書いて……
寝た。
その筈が——
目の前の掲示板には、大きな紙が二枚並べられていた。
一枚は一年、もう一枚は二年。
先日行われた、学年末試験の結果が張り出されていた。
オレは、そこに記された守部弥彦という名前を、二度見、いや三度見した。
「……は?」
見事なまでの、高得点。
0点の筈だ。赤点ギリギリどころの騒ぎじゃない。
だが、学年上位に食い込みそうな立派な数字が並んでいる。
「月詠、さっすがー!」
「ふむ。学年が違うが。とはいえ、余裕の一位か」
「守部も、なかなかやるね」
オレだけじゃない。
周囲を見渡せば、メインキャラたち。
彼ら、彼女らも、軒並みハイスコアを叩き出していた。
あの脳筋騎士の真昼剛でさえ、満面の笑みで答案用紙をバサバサと振っている。
「学年五位か。 目を瞑ってやったにしてはまずまずだな」
「目は開いてたよ?」
カシャ——
とりあえず、撮っておく——って、おかしいだろ!
お前、放課後は毎日剣の素振りしかしてなかったじゃん!
そもそも、この学苑の連中は勉強なんか完全に後回しだ。
誰も彼も、恋愛イベントや日々のいざこざにしか頭が回っていなかったはずだ。
もちろんオレも含めて、である。
日々のカメラマン業にかまけて、文字を読んだ記憶すらまともにない。
「絶対に適当な採点してるじゃん!」
即ち、八百長だ。
心の中で、盛大にツッコミを入れた。
……まぁ、そういうもの。
ここは都合良く回る乙女ゲーの世界なのだ。
『補習で二人きりの居残り』なんて、残念ながらイベントスチルに存在しない。
毎月毎月、イベントで埋まり尽くしている。
オレは深く考えるのをやめ、カメラを仕舞った。
◇
そして、早い花見イベントの日がやって来た。
桜が満開に咲き誇る、広大な公園。
予定通り、三年生も含めた全生徒が参加する合同行事だ。
しかも今回は、四月から入学してくる新入生たちも混じっている。
その中には当然、朔の国から来た生徒たちの姿もあった。
会場には、どこかピリピリとした妙な雰囲気が漂っていた。
「……警戒は必要だな。雷は、いつでも撃てる」
光を反射するような黄金色の髪を揺らし、東雲が低く呟く。
長身で姿勢の良い彼から、いつでも王家の剣を抜けるような緊張感が漏れ出ている。
「騎士は女神を守るためにある。変な真似はさせねぇからな」
炎のように逆立った赤い髪の真昼が、太く逞しい腕を組む。
真夏の太陽に焼かれたような肌が、好戦的な熱を帯びていた。
「空間の歪みはないが、空気が重い。異界の残滓か」
夜闇を溶かしたような深い青の髪を流し、宵坂先生が冷静に分析する。
白衣のポケットに手を突っ込んだまま、気だるげな視線を周囲に配っていた。
「合同行事なのに、統制が取れていない。私は反対したんです……」
新緑を思わせる柔らかな緑髪の暮小路が、生徒会役員らしく指摘する。
レンズの奥で細められた瞳は、何を考えているのか読み取れない。
「花を見るには、少し落ち着かない空気だね」
淡い藤色の髪を風に揺らしながら、夕星が言う。
色白で線の細い身体から、いつでも結界を展開できるよう魔力を練っているのが分かる。
そんな中。
異彩を放つ一人の少年が、口を開いた。
「……望月の人間は、血の気が多いの」
闇そのものを切り取ったような漆黒の和装の袖を揺らし、常闇朔が短く言い捨てる。
「攻めてきた異界の者のセリフか?」
極彩色の世界で彼一人だけが、色のない墨のような髪と、血を思わせる赤い光を宿した瞳を持っていた。
「怖い怖い。桜の下でも油断はできぬらしい」
オレは、今がチャンスだと思った。
「いやいや。おかしいですよね、東雲先輩」
焚きつけようと、オレは真っ先に彼へ近づく。
朔の国が悪いという印象を、自然な会話の流れでヒーローたちに植え付ける作戦。
その、記念すべき第一手だ。
「こっちは人死にも……」
だが、オレが言葉を続ける前に。
スッと横から入り込んできた綺羅星が、口を開いた。
「ねっ! 月詠、どう思う?」
鮮烈な桃色の髪が揺れる。
彼女は萌え袖のカーディガンで口元を隠しながら話を、彼女に振った。
「えっと……」
話を振られた月詠は、舞い散る桜の花びらを眺めていた。
宝石のように澄んだ青い長髪に、薄紅色の花びらが降り注いでいる。
「守部くん……それは酷い……かも」
彼女は、満月のように丸く大きな瞳をパチクリとさせて。
そして、誰にでも平等に向ける穏やかな笑顔で答えた。
「……朔くんは助けてくれたし。悪い子じゃ……ないし」
その優しくて残酷な一言で。
オレの完璧な印象操作作戦は、一瞬にして見事に空振りした。
それは……オレも知っている。
これ以上は言えなかった。
月詠の言葉に、ヒーローたちの表情がわずかに和らぐ。
彼らは月詠に甘いから、月詠が言えばそれに従う。
月詠がそう言うのならと、張り詰めていた警戒の空気が少しだけ解けていく。
「朔くんは、こっち。月詠の隣がいいよ。あのカメラ、危ないから」
「あやつは、危なそうには見えぬが」
その僅かな隙を突くように、綺羅星が鮮やかに場を回し始める。
「それより、何処に住むか決めたの?」
「ワシはまだ入学が正式には——」
自然な笑顔と相槌。
話題を花見の弁当や新学期への期待へとシフトさせていく。
正直言って、その動きを一年前から見たかった。
アドバイザー・綺羅星は上手い。
あまりにも、立ち回りが上手すぎる。
オレはカメラを握りしめたまま、奥歯を噛み締めた。
イベントスチルカメラマンに出来ることなんて、青春の記録だ。
写真なんかじゃ、到底対抗できない。
「守部。こっちっ! カメラマンでしょ」
月詠が、異国から来た少年に、食べ方を教えているシーン。
花見のシーンは、他のヒーローのを撮りたかったのに。
「月詠。ワシは一人で食べられる」
オレは、しぶしぶシャッターを切った。
教頭からも言われている。常闇朔も守部カメラで撮るように。
綺羅星はそんな言葉一つで、その場の空気そのものを支配してしまう。
◇
考えてみればそれはそうだ。
乙女ゲームの進行において、竹取月詠が一番身近で頼りにするのは親友の綺羅星キラだ。
ヒロインは彼女に相談し、助言をもらい、背中を押されて攻略対象を決めていく。
そういう、絶対的な「ゲームアドバイザー」のポジションなのだ。
その彼女が今、常闇朔を月詠にお似合いとして推している。
日和見貴族としての観察眼とかいう設定だ。
綺羅星の理屈だと、常闇こそが圧倒的な勝ち馬だと判断し、才能の塊である月詠を嫁がせて、今後も綺羅星家が栄える。
ゲーム的には、更に単純だ。
主人公は、アドバイザーの意見を聞いて、ヒーロールートを常闇ルートにした。
素直なキャラで、公式アドバイザーの言う通りに行動したら、どうなるか。
常闇ルートへと一直線に転がる。
だが、それだけは絶対に駄目なのだ。
バッドエンドなのだ。
真っ黒な闇に塗り潰される『煉獄の日』のバッドエンドを迎えるのだ。
オレは、ギュッと拳を握り込んだ。
自然な会話での誘導が無理なら、実力行使だ。
無理やりにでも、個別ルートを再現してやる。
ターゲットは、綺羅星が企てる常闇ルート以外の五人全員。
東雲、真昼、夕星、暮小路、そして宵坂。
誰でもいい。誰か一人のフラグを、オレが強引にへし折ってでも立ててみせる。
いつ、どこで、どんなときめきイベントが起きるか。
誰がどんな行動を起こせばスチルが回収できるか。
その光景は、全部オレの頭の中に焼き付いているんだ。
アドバイザーの政治力には、モブのカメラマンじゃ勝てないかもしれない。
だけど、オレには過去六回分の人生で見てきた、確固たる未来の記憶がある。
未来を知るオレを舐めるなよ、——綺羅星キラ。




