第55話 アドバイザーはヒロインを見失う。
守部は呆然としていた。
ここは二月イベントで、最も印象的な村だったのだ。
家々が焼けて、魔物に教われる人々を救出する。
「マジ……かよ……」
魔物が影となって地面に溶けた。
容赦のない炎の熱だけが焼け跡に残った。
「し……し……失敗ぃぃぃいぃいいいいい?!」
村を救う作戦は成功している。
鎮火作業を続ける生徒たちの視線が、モブ生徒の一人に集まる。
だが、皆は彼と関わろうとしないから、視線が逸れる。
もっと目立つ、引力を持つ存在たちへ、直ぐに興味が移る。
中心で、東雲暁と真昼剛が並んで立っていた。
綺羅星キラは半眼で、二人の様子をじっと見定めていた。
普段のキャピキャピとした愛らしい笑顔はもうない。
ただ静かに、観察するように視線を落とし、彼らの言動を評価している。
東雲が、晴れやかな声音のまま口を開いた。
「やはり王道こそが正義だ。雷を纏った剣で道を拓くのが、王家の血筋としての正しいあり方だろう」
真昼が鉄塊のような剣を肩に担ぎ直して、鼻で笑う。
「なんつっても騎士道こそが正義だろ。俺みたいに正面から受け止めて、守り切るのが本筋ってもんだ」
最初はそれぞれの信念を語っていたはずの言葉が、すぐに見当違いな方向へとずれていく。
「今の大きいの、俺が仕留めただろ」
「いや、最後に雷で止めたのは僕だ」
「だから前に出てたのは俺だっつーの」
「後方支援の重要性をわかってないな」
どっちが活躍したか。
帝国の未来を担うはずの彼らだが。
信じられないほど低次元な言い合いに落ちていく。
互いに声が大きくなり、周囲の生徒たちもざわつき始めた。
「……け……喧嘩?」
「おいおい。東雲家と真昼家の喧嘩なんて止められねぇぞ」
炎の爆ぜる音、鎮火の指示、二人の見苦しい応酬。
それらが重なって、村の一角はあっという間に喧騒に包まれた。
「これでは駄目ね……」
綺羅星は内心で冷ややかに判断した。
このままでは肝心の、次代の国計画が滞ってしまう。
「守部家の狙いは何……。あたしと同じ……狙いって」
三百年という刻の節目に訪れる、惑星の配列。
――グランドクロス。
星の影が太陽光を遮り、月を凶々しい赤黒い色へと染め上げる皆既月食。
それは地上に生きる人々にとって、ただの天体ショーではない。
真のメカニズムは、惑星直列が生み出す圧倒的な重力波の同調。
それによって世界――この世界は闇の魔法の種族の資質が発現する。
「血統は三百年で紛れてしまう。だからこその、諜報だし。 綺羅星家の情報も絶対に必要だし」
彼女の半眼が、ふと動いた。
「記憶を失う運命の、ただの写真家が。ただの守部一族が月詠の力を知ってる……そんなこと。え?」
主役である月詠の姿を追う。
先ほどまで隣にいたはずの、サファイアブルーの後ろ姿を探す。
マゼンダの瞳が大きくむかれる。
燃える家屋の影、慌ただしく動く生徒たちの隙間。
飛び交う声の中に、少女の姿は完全に溶けて消えていた。
冷徹な観察者としての半眼が、完全に解けた。
「……あれ、月詠? 月詠がいない」
計算外の事態に、彼女の小さな唇から焦りの声が漏れた。
◇
村の外れ。
スラム街は、夜の帳が降りる前からすでに淀んだ暗さに沈んでいた。
ひしめくように建ち並ぶ粗末な家々。
壁はところどころ崩れ、屋根は雨風を凌ぐのがやっとの継ぎ接ぎだらけだ。
そこに身を寄せ合う人々は、一様に頬がこけ、煤に塗れたボロ布のような服を纏っていた。
「ひぃっ……!」
「嫌だ、嫌だぁっ!」
母親に縋り付いて泣き叫ぶ泥だらけの子供。
震える手で錆びた農具を握りしめ、歯の根を合わす老人。
ここは魔物討伐の予定には入っていなかった場所だ。
貧困に喘ぐ彼らの命など、最初からリストから完全に漏れていたのだ。
しかし月詠は一人で、その薄暗い路地に足を踏み入れていた。
同じ平民の出である彼女には、彼らを見捨てることなど到底できなかった。
「大丈夫です! こっちへ!」
月詠の張りのある声に、絶望に沈んでいた住民たちがハッと顔を上げる。
「皇華の……学生さん……?」
「なんで、こんな泥濘にお嬢さんが……逃げなせえ! あんたまで食われちまう!」
老人の悲痛な叫びを遮るように、路地の影が蠢いた。
狼型の魔物が、多数。
暗闇を煮詰めたような黒い体が、牙から涎を垂らしながら次々と現れる。
「私が相手をします。今のうちに、早く!」
月詠は躊躇なく、住民たちを庇うように魔物の前に立った。
サファイアブルーの魔力が奔る。
「はあっ!」
月詠の鋭い呼気と共に時空が歪む。
飛びかかってきた先頭の狼型が空間ごとねじ切られる。
断末魔を上げる暇すら与えず、影となって地面に溶けた。
だが、数が多すぎる。
倒しても、倒しても、暗がりから際限なく影が湧き出してくる。
「そこっ……! くっ、まだまだっ!」
月詠は両手から魔力を放ち続ける。
右の三体を空間圧縮で押し潰し、左から迫る二体を魔力の波動で弾き飛ばす。
すさまじい速度での連撃。
しかし、魔力には限界がある。
「はぁっ、はぁっ……!」
額から滝のように汗が流れ落ち、サファイアブルーの美しい髪が頬にへばりつく。
呼吸は乱れ、華奢な肩が激しく上下していた。
倒しても……キリがない……っ!
一匹の鋭い爪が月詠の腕を掠め、制服が裂けて鮮血が散る。
「ぐっ……! でも、退けない……っ!」
彼女は自身の背後を、魔物に行かせなかった。
背中には、足の悪い老人や子供たちがいる。
まだ、悲鳴を上げながら逃げ惑っているのだ。
「絶対……っ、私が、守るんだから!」
月詠は限界を超えて魔力を絞り出す。
金色の瞳を爛々と輝かせる。
足が泥に塗れるのも構わず、獣の群れへと魔法を叩き込み続けた。
「私だって……私にだって……」
戦って、戦って、戦い抜いた。
やがて、背後から聞こえていた怯えた足音が、完全に遠ざかる。
どうにか、全員が安全な場所へ逃げ延びたようだ。
「はぁ、はぁ……っ」
月詠は膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、荒い息を吐いた。
視界が霞み、指先が痺れている。魔力は文字通り、底を突いていた。
残る狼の群れを鋭く見据える。
「どうにか……なりそう……」
あとは、牽制しながら退けば。
きっと──
月詠が泥だらけの足でじりじりと後退りしようとした。
だが、その時だった。
「…… な、なに」
影の魔物は、月が落ちた日より前に、存在さえしていなかった。
あの魔物たちは地上から湧いてくる、そんなイメージだった。
急に降り注ぐ、魔物の気配。
伝承に残っていようと、三百年の日々が薄めていく。
限界まで意識をすり減らした彼女だ。
意識の外からの攻撃だった。
ヒュッ、と鋭い風切り音が鳴る。
上空から、巨大な鷹の影が急降下してくる。
黒い翼を広げ、刃のような鉤爪をむき出しにした魔物だ。
「後ろ……?」
たった一人で戦った。
その前には四つのエリアを掛け持ちした。
そんな彼女は魔力を失いすぎていた。
魔物は月詠の背中、その上から一直線に狙っていた。
気付いたのは、直前だった。
月詠が弾かれたように上を向く。
「う……え」
魔法の展開は、今からやっても絶対に間に合わない。
回避する体力すら残されていない。
死を悟り、金色の瞳が絶望に染まった。
その時──
バサッッッ!!!!
月詠の視界に、真っ黒な影が割り込んだ。
それは、一人の学生だった。
ごつい制服を、マントのように大きくはためかせている生徒だった。
学生帽を目深にかぶった男だった。
決して、強くは見えない。
強大な魔力の気配も、彼からは一切感じられない。
ただの生徒の、ただの影だった。
前線で戦う力など持たない、本来ならばこの場に介入すらしない。
普通の、さっき逃げて行った人々と同じ──
だのに。
ただの学生が身を挺して、鷹の巨大な爪の前に躍り出たのだ。
「ぐ……!」
鈍い衝撃が走り、鉤爪が分厚い制服の背中を無残に引き裂く音が響く。
闇の魔物の前で、鮮血が舞う。
それでも、ただの生徒は、決して倒れなかった。
月詠の前で両足に力を込め、必死に踏ん張った。
だが、勢いは殺せずに、帽子が落ちる。
月詠は黄金の瞳が煌めいた。
そして、彼は言い放った。他でもない
私に──
「月詠っ! なにやってんだよっ!」




