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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第二章 二つの心を持つモブ

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第43話 五つの選択肢

 旧棟の写真部室に、傾きかけた午後の陽光が斜めに差し込んでいた。


 茜色の光が落とす、長い影。


 その先――


 壁一面と大きな作業机の上には、ローラー作戦で撮影した五人のヒーローたちの写真が整然と並べられている。


 温室で、朱に染まる頬で一輪の白い花を受け取る月詠と、東雲暁。


 純白の雪の中、巻きつけられたマフラーの陰で無邪気に笑い合う、月詠と真昼剛。


 図書室の暖炉の灯りに照らされ、身を寄せて魔導書を覗き込む、月詠と夕星律。


 サロンで最高級の紅茶を手に、飾らない素の笑みを交わし合う、月詠と暮小路慧。


 そして、夕焼けに染まる保健室で、ブランケットを掛けられ瞳を潤ませる月詠と、宵坂千秋――


「あ……あの……これ」


 ブルーサファイアの髪が揺れる。

 肩を震わせて、透けた素肌に赤が差す。


 自身とヒーローとの熱烈なシーンを見させられている彼女。


 羞恥どころでは済まないだろうか

 

 オレのプロとしての技術や知識。

 無意識に溢れ出していた月詠への想いが、一瞬の光と影を奇跡的なまでに美しく昇華させていた。


「腕だけは確かよね」

「うる……せぇ……よ」


 レンズ越しに切り取られた写真は、もはや芸術レベルの輝きを放っている。

 彼女を誰よりも愛おしく思った……これは怨念か執念か。


 オレの溶けた脳が、皮肉にも完璧すぎるスチルを完成させてしまった。


 どの切り取りの中でも、月詠は柔らかく、息を呑むほど可憐に微笑んでいる。


「私……なの……」

「月詠の今日一日よ」

「う……うん」


 オレは部室の隅にある木製椅子に深く腰掛けた。

 膝の上に置いた魔導カメラを、両手で固く抱きしめる。


(ゲーム内の守部はなんて思って撮ったんだ……?)


 最高のフラグ。完璧なスチル。

 世界を救うためのデータは、これで出揃ったはずだった。


「……そう……か」


 想いそのものが焼き付いてしまった写真。

 胸が張り裂けそうになるオレは、とんでもない気付きを得た。


 ただ見守ることしかできない『モブ』という立場。

 これほどまでに苦しく、胸を苛むものだとは思わなかった。


「どれも……オレが知っている構図と同じ……」


 モブカメラマンの守部弥彦


 オレではない、ゲーム内の誰か。


 どうやら、彼もオレと同じ心境に立ち入っていたらしい。


 ◇


 無骨な写真部に、二つの花が咲いている。

 一つは、青く儚い花。もう一つは、鮮やかな桃色の花。


 綺羅星キラは、月詠のすぐ隣に立つ。


 その細い指先で、オレの芸術、イベントスチルを一枚ずつなぞっていく。


「まず、東雲暁先輩。温室で白い花を君に差し出してたよね」


 ガラス越しの柔らかな光を背負う王子の写真を指差す。


「あの優しい眼差し……どう? 心が温かくなった?」


 冬の静けさを切り裂くように、キラの指がすっと横へ滑る。


「真昼剛先輩。雪の中でマフラーを巻かれて、手を包まれて……あの緋色の髪と君の青い髪が映えてたよ。ドキドキしたでしょ?」


 指先が次の写真へ移る。


「夕星律先輩。図書室で難解な魔導書を並んで覗き込んで……静かで知的な時間。君の横顔、本当に綺麗だった」


 花弁のような髪を揺らして、四枚目の写真。


「暮小路慧くん。サロンで最高の紅茶を淹れてもらって、素の笑顔を引き出してたよね。『特別ブレンド』なんて言われちゃってさ。キュンとこなかった?」


 まるでミツバチのように、鮮やかな写真の上に停まる。

 最後に止まったのは、保健室で撮影した一枚だった。


「宵坂千秋先生。温かいハーブティーにブランケット……『君は特別だよ』なんて言われて、月詠ったら。目を潤ませちゃってぇ。あの切ない雰囲気はぁ、どんな感じたのっ?」


 甘く弾けるような声。


 だが


 その問い詰め方は、月詠の逃げ道を塞いでいく。


 そして


 オレの魂も嵌っていく。

 オレは膝の上でカメラのストラップをぎゅっと握りしめる。


(……ゲームの選択画面か?こんな風に一つずつ指差されて、月詠に選ばせる。なんて……。これは確定個別ルートなんだぞ)


 魔法のある世界。

 乙女ゲームがただで終わることはない。


 個別ルート、いやシナリオルートがちゃんとある。


 二人で乗り越えて、そして結ばれるのだ。


(結婚……する。してしまう……。してしまってもいいんだ。……じゃなくて、しないとダメなんだって……)


 月詠は頬を朱に染める。

 オレの胸が詰まる。


 少女は紺色のスカートの裾を、ぎゅっと両手で握りしめた。


(人生が決まる……だけじゃない。世界が決まる……ゲームだけど)


 長い沈黙だった。


 薄暗くなりかけた室内。


 二人のメインキャラと、一人のモブ。


 それぞれが、途切れ途切れの息遣い。


 それだけが響く。


 ——その果てに、彼女は震える小さな声を絞り出した。


「み、みんなと一緒に……パーティとか……だめ?」


 静かな波紋のように部室へ落ちた。


 響いた瞬間、オレの胸にはふたつの感情が同時に押し寄せていた。


「なん……」

「……だと?」


 胸を撫で下ろすような安心。

 それと、目を覆いたくなるような決定的な敗北感。


(……ホッとしてる? いやいや。駄目だろ。ここまでやったんだぞ。ってか、完全なる失敗だぞ……)


 頭の中で、警報が鋭く鳴り響く。


 年が明ければ、不味いことになる。


 ――イベントスチル数で第二位を誇る、第六のヒーローが登場する。


 第一候補の宵坂先生ですら決め手を欠いている。

 こんな惨状で、後半戦に突入すれば世界の均衡は崩れ去る。


(持っていかれるぞ。だって……月詠は)


 オレは無意識に両手で頭を抱え、髪に深く指を差し込んだ。


 二つの心で絶賛引き裂かれ中のオレ。


 だが、彼女は違った。


「それ、いいかもっ!」


 唐突な声に、オレは思わず顔を跳ね上げた。


「……は?」


 キラは月詠に向き直ったまま。

 ただ、一度だけジト目でオレを射抜く。

 その瞳には、いつものあざとい仮面の下にある、冷ややかで鋭い本音が宿っていた。


「何を言って……」


 そっと制服の袖を整えながら、彼女は小声で囁く。


「いいの。守部だって、全員の写真を撮りたいでしょ?」

「……そんなわけ」


 マゼンダの瞳が僅かに光る。

 オレは——


 ここで反対をしなければ、と思った。


 けれど、オレは自分の口を、耳を疑った。


「……も、守部家的には、そうだな……」


 そう……なのだ。


 オレがどう思おうと、守部家はそういう設定の家なのだ。


 そういうゲームだから、そうなのだ。


 キラは満足そうにくすりと微笑むと、ぱんっと小さく手を叩いた。


「じゃあ決まり! あたしも月詠に賛成だよ。みんなでクリスマスパーティを盛大にやろう♪」


 すると、月詠の顔がぱっと華やいだ。


「ありがと、キラちゃん……! 本当に嬉しい……」


 心から安堵したような満面の笑み。

 可憐な頭を小さく下げる彼女の姿に、オレの胸がざわついた。


 キラは月詠の華奢な肩を抱き寄せ、楽しげに、歌うように言葉を重ねた。


「五人全員を集めて、学生食堂を可愛く飾り付けちゃおう。ツリーもケーキもあたしが準備するよ。で、守部は記録係として、最高のショットを狙ってよね?」


 オレは一人、思考の海へと沈んでいく。


(クリスマスパーティ……? その場合、何が起こる……?)


 脳裏に、乙女ゲームのシナリオが浮かび上がる。


 なんたって、クリスマスイブの夜だ。


 ここで決めないと、来年までイベントがない。


 そんな時、ショッキングピンクの髪の少女が萌え袖をオレの耳にあてた。


『月詠、こんなパーティ抜けて、俺と外で話さないか』


 ——なんて、あるかもよ


 オレは眼を剥いた。


 ベタだが、勝手に想像してしまった。


 降りしきる雪の裏庭。


 イルミネーションが揺らめく光の下で、月詠が誰かと二人きりになる。


 肩にかけられる温かなコート。

 月詠の頬が赤らみ、その金色の瞳が切なさで潤む


 ――そんな美しすぎるシーン。


(アドバイザーの勘……か。 勘とかじゃない。絶対にそうなんだ。だって、オレの頭の中のイベントスチルには、偏りがある……)


 ぎゅっと握りしめた指先が、微かに震える。


「んー? 守部、浮かない顔してるね?」


 キラの明るい声が、オレの意識を強引に引き戻した。


「月詠ちゃんが喜んでるんだから、一緒に準備しようよ!」


 月詠もまた、オレへ優しく眼差しを向け、ふわりと微笑んだ。


「守部くん……ありがとう。楽しみにしてるね」

「う……うん。色んな構図を……」

「構図……って」

「あ……。えと、配置とか?」


 まだ、距離がある。


 だが、その方がいい。


 その優しい声と言葉は、個別ルートに入ると、オレの心を深く、容赦なく抉り取るのだから。


 傾いた冬の光が部室を茜色に染め上げる。


 壁に並ぶ五組のカップル写真が


 クリスマスパーティが


 ——とんでもない波乱を呼ぶことを、オレが知るわけがなかった。

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