第50話 ボランティアから
空には、どこか不穏な薄暗さが残っている。
月が落ちたあの日。
あの巨大な質量が、直接ここに落ちたわけではない。
はるか遠くで大地が深く抉れ、おびただしい数の岩や土塊が空へと舞い上がった。
それが無数の隕石のように、激しい雨となってこの帝都に降り注いだのだ。
黒い瓦屋根はひび割れ、レンガ造りの立派な洋館も、無惨に壁が崩れ落ちている。
かつて美しかった石畳の通りはグロテスクに砕けた。
今はただ見上げるほどの瓦礫の山が連なっていた。
そこにオレは立っていた。
立ち尽くしていた。
「こんな酷かったのか。イベントスチルだと、こういう場所は映ってないからな……」
ヒーローそれぞれが、月詠と共にいる写真がメインだから、背景でしかなかった。
リアルに起きた、という認識はないが、目に焼き付くほどの惨状だった。
「もしかして……利用できる……かも」
月が異界と繋がり、大地とぶつかった。
ある意味で、天文学的な確率の事故だ。
朔の国が悪いわけではない。
だが、その先に待つのは──
◇
月下の約束というゲーム世界には魔力というものがある。
今まで写真として取れなかったのは、平穏な学生生活だったからだ。
これから始まる後半戦からは、そんな場面の激写が始まる。
「磯野先生にも言われてるし、一応撮るか……」
——この世界の魔力は万能だ。
魔術の威力はもちろん、体術の身体強化すらも魔力に依存している。
だから、魔力を持つ人間は特別な扱いを受ける。
特に膨大な魔力を持つ者は、国民を導く存在として崇められる。
ここで言う特別とは、例えば竹取月詠、例えば東雲暁などなど。
つまり、ゲームのレギュラーメンバーである。
彼らは、オレたちモブとは違う。
皆それぞれに、常人とは比較にならないほど抜きんでている。
乙女ゲームにおける、そういうお約束だ。
魔力に秀でた学生たちは、体術と魔術を組み合わせて、がつがつと復旧作業を進めていた。
真昼剛は大きな岩を両腕で抱え上げ、力任せに横へどかした。
「おっ、守部! 今のすげー力瘤、ちゃんとバッチリ撮ったか!?」
撮ってないし、そもそも公式記録に力瘤のアップはいらないだろ……
夕星律は無言のまま、瓦礫を浮かせて丁寧に運んでいる。
「……守部、そこは破片が落ちる。撮影に夢中になって巻き込まれるなよ」
相変わらず冷静だな。……忠告通り、少し下がるか
東雲暁は周囲を見渡しながら、安全な通路を的確に確保していた。
「ご苦労、守部。我々の活動をしっかり記録に収めてくれ。これもまた、学園の誇り高き歴史の一ページとなるからな」
はいはい、王子様はこんな埃まみれの状況でもキマってますね
オレはそれぞれの言葉に適当な愛想笑いを返しつつ、再びカメラを構えて、シャッターを切り続けている。
教頭に言われた通り、公式の記録として残すのがオレの仕事だ。
だけど、今回はそれだけじゃない。
崩れた家屋の残骸も撮る。
魔力が低い生徒たちが流す汗、非力だが頑張るモブ生徒たちの後ろ姿も。
ただ、淡々と撮っていく。
「……全部、朔の国が悪い。こうなったのは全部……」
内心で呟きながらファインダーを覗く。
ここは、ゲーム世界。でも、かなりリアルな世界だ。
エンディング後にも、きっと未来は紡がれる。
「記憶を失うとかいうメタ発言が、やる気を失せさせるが。アレは多分、バグかなんか。そもそも、月詠はプレイヤーなんだし」
オレがぼやいていると、隣に立つ影があった。
「月詠さんが……どうされました?」
エメラルドグリーンの柔らかい髪。
「げっ……ってほどでもないか。頭痛来ない。許された……」
常に細められた目。
「何を珍妙なことを」
「なんでもない。どうされました、暮小路家の長子、慧どの」。
彼は瓦礫を一つ、軽く魔法で横にずらした。
流石は宰相の息子、その能力は計り知れない。
そんな彼が言う。
「守部。月詠はどんな男が好みなのだろうな」
「……はい?」
オレはファインダーから顔を上げる。
「私は、考えるタイプでね。彼女はどんな男性を好むのか、と」
「どんな男性……? それって、もしかして恋愛のアドバイス……」
「わ……私はアドバイスなど必要ありません」
慧は軽く手を振って否定した。
「カメラマンという第三者目線なら、どう映っているのか。興味があるだけです」
オレは思わず呆れたように呟く。
「流石は腹黒……設定ってこと?」
「そ、そうじゃない。私はただ興味がある……だけで」
声が少しだけ上ずっている。
次代の宰相として、先の先まで考えろと言われて育った男。
彼にしては、随分と余裕がない。
オレは肩をすくめて続けた。
「お前は……さ。常に裏を読めと言われて育ったんだろ?」
「な……」
エメラルドグリーンの髪が浮いた。
同じ色の眉も跳ね上がる。
「そ……それをどこで」
「本来のお前で、いい。いや、そっちのが月詠は好きだ」
「な……」
一瞬、沈黙が落ちる。
慧は少し顔を赤くして、複雑な表情を浮かべた。
「わ……私がどう育ったか。守部が何を知っているかはさておき。さ、参考になった。感謝する」
彼はいつもの笑顔を取り繕うようにした。
そしてそそくさと、別の瓦礫の方へ歩いていく。
オレはカメラを構え直し、心の中でぼやく。
なんで、オレに聞く……
「ま、いいか。今は1秒でも早く、カップリングを成立させることだ」
ヒロインのメタ発言というバグが、オレの気持ちを一つ軽くしていた。
だが同時に、ゲームだと突き付けられた気がして、正直言って焦り始めていた。
◇
暮小路は既に歩き出していた。
彼の足は自然と、月詠のいる方向へ向かっている。
オレはカメラを下げたまま、小さくため息をついた。
「イベントかもしれないし、ついていくしかないか」
そう割り切って、少し距離を取りながら後を追う。
瓦礫の片付けが進んだ区画を抜ける。
すると、かなり片付いた、空き地のような場所に出た。
片付いている理由はここにも化け物がいるから。
予想通り、竹取月詠と綺羅星キラがいる。
「キラちゃん。他の場所にも行く?」
「えー。あたし、疲れちゃった」
月詠は小さな瓦礫を丁寧に片付けながら、キラと何か話している。
オレは少し離れたところからカメラを構え、ファインダーを覗き込んだ。
鮮やかなサファイアブルーの長い髪。
その隣には、ショッキングピンクの髪を揺らすキラ。
「百合……絵になるが」
そう思った矢先だった。
「月詠さん」
オレの焦りが移ったのか、彼は唐突だった。
「慧くん、お疲れ様。どうしたの」
月詠が優しく振り返る。
そこで暮小路は一瞬、たじろいだ。
更には、少し声を裏返らせて続ける。
「が、頑張っているね。庶民のために出来ることはないかと思ってね」
長い髪が靡く。
ヒロインは首を傾げた。
「えっと……その為のボランティアじゃ……?」
「……そ、そう! 私もそれが言いたかった。それでは」
暮小路はなぜか急にポンコツになって、後退りをしている。
ファインダーの中の構図が、完全に崩れた。
これでは、シャッターが切れない。
「ね……」
オレが呆然としていると、
突然、ファインダーいっぱいにマゼンタの瞳が映り込んだ。
綺羅星キラの愛らしい顔が、至近距離でこちらを見ている。
「あんた、どういうつもり?」
「……ちょ、どけって。まだ、イベントは続いてる」
「あたし撮ればいいじゃん」
ヒロインがバグっているなら、こっちもそうかもしれない。
そう言ったら、オレもモブカメラマンとして逸脱しているのだが。
やはり、ベクトルがおかしい。
オレは半眼で、ファインダー越しに睨み返した。
「それは……ってかお前さ」
だが、彼女は更に睨み返してきた。
「狙いは何なのよ。もしかして、やっぱり暮小路に雇われているのかしら」
ただのクラスメイトに向ける視線じゃない。
何かを値踏みするような、日和見貴族特有の観察眼だ。
オレはカメラを少し下げて、言いかけた。
「オレの仕事は青春の記録だ。だいたい、こういうのは」
「はいはい。あたしの仕事ね。分かった、分かった」
彼女は軽く手を振る。
分かったと言っているが、怪しい。
何を考えているのか、日和見主義とはどういう意味か、オレにも分からない。
「あたしが導く。アンタは余計な事をし・な・い!」
「そういう割に……」
「ほら。自称モブカメラマンさん。シャッターチャンスっ」
「何っ?」
月詠は少し離れたところにいた。
そこへ暮小路がまた動く。
月詠の方を向いて、真面目な顔で口を開いた。
「わ、私は国を動かす者として、これから先を……」
宰相の息子の懸命な顔だ。
少女は優しく頷いて、小さく微笑む。
「うん。暮小路くん、頑張ってね」
だが、それだけだった。
計算も、気負いも、全部空振りしている。
オレはカメラを構え直しながら、軽く半笑いになった。
(……恋愛下手かっ!)
小さく呟いて、シャッターを切った。




