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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第三章 モブは魔界の王子様と出会う

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第60話 お礼参りという特殊イベント

 卒業式が終わった。


 オレは首からカメラを下げて、足早に校庭を離れようとした。

 知らないモブたちの顔ばかりを撮らされた。

 だが、あのカラフルな髪の海の中にはイベントがあった。

 東雲の一枚。これは唯一の救いだった。


「危なかった……。東雲暁のイベントだったのか」


 以前にも言った通り、東雲暁と真昼剛はイベントスチル数、ワースト1位と2位。

 知らないイベントが眠っている可能性がある。


「だったら次は体育館……? 武道館だっけ」 


 誰も卒業しないが、イベントはイベント。

 他のヒーローを探して、移動しようとした。


 その時、グッと腕を掴まれた。


「おい、守部」


 振り返ると、カラフルな髪をした三年生たちが、複数人でオレを囲んでいた。

 男も、女も複数人いる。

 全員、オレより多分、ひとつ年上だ。


「ちょっと裏、来いよ」


 ちょうど真昼剛を探しに行こうとしていた。

 彼らの殺気だった気配に、抗う暇もなかった。


「すみません。オレ、あっちで撮影を……。って?」


 そこから更に腕を強く引っ張られた。

 気付けば、体育館の裏手へと引きずられていく。


 校庭の喧騒が遠ざかり、コンクリートの壁に囲まれた静かで冷たい空間に出た。


 卒業生たちは、じりじりとオレの行く道を塞ぐ。


「てめょ。撮ってねぇだろ、俺らのこと」

「三年間、一度もだぞ」


 知らない誰か。

 イベントスチルに居ないキャラ。

 ドンっ! とオレの顔の横に腕が伸びた。


「次代の若者が通う学校の生徒を撮る仕事なのに、一年と二年しか撮らねぇのかよ」

「卒業式ですら、二年生を撮り始めたじゃねぇか」

「東雲家は偉大だよ。分かってる。でも俺たちも、私たちも、次代を担う若者だ」


 恨み言と罵声が、次々と降ってくる。

 オレは一歩横にずれようとしたが、すでに逃げ道は塞がれていた。


 ぱきっ……ぽきっ……


 指を鳴らす音がした。

 誰かが腕を回し、首を鳴らす。


「卒業参りだ、この野郎」

「そっ」


 最初の拳が、オレの腹に深く食い込んだ。


「ぐっ……!」


 暴力は嫌いだし、苦手が。

 腹に刺さった拳に、オレは一発で崩れ落ちた。

 そのまま、別の男に蹴られる。

 這い出て逃げようとしたら、女の足がオレの手を踏む。


 更に蹴られて、転がり戻されて、巨躯の男に掴まれた。

 空を舞い、固い地面に投げられる。


「と、撮ります……!」


 情けなく怯えた声が、自分の口から出た。

 条件反射的に、カメラを構える。

 自分に向けられる暴力の最中。

 彼らを、震える手でファインダーに収めようとした。


「今、撮ってんじゃねぇ!」

「ばかじゃないのっ!」


 振り抜かれた拳が、今度はオレの顔面に飛んできた。

 視界が、一瞬、真っ白に飛んだ。


「ぐ……ぁ」


 次の瞬間には、地面に伏せていた。

 コンクリートの冷たい感触が、頬にベッタリと張り付く。


 なんでオレがこんな目に……


 痛みが、一拍遅れて全身を走った。

 腹、肩、顔。

 まだ肩も完治していないのに、また傷だらけだ。


 熱を持ってボコボコに腫れ上がっていく。


「……う、ぇ」


 暴力行為を撮られたと思って、逆上していた。

 文字通り、袋叩きにあった。

 腹を蹴られ過ぎて、吐きそうになる。

 胃の中のものが、不快感と共に喉まで上がってくる。


「てめぇのせいで、俺らはなっ!」

「誰にも見てもらえないんだよ」


 囲んでいる影が、ゆらゆらと揺れる。

 名も知らないカラフルな髪が、陽光を反射してやけに目に痛い。


 なんだよ、これは……


 オレは、何やってんだ?


 カメラを固く握ったまま、動けない。

 顔ではなく、必死にカメラを守る。

 亀のように固まり、情けなく震えている。


 何をやらされてるんだ?


 学生たちの、青春の写真。

 彼らの主張は、真っ当だ。

 オレの仕事は、この学苑の生徒たちの姿を記録に残すことだった。


 ──なんで、撮らなかった?


 メインキャラしか、追わなかった。

 イベントスチルに残る顔だけを、必死に追いかけた。

 目の前にいる、名もなき三年生たちの三年間を、完全にスルーした。


「撮らねぇなら、俺らが取ってやるよ」


 誰かが、靴の先でオレの腹のあたり、大事なカメラを蹴り上げた。

 レンズのガラスが、嫌な音を立てて軋む。


「やめろ……! 壊すな……!」


 声が掠れる。

 痛みと混乱が、頭の中をぐちゃぐちゃに埋め尽くす。


「そんなにカメラが大事かよっ!」


 カメラは守れた。

 でも、オレが守れていない。


 でも、でも──


 オレは、奥歯を噛み締めて踏ん張った。


「ちょっと……流石にこの辺で」

「どうせ、守部だ。全部忘れちまうんだよ」


 モブさえも、同じことを言う。

 いや、本当にモブなのか?


 ってか。早く来いよ、時間スキップっ!


 止まらない拳。足。


 そして、微かな魔力。


 痛い。

 腹が裂けそうで、顔が腫れ上がり、吐き気が止まらない。


 ——だけど


「お前たちは……違うっ……」

「なんだと?」

「おい。これ以上は死んじまうぞ」

「……なねぇよ」


 東雲の、雷を纏った眩い剣。

 真昼の、岩をも砕く鉄塊のような一振り。

 宵坂の、空間そのものを断ち切る術。

 暮小路の、完璧に統制された計算ずくの動き。

 夕星の、絶対的な結界と優雅な舞い。


 全然違う。


 ヒーローたちが振るう力は、根本的に桁が違う。


 異界との衝突で発生した魔物を、影を切り裂く。

 空間を歪め、地面をドロドロに溶かす。

 本気で殺意を乗せてくる、巨大な獣屠る。


 ヒロイン・竹取月詠が来るのを、待つ余裕さえある。


 目の前の連中が振るうのは、ただの拳と足と、ほんの微かな魔力だけだ。

 痛いが、死なない。

 ヒーローたちの規格外の戦いに比べれば、これは


 ……まだ、青春の延長線上にある。


 オレは、血の滲む歯を食いしばった。

 軋むカメラを、ギュッと握り直した。


「……青春、撮ろうか?」

「殺すぞっ」


 ◇


 ずっと、殴られた。

 記憶が消えるとか言いながら、容赦なく蹴られた。

 流石に、意識が遠のいていく。


 やっと時間スキップ──か

 このまま、暗闇に落ちる。


 だが、その時。


 声がした。


「……なんじゃ。これは」


 凛とした、高い声。

 でも、確かに男の声だった。


 薄れゆく意識が、強引に引き戻される。


 黒い和装が、脳裏にチラついた。

 墨色の髪が見えた気がした。

 夜より暗い瞳の奥に差す、血月の色をした鋭い光。

 そして、頭から生えた角。

 周囲の極彩色の髪の中で、彼だけが異質な無彩色を纏っている。


「望月の国の人間は、弱いモノいじめが好きなようじゃな」


 ──常闇朔。


 卒業生たちは、その角の異様さに気付いていない。

 ただの小柄なガキだと判断したらしい。


「なんだ、このガキ」

「子供は引っ込んでろ」


 常闇朔は見た目はまだ、少年の域だ。

 それでも、彼にそれを言ってはならない。

 無神経な一言で、場の空気が完全に凍りついた。


 オレは掠れた声で叫んだ。


「止めろ、常闇……!」


 朔は振り返りもせず、低い声で答える。


「貴様は……。勘違いするな。ワシは弱い者いじめが嫌いなだけじゃ」


 見事な鞘に収まった刀は、抜かない。

 ただ、八卦のような滑らかで不可解な歩法で踏み込んだ。


 ドッッッウンッッ!!!


 次の瞬間、卒業生たちがまとめて吹き飛ばされていた。


 拳も足も、魔力も、一切触れさせない。


 まるで突風に舞う落ち葉のよう。

 三年生たちが次々とコンクリートの壁に叩きつけられた。


 圧倒的だ。次元が違う。


 その凄惨な光景の間を縫って、別の影が滑り込んできた。


 鮮やかなサファイアブルーの髪が、尾を引いて揺れる。

 ヒロイン・竹取月詠だ。


「酷い……。もう、大丈夫だから。私が……」


 彼女の心配そうな声。

 重なるように、明るい声が上から降ってきた。


「守部くん、イベントじゃないの、これ」


 ピンクの髪は霞んだ視界でも目立つ。

 綺羅星キラが、腫れあがったオレの瞼の奥を覗き込んでいた。


 オレの腫れた目は、重かったがそれでも見開かれた。


 ──このイベントを知っている。


『不良生徒からヒロインを守るシーン』


 乙女ゲーにおける、王道中の王道イベントだ。


 だから勝手に、端々が痛む体が動いた。

 シャッターを切るくらいの力は、まだオレの指先に残っていた。


 壁際で呻いていた卒業生の一人が、月詠と朔を見て怯えた声を上げる。


「な、なんだ。お前はっ! 一年か」


 朔が、面倒臭そうに、だが静かに答えた。


「ワシは朔。常闇朔じゃ。一年……ではないな。まだ、入学しておらんからの」


 オレは、ファインダー越しにその光景を捉えた。


 カシャ──


 痛みを忘れて、シャッターを切った。


 レンズ越しに、月詠を守るように立つ常闇朔の姿を捉えた。


 その為のイベント……


 頭の中で点と点が、一本の線として完全に繋がった。


 ……だから、時間が飛ばない。


 っていうか、これ。

 なんでオレは今日、あのタイミングで三年生たちを撮らされていた?


『写真撮らないの?』


 校庭でオレを呼び止めたのは、綺羅星キラだった。

 彼女の何気ない一言が引き金になった。

 教頭と宵坂があの場にいた。


 結果として、オレは逃げ道を完全に塞がれたのだ。


 そして、体育館の裏手へ引きずり込まれた。


 卒業生たちは、オレの姿を見るなり逆上した。

 オレは三年間、メインキャラにしかレンズを向けなかった。

 彼らの行為は、オレへの積もり積もった不満と怒り。


『綺羅星家が、三百年もかけてようやく掴んだ有望株の男子を……ね?』


 綺羅星は、そう言い切った。

 彼女の観察眼は、学苑内の不穏な空気を掴んでいたはずだ。


 そして、オレがボコボコにされているこの完璧なタイミングで。

 都合よく、常闇朔が現れた。


 ただの偶然?

 そんなわけがない。


 不良生徒に絡まれるオレ。

 それを見つけて、放っておけずに飛び込んでくる正義感の塊、竹取月詠。

 そして、彼女の危機に際して――朔が動く。


 すべては、月詠と朔の為の舞台。

 オレは、その王道イベントを発生させるための、ただの「生贄」として利用された。


 視線の先には、その女がいた。


『守部、イベントでしょ?』と言っている顔。


 オレを見下ろす、無邪気な笑顔。


 ……やられた。


 アイツは盤面を支配して、自分の推しである常闇朔のルートを、力技でこじ開けやがった。


 これが、乙女ゲーの「アドバイザー」の力……


 腫れ上がった顔の痛みが、今さらになってドクドクと主張し始める。

 オレは冷たいコンクリートに這いつくばったまま。


 ただただ、圧倒的な敗北感を味わうしかなかった。

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