第56話 魔女は孤独に彷徨い、彼と出会う
結論から言わせてもらう。
今月の撮影成果は、完全なる全滅だ。
これまでのイベントスチル、そのすべてが失敗に終わっている。
宵坂のイベントも、暮小路の街道護衛も、夕星の神社の逢瀬も
東雲と真昼の燃えている村の救出劇も。
二月のオレのアルバムには、一枚もまともな写真が残っていない。
「ってか……」
宵坂と月詠が並んで写るはずだった帝都での市街戦。
とある理由で、画角がおかしくなった。
街道護衛イベントでも、次期宰相の暮小路の前に誰かが張り切りすぎた。
夕星が髪を揺らして雅に魔法を放っていたが、その前に。
絶妙なタイミングで綺羅星キラのピンク色の頭が入り込んできた。
「オレのせい?」
あいつ、オレのカメラの射線を完全に塞いでいやがった。
そして極めつけは、あの燃えている村の襲撃イベントだ。
赤髪の熱血騎士・真昼と、発光するほど顔がいい王子・暁。
あのヒーロー二人が無駄に構図を独占して、肝心の月詠が画面の端に追いやられていた。
「……オレ、言ったよな。一人ひとりが、別のエリアを担当するって……。オレのせいじゃないだろ」
首から下げたカメラのストラップを、ぎゅっと握り直す。
オレの手は、オレの脳みそは、いつだって正しいファインダーの位置を知っている。
ゲームを何周も繰り返してきた身体が、無意識にベストポジションを覚えている。
そのはずなのに。
「絶対にアイツのせいだよね?」
ゲームのアドバイザー役であるはずの綺羅星キラ。
彼女が、明らかにオレの邪魔をしている。
それでも、だ。
オレはこの場所に賭けていた。
ここには絶対に来るはずだと思っていたのだ。
「モブ相手だからって、舐めるなよ」
5人のヒーローの、誰かが来る。
そしてここは、綺羅星の計画に、今日の予定に入っていない。
地図上では貧民街として、ただグレーに塗り潰されているだけの場所。
学苑の警備計画からも、炊き出しの割り当てからも、生徒会の巡回ルートからも。
だが、背景になっていたスラム街だ。
「ここのイベントスチルをオレは知っている──」
だからこそ、オレは誰にも言わずに密かに移動したのだ。
おぼろげな記憶の底にある、イベントスチルの画角を探して。
今度こそ、あの鋭い綺羅星に邪魔されないように。
遠巻きに、複数の地点を物色して歩く。
『──守部、あんたは学徒の青春の撮影役でしょ?』
あの時見せた、余裕のある笑顔。
「だから、なんだよ……」
アイツの行動理論が分からない。
いや、絶対に間違っている。絶対にバグっている。
「イベントスチルは実際に存在してる。そしてオレはイベントスチルカメラマンだ」
高台から、入り組んだ路地の奥まで視線を這わせる。
石段に腰かけ、乾いた洗濯物の隙間に望遠レンズを差し込む。
視界に入るのは、錆びた物干し竿。
剥がれかけたトタン屋根。
遠くで響く子どもの声。
うん、悪くない。
むしろ、最高にいい。
乙女ゲーの背景美術としては、こういうのは良い。
生々しい陰がある場所ほど、光が際立つ。
劇的な告白イベントの真価が、ここでこそ発揮されるはずなのだ。
「よし、ここだな。さあ、誰でもいいから来い。できれば暁あたりで」
ファインダーを覗き込んだ、その時だった。
背筋を撫で上げるような、嫌な気配を感じた。
空気が、ひとつ下の階層にストンと落ちたみたいに冷え込む。
肌の表面だけが、これから起きる惨劇を先に知っているような感覚。
「ま、ま、ま、……魔物?」
でも、オレは信じていた。
これは乙女ゲームだ。
魔物が現れたってことは、つまり熱い戦闘イベントが始まるってことだ。
それはつまり。
月詠と、彼女を守るヒーローの。
「来た来た来た来たっ!」
本気で、期待に胸を膨らませた。
カメラを構える手が小刻みに震えた。
武者震いってやつだ。たぶん。
そして、ファインダー越しにそれを見つけた。
路地の向こうで、一人で魔物を切り裂いている月詠の姿。
ヒロインだからオーラがある。ヒロインだから間違えない。
しかも──
「月詠、強ぇっ。流石はヒロインだ」
彼女の鮮やかなサファイアブルー。
長い髪が、路地の暗がりで一本の光の線みたいに走る。
次々と襲いかかる狼型の魔物が、彼女の規格外の魔法で影になって消えていく。
すさまじい速度だった。
オレのシャッター速度がまるで追いつかない。
いや、違う。そうじゃない。
「……あれ? 月詠、だけ?」
レンズから目を離し、肉眼で周りを見渡す。
彼女の周りに、ヒーローの姿がない。
どこにもいない。
赤も、紫も、緑も、群青も、金髪も。
あの無駄に顔がいい連中の姿が、どこにも見当たらない。
「いやっ! ヒーロー、どこに行ったんだよ?!」
誰も来ない。
月詠が、たった一人で魔物の群れに囲まれていく。
三方から。そして四方から。
狼の影が路地の壁を這い上がり、頭上からも雨のように降ってくる。
無敵に思えた彼女の魔法が、明らかに物量に押され始めていた。
「ヒーロー、何やってんだよっ。って、月詠がやられたらどうなる?」
期待で熱くなっていた頭の中が、急速に冷えていく。
オレの頭の中には、六周分のイベントスチルの記憶がある。
どのルートの結末にも、必ず月詠の姿があった。
全部の写真の中心に、当然のように月詠がいるのだ。
じゃあ——月詠がいない世界の写真は?
──ない。
一枚も、存在しない。
「つまり、これってゲームオーバー……ってこと?」
高台にいたオレは、弾かれたように空を見上げた。
頭上から滑空してくる、巨大な黒い影。
影の鷹だった。
異常なほど、でかい。
翼の縁が、焼け焦げたみたいに黒く縮れている。
「あの鷹。確か、月詠を襲って──」
そういうイベント。
なら、ヒーローが来る?
モブが行って、どうする?
「──って、気付けよ! 上だよ、上っ!」
鋭い鉤爪をむき出しにして、一直線に月詠の背後へと向かっていた。
月詠は、上空の死角にまったく気づいていない。
地上の狼を、まだ律儀に一体ずつ正面から祓っているのだ。
オレは気づけば、高台から飛び出していた。
石段を三段飛ばしで駆け下り、干してあった洗濯物を派手に跳ね飛ばす。
制服をバサバサとはためかせ、学生帽を目深にかぶったまま、全力で路地を駆ける。
頭のどこかではまだ、ヒーローを待っている。
首から下げた大切なカメラを庇うために、器用に身体を捻っている。
こんな時にまでカメラマンの習性が出る。
マジでバカか。いや、有能かよ、オレ。
「魔界の王子、常闇朔のルート以外にも、バッドエンドあったのかよっ!」
凶悪な爪が、月詠の細い背中に迫る。
オレは、その軌道の真ん中へと、強引に身体を割り込ませた。
「月詠っ! なに一人で無茶やってんだよっ!」
◇
そんなわけで、 気付いたら、ここに居た。
オレの身体は、ただのモブだ。
巨大な鉤爪が、オレの肩に深く食い込んだ。
抉るような感触。
ブチブチと肉が裂ける不快な音が、すぐ耳元でした。
自分の体から出た音だとは、しばらく認識できなかった。
「守部……くん……?」
衝撃と痛みで、頭に乗せていた魔法の学生帽がずり落ちる。
安物の認識阻害魔法がかかった、守部の帽子だ。
それが風に煽られ、乾いたアスファルトの上に転がった。
その瞬間。
満月のように大きな月詠の金色の瞳が、極限まで見開かれた。
「──失せなさい」
その直後の、たった一言。
いつものふんわりとした彼女の声ではなかった。
語尾がやわらかく溶けることも、語順に迷いが挟まることもない。
ただ純粋な、絶対的な命令だけがそこにあった。
「ひ……」
オレが消えそうな程の魔力に、オレの口が悲鳴を上げる。
その瞬間、頭上の鷹の影は、強烈な光に焼かれるようにして消滅した。
路地を這い回っていた狼の群れも、まとめてだ。
断末魔の声を上げる暇すらなく、文字通り声もなく消し飛んだ。
これが……
竹取月詠……
月の魔女の力……かよ
誰かを救う時にだけ、力を発揮する彼女の規格外の大魔法。
さっきの絶望的な時間は何だったのか。
余波として、焦げた黒い羽根が一枚だけが、ゆっくりとオレの目の前に落ちて、溶けて空中へと消えた。
「守部くんっ!」
その力を使った月詠が、血相を変えて駆け寄ってくる。
サファイアブルーの長い髪が、大きく揺れた。
「守部くん! 大丈夫!?」
言われて、オレは自分の肩の惨状に気づいた。
赤い噴水なんて初めて見た……。
いや、初めてではないか。
オレは死ぬ前に酷い戦争を見たんだ。
だが、オレの口から先に出たのは悲鳴じゃなく、説教モードだった。
「月詠。お前、一人で何をやってるんだよ」
「何って……人助け、だよ」
「いや、そうじゃなくて。なんで一人なのかって聞いてるんだよ」
「……」
頬を膨らませる、愛らしい魔女の娘。
黄金の瞳が反抗的に、半分だけ瞼がかかる。
「お前の周りには、月詠を助けたいって奴らが山ほどいるだろ!」
「うん。でも、みんなそれぞれ担当してる警備の場所があって……」
天然で優しく、そして何より優柔不断なヒロイン。
だが、オレは舌打ちに近い息を吐いた。
「だからって、一人でこんな手薄な場所に来るな。死ぬぞ」
オレの言葉に、月詠は少し目を細めた。
いつもなら「ごめんなさい」とシュンとするはずなのに、今の彼女は違った。
「……守部くんは、いつも遠くから見守ってくれてるよね。今回だって、そう」
「はぁ? いやいや、違うから。オレは偶々、写真の構図探しでここにいただけで」
さっきの魔力によるプレッシャー
じゃなくて──
「ううん。キラちゃんが怪しんで、守部くんをわざと追い出しちゃったから」
「オレがレギュラーキャラじゃないから……って! それ、どういう意味だ? まさか、お前っ」
言い返そうとして
遅れて、彼女の言葉の意味が脳に届いた。
綺羅星キラに探りを入れられて、現場から追い出された。
あのピンク髪の親友は、何故かただのカメラマンのオレを疎ましく思っている。
その現場の近くに居たのだ。
いくら天然だからって、気付かないわけない。
固まるオレを見て、月詠はそこで少しだけ、悪い顔をした。
いつもは着崩しゼロの完璧な制服姿の彼女が、わずかに口の端を上げる。
「うん。……守部くんと、二人きりで話がしたかったからだよ」
全部、わざと。
オレがここに来ることを見越して、わざと一人になったのか。
「それで死にかけるって」
「見守ってくれてるって」
頭の芯が、くらくらと揺れた。
気を失いそうになる。
頼むから、これは出血のせいだと思わせてくれ。
オレは小さく、呻くように漏らす。
「この、魔女……め」
「うん。魔女だよ」
「……聞こえてるし」
月詠は、オレの傷にそっと手をかざしながら、静かに続けた。
彼女の白い指先から、あたたかな治癒の光がこぼれる。
深く裂けた肩の肉が、ゆっくりと閉じていくのがわかった。
「それにね。守部くん、君は私とどこか似てる気がするの。だから……絶対ここに来てくれるって思ったんだよ」
オレは、帽子のない頭を抱えそうになった。
肩の激しい痛みよりも先に来るのは、圧倒的な脱力感だった。




