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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第三章 モブは魔界の王子様と出会う

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53/92

第53話 二月の遠征イベント

 寮の自室で、オレは久しぶりに学生帽を被った。

 今まではカメラのファインダーを覗く邪魔になるからと、避けていた帽子だ。

 鏡に映る自分を見て、軽く被り直す。


 そのとき、控えめにドアがノックされた。

 開けると、少し長めのラベンダー系の紫髪を揺らした夕星律が立っていた。


 左目の下にある星のような泣きぼくろが、廊下の薄明かりの中で静かな色気を放っている。

 線が細く色白な彼は、相変わらず彩度が低めなのに一枚の絵のように画になる男だ。


 律はオレの帽子をじっと見て、ぽつりと言う。


「ふーん。流石は守部。なかなかの魔法具持ちだね」

「で、夕星先輩がなんでオレの部屋に?」


 律は気だるげに肩をすくめた。


「部内の様子がおかしい。綺羅星は何を考えているのか」

「どう、おかしいのか、分からないっすけど——」


 そして、静かに息を吐いた。


「あれから、何もしていない」


 オレはイケメンを前に、眉を顰める。


「いや、だって始まったばっかじゃ」


 だが、違った。


「——この二週間、僕たちは何もしていない。僕はそれでもいいんだけど」

「に……?」


 いつの間にか、二週間が過ぎていた。

 時間スキップがあったことを、オレはここで初めて知る。


 勿論、それは珍しいことではない。

 珍しくはないが、イベントが起きなかったという証拠でもある。


「どうしてそんなことになった……んですか。綺羅星は何をやってたって、設定?」

「彼女の言い分は、設定は分かるよ。大切な次代を担う若者を死なせるわけにはいかない。綺羅星家で下調べをするとか」


 普通の言葉だし、普通の世の中の常識かもしれない。

 でも、オレは時間が全然足りないと、痛烈に思っている。


 学生帽ごと頭を抱えた。

 その様子を見た律が、静かに踵を返そうとする。


「君ならと思ったけれど」


 オレは夕星律の肩を掴んで、呼び止めた。


「ちょっと待って……ください。なら、良い考えがあります」


 ◇


 学生帽を深々と被る。

 守部マークが入ったこの帽子を被ると、他の生徒と見分けがつかなくなる。

 魔力も一般生徒と同じだから、知覚でも気付けない。


 オレは一年Aクラスの生徒たちの中に紛れて、帝都内の街区を歩いていた。

 教職員を引き連れた宵坂の持ち場だ。

 宵坂は教職員しか連れられないので、結局ここが限界らしい。


 月詠が到着してから、しばらくは片付け作業が続いた。

 オレは他の生徒と行動を共にしている。

 誰もオレに話しかけてこない。


 その最中、宵坂と月詠が話をしていた。


 濃紺から群青にかけての無造作な後ろ流しの髪。

 顎に生えた薄い無精髭と、だらしなく緩んだ白衣の首元。

 年上の余裕と疲れが同居した色気を持つ彼。

 いつもながら、気だるげな写真が百パーセントの男だ。


「異界と繋がることで、これが起きたというのは本当ですか?」

「三百年前の伝承通り。とは言え、想像以上にマシだね」

「マシってそんな……。死傷者だって」


 宵坂は深い群青の瞳を細め、肩をすくめる。


「月詠くん。空間同士の衝突だよ。もっと壊滅的な大惨事が起きてもおかしくない」

「それは……そうですけど」


 その時、生徒の叫び声が上がった。


 オレの後ろの方からだった。


 瓦礫の影から、真っ黒な狼のような魔物が数頭、湧き出してくる。

 四足歩行の体が、陽光を吸うように暗い。


 宵坂が指先一つで、すぐさま魔物の動きを封じた。

 綺羅星が短剣を構えて前に出る。

 月詠は時空魔法で空間を断絶する。


(個別ルート……か)


 引き裂かれた魔物は、影となって地面に溶けて消えていった。


 オレは他の生徒に紛れながら、素早くカメラを構えた。

 出現後から、淡々とシャッターチャンスを狙う。

 帽子の効果か、今回のカメラは誰にも気付かれない。


 完全な隠密モード、完璧な盗撮……の筈だった。


 だがオレは、ファインダーから目を離さず、小さく舌打ちをした。


「綺羅星が邪魔で、ベストショットを逃した」


 距離のせい——ではなく、綺羅星が画角に入るからだった。

 月詠と宵坂のツーショットを狙い、彼女を入れないようにした。

 だから、何をしてるか分からない一枚になった。


 オレの記憶にある一枚じゃない。


 そんなオレに気付く様子もなく、月詠が宵坂に聞く。


「今のは……?」

「伝承通りだね。異界には魔物が潜むと」


 月詠は目を見開いて、すぐに続けた。


「他の皆のとこにいかないと。先生、ここをよろしく頼みます」


 そう言って、次の持ち場へ向かう準備を始める。


 つまり、この魔物と戦う二人のイベントスチルは未回収となった。


 オレは帽子のつばを深く下げたまま、また他の生徒の中に紛れた。


 ◇


 イベントスチルナンバー1の男の個別ルートを逃した。


 学生帽のつばを摘まんで、深めに被り直す。

 特注の制服の裾が、微かな風にわずかに揺れた。


(……落ち着け。オレ。まだ、四人いる)


 部活や教職員という、集団単位で動くことで、安全を確保する。

 その上で、光り輝くわが校の生徒を、臣民の皆さんに知ってもらう。


 それが夕星に話した、今回の作戦だった。


 というか、ヒーローが点在するエリアを、月詠が全てまわる。


 五つの持ち場を、一人の生徒が順番に巡回する。

 まるで、あの夏のイベント。肝試しのバトンリレーと同じ。


(そりゃそうだろ。考える余裕なんてあるかよ)


 オレは集団の後方に紛れたまま、影から影へと静かに位置を変えた。

 魔力の波長も、一般生徒と区別がつかないよう調整してある。


 夕星の言っていた通り、とんでもない魔法具。

 カメラといい、制服といい、そして学生帽といい。


 勿論、存在が消える訳じゃない。

 周囲の生徒には、間違いなくバレているが、彼ら彼女らはオレに喋りかけない。

 だから、ちゃんと紛れている。


 声が聞こえる範囲にいる。

 でも、メインキャラは誰一人、オレの存在に気づいていない。


「月詠、次は街道だよ? きっと暮小路くんがしっかりやってるはずだから、大丈夫だよね!」 


 月詠のすぐ隣を、綺羅星が歩いていた。

 キャピキャピと明るい声を弾ませながら。

 彼女の視線は時折、周囲の建物の影や、遠くの瓦礫の隙間を鋭く泳いでいた。


 魔物か、何かを警戒している——


 月詠が小さく息を吐き、答えた。


「大丈夫。でも油断はしないで」


 そして街道に入った瞬間、空気が変わった。


 怯えた人々が、道の端を走って逃げていく。

 その先で、すでに戦闘が始まっていた。


 暮小路慧が、生徒会の生徒たちを的確に配置している。


 エメラルドグリーンの柔らかい髪が風に揺れる。

 黄昏色の瞳は細められた彼。

 今日が『企み日』であることを示すように、彼の顔には伊達眼鏡が光っている。


 生徒会の一人ひとりの動きに無駄がない。

 統制の取れた陣形で、真っ黒な狼型の魔物と対峙していた。


 四足で低く構えた魔物の体は、光をほとんど反射しない。

 まるで影がそのまま実体化したようだった。


「月詠くん!」


 魔物と対峙していた筈の暮小路の声が、はっきりと聞こえた。


 そういう作戦だから、当たり前なんだけれど。


 冷静沈着な彼の声音が、その瞬間だけ裏返った。


 肩も弾んだ。


 暮小路は一瞬で表情を変え、大きく手を振った。


「来ましたか! 私たちは国を守ります。私たちの対応を見せてさしあげます! 生徒会の動き、ちゃんと見ておいてください!」


 ハリキリだした暮小路が、自ら前に出る。

 短剣を構えた生徒会の一人が動き、月詠が軽く手を上げた。


 時空が歪むような感覚が走り、狼型の一体が空間ごと断たれた。

 引き裂かれた魔物は、黒い影となって地面に溶け、跡形もなく消えていく。


 綺羅星が弾むように声を上げる。


「すごい! やっぱり暮小路くん、統制取れてるね! ……でも、なんか……変?」


 マゼンダの瞳がメトロノームより早く動いた。


 こいつっ!


 オレは制服の裾を翻しながら、別の影へと滑るように移動した。


(魔物は退治で来たんだから、何を警戒してんだよ。 まさかオレを……なんで?)


 オレは被写界深度を調整し、統制された生徒会の中に立つ暮小路にピントを合わせる。

 シャッターを切る。


 逃げ惑う人々の背中。

 常に完璧な笑顔を崩さない暮小路の横顔。

 そして、月詠の隣でキャピキャピと声を上げる。


 そして……今回もベストショットが撮れない。


「あいつ。保健室の時といい、オレの撮影の邪魔をしようとしてないか?」


 余りの意味の分からなさに、オレは膝を折りかけた。

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