第54話 イベントスチル獲得……失敗
朽ち果てた寝殿。
半分崩れ落ちた石造りの鳥居。
くぐった瞬間、肌を刺すように空気が一変した。
苔生した石灯籠は無残に倒れている。
威容を誇ったはずの社殿の屋根は大きく欠け落ちている。
乾いた土埃と、微かな魔力の残り香が混ざり合う荒れた境内。
その中央で、一人の少年が静かに舞っていた。
夕星律だ。
ラベンダー色の髪を優雅に流した魔術師の名門家系の青年だ。
部活には所属しておらず、普段は周囲と距離を置いているはずの彼。
演劇部の生徒たちに混じり、その中心で鮮やかに舞い踊っている。
色白で線の細い身体が、流麗なステップを踏む。
指定の制服ではなく、どこか古風な衣を着ていた。
裾が弧を描くたび、薄紫に光る魔力の粒子が溢れ出し、境内全体を覆う堅牢な結界へと変わっていく。
舞うことで、自らの内なる魔力を極限まで高めているらしい。
その姿は、周囲の荒涼とした風景とは裏腹に、息を呑むほどに美しい。
そして、残酷なほどの静謐さを保っていた。
オレの周囲に息を潜めていた生徒たちからも、たまらず感嘆の声が漏れ出す。
「……すごい」
「きれい……」
歓声と、張り詰めた息を呑む音が入り混じる。
しかし、オレはそんな感傷には浸らない。
学生帽を目深に被ったまま、誰にも気づかれないよう影から影へと音もなく位置を変えた。
(夕星先輩。約束通り、オレが写します)
手には、守部家にしか扱えない特注の魔導カメラ。
ファインダーを覗き込み、シャッターチャンスを狙う。
そこでふと、舞が止まった。
夕星がこちら――正確には、オレの斜め前方の空間――を向き、普段の冷たい態度からは想像もつかないほど穏やかに笑った。
「やぁ、待っていたよ」
その視線の先で、サファイアブルーの髪を揺らし、月詠が小さく息を吐いて応じた。
「遅れてすみません。結界、しっかり張れてますね」
「月詠、気をつけて」
彼女の凛とした言葉が終わらないうちに、律の視線が動いた。
その先の境内で、濃い影が蠢いた。
瓦礫の陰から、真っ黒な狼型の魔物が複数、一斉に姿を現す。
光を吸い込むような異様な体躯から、地を這うような低い唸り声が響き渡る。
だが、二人に焦りはない。
月詠がスッと右手を上げ、夕星が舞の美しい余韻を残したまま、空中に指先を滑らせる。
サファイアブルーと薄紫。
二人の魔力が空中で交差した瞬間、空間そのものが大きく歪んだ。
強大な圧力が狼型の魔物たちを次々と引き裂いていった。
いつの間に乙女ゲームは、怪獣バトルに変わったのか——
断末魔すら上げる暇もなく、魔物たちは黒い影となって地面に溶け、跡形もなく消え去っていく。
——なんて思わない。
れっきとした個別ルートの匂い
(……ここだ!)
オレの脳内で、アラートが鳴り響いた。
破壊された社殿を背景に、強大な魔物を容易く退けた二人。
ヒーローとヒロインが並び立つ瞬間だ。
これ以上ない、明白なシャッターチャンス。
乙女ゲームにおける『決定的イベントスチル』の構図だ。
完璧な一枚を収めるべく、オレがシャッターに指を押し込もうとした
まさにその直前だった。
――ひらり、と。
綺羅星キラが動いた。
ショッキングピンク寄りのゆるふわボブを弾んだ。
キャピキャピとした笑顔を浮かべたまま、画角に飛び込んだ。
明らかに計算された鋭い角度で、オレのレンズの前に割り込んできたのだ。
どこからカメラで狙われているか、最も絵になる画角の直線を正確に読み取っているかのように。
「月詠も夕星先輩も凄い! 凄すぎるよー!」
彼女の明るい声は、他の生徒たちの安堵の歓声と同じものだった。
ただ、こちらに向けられた顔だけは、悪戯っぽく、そして確信犯的に笑っている。
(あの、アドバイザー娘……!)
オレの指が、空を割った。
練りに練ったベストショットが、見事に崩れ去った。
瞬間、沸点に達したオレの手が、思わず帽子の縁にかかる。
こんなモブの仮面など脱ぎ捨てて、カメラマンとしての矜持にかけて抗議に出てやろう。
石を投げてやろうかと、苛立ちのままに一歩を踏み出しかけた。
だが。
レンズ越しではない肉眼の先に見えた。
戦闘を終えた月詠と夕星が、小さく肩を並べて、どこか楽しそうに、そして穏やかに言葉を交わしている姿だった。
夕星の薄紫の瞳には、先ほどの冷たい光はなく、月詠の金色の瞳もまた、彼への信頼に満ちていた。
「…………っ」
ギッ、と奥歯を噛みしめる。
喉まで出かかった抗議の言葉は、その尊い光景の前に無惨に潰れた。
(……世界滅亡ルートを折るためには、あれでいい。あれで、いいんだ)
言い聞かせるように息を吐き出し、オレは手にした帽子をもう一度、深く被り直した。
特注の制服の裾をわずかに翻し、気配を消す。
再び興奮冷めやらぬ生徒たちの輪の中へと滑り込み、誰にも気づかれぬまま、オレは次の「影」を探して静かに同化していった。
◇
炎の匂いが、風に乗って届いてきた。
月詠と綺羅星が並んで歩く。
オレはその少し後方、生徒たちの影に紛れたまま、二人の会話を聞いていた。
「次は東雲先輩と真昼先輩だっけ」
月詠のその一言に、オレの肩がびくりと跳ねた。
え?
なんで、一人ずつじゃないんだ……。
その反応を見ていたのか、見ていなかったのか。
綺羅星がすぐに続けた。
「うんうん。おっきな集落だから、ひとグループだと危険だもん」
真っ当な理由だった。
月詠は疑問など微塵も持たず、ただ前を向いて言う。
「急ごう!」
村に足を踏み入れた瞬間、熱気が一気に押し寄せた。
家屋が複数、炎を上げて燃え盛っている。大規模な火災だ。
生徒たちがバケツや魔法で鎮火に当たっているのが見えた。
その先で、すでに戦いが始まっていた。
東雲が剣を構え、雷の光を纏っている。
真昼は鉄塊のような重い剣を肩に担ぎ、悠然と立ちはだかっていた。
二人とも、余裕がある。
魔物はすでに現れていた。
二回りほども大きな個体が二体。
その周りを、小さい群れが取り巻いている。
いずれも、狼か虎の影がそのまま実体化したような、真っ黒い姿だった。
東雲が、晴れやかな声で口上を述べた。
「僕の武器は剣と、雷の魔法だ。正統なる王家の血筋の僕の道は、月詠。君を守る王道だよ」
続けて真昼が、豪快に笑った。
「俺のはな、鉄塊みてえな剣だ。騎士道とは、女神に仕える道。俺の背中側にいりゃ、怖いもんは何もねぇぜ、月詠」
それぞれの立場から、月詠を守ると宣言する。
その声は、燃え盛る炎の中でもはっきりと響いた。
月詠と綺羅星が前線へ駆け込む。
サファイアブルーの魔力が闇と炎を切り裂くように放たれた。
それを合図に、戦闘が本格的に動き出した。
「いくよ、月詠!」
東雲が地を蹴る。
金糸のような髪が炎に照らされ、剣から迸る紫電が小型の魔物たちを次々と貫いていく。
流麗にして、圧倒的。
「俺もいるぜぇっ!」
対する真昼は、赤い髪を逆立てて豪快に跳躍した。
自身の背丈ほどもある無骨な鉄塊剣を振り下ろし、大地ごと巨大な狼型魔物を叩き潰す。
轟音が鳴り響き、周囲の熱気がさらに跳ね上がった。
二人のヒーローの躍動。
そこに月詠の支援魔術が絡み合う。
オレは崩れかけた土壁の裏に身を潜め、学生帽を目深に被り直した。
ファインダーを覗き込み、フォーカスリングを回す。
狙うは当然、月詠とヒーローの『カップル写真』。
だが、レンズ越しに見える光景に、オレは思わず舌打ちしそうになった。
ヒーローが、二人もいる。
そのせいで、構図が全く定まらないのだ。
東雲をメインに入れれば真昼が見切れて不自然になり、真昼を中心に捉えれば東雲の派手な魔法エフェクトが被写体を完全に食ってしまう。
でも、どうにかシャッターを切る。
立ち位置を変え、露出を調整し、何枚も切る。
カシャッ、カシャッ、と
守部カメラの静かなシャッター音が炎の爆ぜる音に溶けていく。
けれど、現像されるイメージを脳内で確認しても、どれも納得のいくものにはならなかった。
これではただのごちゃついた乱戦の記録写真だ。ベストショットには、程遠い。
「なんだよ、これ。ただの戦場カメラマンだろ……」
忌々しい炎の熱を背に受けながら、オレは構えていたカメラを一旦下ろした。
二人が同時に目立つこのアングルじゃ駄目だ。
もっと、どちらか一人だけが月詠とフォーカスされる瞬間があるはずだ。
オレは特注の制服の裾をわずかに翻しながら別の影へと滑り込み、息を潜めて次の機会を待ち続けた。
だが――
結局、オレが望む甘い瞬間が訪れることはなかった。
二人のヒーローの圧倒的な武力と、連携させた綺羅星の的確な立ち回りのせい。
そして、魔物の群れは瞬く間に殲滅されてしまった。
二月の魔物討伐イベント、全ヒーローのイベントスチル、失敗。
三月にアイツが来るのに、ここに来て、酷すぎる足踏み……
戦闘が終わり、静寂が戻った焼け跡で、オレは膝から崩れ落ちた。




