第48話 月が落ちた国
三百年という刻の節目に訪れる、惑星の配列。
――グランドクロス。
星の影が太陽光を遮り、月を凶々しい赤黒い色へと染め上げる皆既月食。
それは地上に生きる人々にとって、ただの天体ショーではない。
真のメカニズムは、惑星直列が生み出す圧倒的な重力波の同調。
それによって、隔てられていたもう一つの世界――闇の魔法を種族の資質とする『常闇の国』との境界が歪む。
通路が開き、二つの世界が物理的に肉薄する天文現象だった。
◇
十二月の終わり、その「衝突」は現実に起きた。
二つの世界が接触した衝撃波は、大地を容赦なく引き裂く。
空中へと激しく舞い上がった膨大な瓦礫、砕け散った土塊、そして立ち上る汚泥の塊。
それらが重力に引き戻され、天を覆う黒い瀑布となって帝都の街並みへ降り注いだ。
幸いにも学苑そのものは直撃を免れた。
ただ、目と鼻の先まで壊滅的な被害が及んでいる。
学苑側は直ちに緊急待機命令を発令。
生徒のみならず近隣住民すべてに及ぶ避難措置となった。
『どうか、自分のところだけは被災しませんように――』
人々は自室の隅で小さくなり、固く目を閉じ、耳を塞ぎ、体を伏せてただ祈るしかなかった。
外から響く地鳴りのような落石音と地響きに怯え続ける、悪夢のような時間。
……まあ、オレの場合はちょっと違ったんだけど。
「……ん? なんだこれ」
ハッと気がついた。
その時、オレ――守部弥彦は、学苑の寮にいた。
自分の部屋のベッドの上で、何故かボーッと天井を見上げていた。
「あれ……。頭がぼーっとする……」
十二月のあのクリスマスの夜。
宵坂から「寮か自宅へ避難しろ」と言われた。
パニックになる生徒たちに混ざって、寮へ駆け込んだ記憶はある。
……あるんだが。
そこからの記憶が途切れ途切れというか
コマ送り。いや、すっぽりと抜け落ちている。
ただ、この感覚をオレは知っている。
今まで何度も経験している。
(……時間スキップが起きた。結構時間経った……か。夏休みの時くらい)
あっさりと理解し、オレはベッドの上で息を吐いた。
場面転換みたいな記憶はあるが、細かい経過がない。
ゲームによくある『重要イベント以外の日常カット』。
画面が暗転して
——二週間後
って、テキストが出てくれたら有難いが、流石にモブカメラマンに、ユーザーインターフェースは見えない。
「乙女ゲームと関係ない日常パートってこと。ゲームに関係ない描写が省かれる。お陰で被災地の中で食べ物探しに徨わなくて済んだし、マジでラッキーか」
お陰で、腹が減って倒れることもなかった。
楽観的に胸を撫でおろし、オレは身体を起こして自室の机に向かった。
「月が落ちて、異界と繋がった。外は大変なことになってる……」
机の上には、十二月のカメラマンとして撮影した写真の束が置いてある。
クリスマスパーティ直後に避難したのに、十二月分全ての現像が完了している。
流石はゲームの世界だ。
オレはその隣にある一枚の紙を手に取ってみた。
「二学期の始業を一週間遅らせる——か。学苑から連絡も届いてる。あれか。全く姿を見てないけど、寮長が置いて行ってくれた……のか」
どうやら今は、一月中旬。
依然として待機期間は続いている。
「ってか。マジで……さっ! こうなることは分かってたんだよ!」
イベントスチルを抱えながら、オレは盛大に頭を抱えた。
誰かさんのローラー作戦は、見事に失敗した。
ってか、半分はオレのせい。
イベントスチルの枚数と、ちょろヒーローはリンクしていない。
王子様や騎士様は難攻不落だろう、とか思っていた。
だが王子の東雲暁も、騎士の子の真昼剛も、宮廷魔術師の子の夕星律も。
ちょろヒーロー、第一位の宵坂千秋と変わらない進行度。
ちょろヒーロー、第二位の暮小路慧よりも、おそらく進行が速い。
つまり、イベントスチルが少ない二人も、ちょろヒーローだったということだ。
逆をやってしまったせいで、進行度がほぼ平らになるという致命的なミス。
これは流石にオレの……せい
「十二月のクリスマスイベントに全賭けしてたんだ! ってか、全員参加でいちゃつけるかっ! それまでに、月詠を完全にくっつけて、クリスマスイブで聖なる夜を迎えて、逃げ切りハッピーエンドを……」
——この時が来るまでに
アイツ以外の誰かに、確定させないと不味いのだ。
◇
十二月の末に月が落ちた。
いよいよメインシナリオが始まる。
——常闇朔の国との衝突だ。
世界の破滅に向かうカウントダウンは、本格的に始まった。
三百年周期で接近する異国との大戦争イベント。
ゲームの記憶。
隠しキャラの常闇朔と月詠が結ばれるルートに入ると、世界を包む闇が広がる。
それは、煉獄の日とでも呼ぶべきか。
帝都を中心に闇が広がる。
地上が焼き尽くされ、最悪のバッドエンドへと一気に突き進む。
「そういや……」
一月は後半からスタート。
そろそろ、またあの地獄の日々が始まる。
溜息をつきながら写真を整理していると、一枚の写真の前で手が止まった。
撮った記憶はない。
大地が揺れて混乱する人々の写真。
「手ブレもせずに、見事な撮影技術だな。オレは――」
スッと机に戻した時、部屋の奥の制服が目に入った。
クリスマスイブの夜。
オレは制服のボタンを差し出した。
そして、絵本を渡してきた月詠の顔が脳裏をよぎる。
『だって、守部くんは記憶を失っちゃうんだよ!? 私たちのこと、忘れちゃうんだよ!?』
あの時、彼女は涙を流しながら叫んだ。
その言葉が、胸の奥を刺すようにリフレインする。
(記憶を失う、か……)
オレは深く首を傾げた。
やっぱり、内容が噛み合わない。
「……絵本。そういや、貰ったんだっけ……って! なんか、破れてる……。月詠の手作りなのに——いや、こんなもんか」
月と星。
故郷を追い出された女の子の魔女。
学校に通って、楽しく仲良く暮らして。
最後はハッピーエンドになる、とても短い物語だ。
大団円を描いた場面の片隅。
そこの一部が欠けている。
確か、誰かがいたような気がするが、丁寧に切り取られている。
流石に苦笑いする。
——守部くんは記憶を失っちゃうんだよ!?
「記憶を失う……か」
オレの脳裏にあるのは、ゲームのイベントスチル6人分のエンディング。
「前世でプレイした、少なくとも6周分のイベントスチルがある。ハッキリと記憶してる。もしオレの記憶が失われるって言うなら……」
ヒーローの初登場のイベントは勿論ある。
六人ちゃんと、ある。六人分のウェディングスチルもある。
どの周の始まりでも、月詠をはじめとするヒーロー全員が、初めて会ったような顔をしている。
「オレの記憶が失われるっていうなら、全員がそうだろ? 」
イベントスチルカメラマンの記憶が失われるとは?
月詠も、暁も、他の奴らだって、毎周毎周記憶がリセットされて最初からやり直しをしている。
きっと、システム上の周回。
もしかしたら、主人公は主人公で、システムに干渉できるのかも。
何となく、ゲームの仕様が漏れ出ているのかも。
ゲームのシステムを、ある種の残酷さを履き違えたのかもしれない。
それを真に受けて、オレのために泣いてくれたのだ。
「……ったく。なんで、オレの為に泣くんだよ……」
外からは復旧作業の重い地鳴りが聞こえてくる。
二学期の登校再開まで、あと数日。
世界の崩壊へのカウントダウンが進む。
その日が来る前に、誰かをくっつける。
その瞬間を撮影する。
ゲーム後半が始まるのを、オレはただ部屋で待機を続けた。




