第42話 聖夜前のローラー作戦
「月詠ちゃん、今日は一緒に学苑を回りましょう! クリスマスの前に、いろいろな場所の飾り付けを見ておきたいじゃない?」
キラが弾けるような明るい声で月詠の手を引くところから、全方位ローラー作戦が始まった。
目的は明確だ。
月詠とすべての攻略対象を強制的に遭遇させ、最もフラグが立ちそうなルートを網羅的に観測・検証すること。
冬の凛とした空気が肌を刺す。
オレは学苑公式記録係の腕章を巻き、魔導カメラを首から下げた『ただの同行カメラマン』として二人の後ろを付いていく。
(……行くぞ、守部弥彦。お前はただの観測装置だ)
オレは冷えたレンズの縁に指をかけ、その金属の感触で自分自身に言い聞かせた。
(感情を捨てろ。ゲーマー知識とプロのカメラマン魂だけを総動員して、世界を救うための最高の恋愛スチルを収めるんだ……!)
◇
まずは、ガラス張りの温室。
冷気から守られた温もりの中、柔らかな冬の陽光を浴びて佇んでいたのは東雲暁だった。
テニス部の練習を終えたばかりなのか、彼が軽やかな身こなしで月詠の姿を認める。
そして、まるで一枚の絵画のように美しい所作で歩み寄ってきた。
温室に咲く珍しい白い花をそっと差し出す。
「君のような優しい人が触れると、花も喜ぶよ」
ガラス越しに降り注ぐ日の光が、彼の金髪を眩しく輝かせる。
白磁のような指先が、一輪の花を優しく包み込んでいた。
「月詠さん、この白は君の清らかさにとてもよく似合っている」
甘い、甘すぎる王子のテンプレ台詞。
その言葉に、月詠の頰がほんのりと朱に染まる。
彼女の金色の瞳が驚きと戸惑いに揺れた瞬間――オレの指が反射的にシャッターを切っていた。
――カシャッ
金色の瞳と白い花弁が、冬の斜光の中で幻想的に重なり合う。
スチル構図としては百点満点だ。
(いい。完璧なガチ恋距離だ……!)
あまりの美しさと切なさに胸が苦しくなる。
オレは無意識にカメラのストラップをぎゅっと指で引っ張った。
(あんなに綺麗な笑み、オレのカウンセリングの時は一ミリも見せなかったくせに! そしてオレの目の前で月詠にあんな嬉しそうに……っ。いや、耐えろオレ! これも……世界を救うためだ!)
◇
次は、雪が薄く積もった裏庭。
そこにいた真昼剛は、月詠を見つけるなり「おらっ!」と声を上げて歩み寄ってきた。
不敵な笑みを浮かべた、いかにもオラオラ系らしい強引さだ。
「ぼーっと突っ立ってっから手ぇ冷たくなってんだろ、月詠!」
剛は自分の首元から温かいマフラーを外すと、月詠の首元へ少し手荒に、けれど丁寧に巻きつけた。
距離の近さに月詠が驚いて身をすくめる。
「ほら、これ巻いとけ。冷え性なんだから無理すんじゃねぇよ」
「えっ、でも剛くんのは……」
「俺は身体動かしてっから平気だっつの! ほら、手ぇ叩いて温まるぞ!」
照れくささを隠すように豪快に笑うと、剛は月詠の冷えた手を自分の大きな両手でぎゅっと包み込んだ。
白く吐き出される二人の息が、冬の青空に溶けていく。
強引な態度の裏にある不器用で深い気配りに、月詠が呆れたように、けれど心底嬉しそうに微笑んだ。
――カシャッ
剛の緋色の髪と、月詠のサファイアブルーの髪。
対照的な二つの顔が至近距離で重なり合い、降り積もった雪の純白の中で鮮やかに躍動する。
(いい。オラオラ系幼馴染特有の、強引だけど圧倒的に優しいガチ恋距離……! 家柄の激重トラウマなんか微塵も感じさせない爽やかさとギャップがズルすぎるだろ!)
オレは思わず片手で胃のあたりを強く押さえ、苦しげに顔を歪めた。
(そしてオレの目の前で月詠にあんなに無邪気に、心から嬉しそうに笑って……。うっ、胃液が逆流しそう……! いや、これも……世界の破滅を防ぐため!)
◇
三か所目は、静まり返った図書室。
暖炉の火がパチパチと音を立てて爆ぜるそばで、夕星律が分厚い魔導書を片手に静かに佇んでいた。
律は月詠に気付くと、いつもは人嫌いな彼とは思えないほど穏やかな声で、その本を開いて差し出した。
「この術式……君ならどう読むか、少し興味があるんだ」
古い紙の匂いと暖炉の温もりが満ちる空間。
月詠は差し出された魔導書に目を落とすと、吸い込まれるように数ページをめくり、感心したように瞳を輝かせた。
「……第三章の回路の組み方ですね。普通なら魔力を外へ逃がすところを、あえて内部で循環させて強度を高めています。すごく合理的で……綺麗です」
「やはり君なら解かるか。高い魔力を正しく制御できる人間でないと、この構造の美しさには気づけない」
律の唇が、満足げにわずかな笑みを刻む。
「ここから先の解釈、君の意見も聞きたい。……一緒に読んでくれないか?」
「はい、喜んで」
律に促され、月詠が彼の隣に並んでページをめくる。
高レベルな魔導の話題で波長を合わせ、静かに語り合う二人の横顔を、暖炉の赤々とした炎が揺らめきながら照らしていた。
――カシャッ
紫の髪と青い髪が、静かな知性の空間の中で溶け合っている。
まるで一枚のタペストリーのように美しい。
(いい。インテリ・高魔力枠特有の、静かで知的なガチ恋距離……! 難解な魔導理論で意気投合するとかマニアックすぎるだろ! 暖炉の光のバフまでかかって雰囲気は最高潮かよ!)
オレはファインダーから目を離した。
過呼吸気味の息を整えながら、手で額を覆う。
(そしてオレの目の前で月詠にあんなにおとなしく、楽しそうに彼と並んで語り合って……。くっ、高度な会話の壁でオレが弾き出されてる感がやばい……ファインダーが嫉妬の涙で曇りそうだ……! いや、これも……納期クリア……じゃなくて世界のためだ!)
◇
四か所目は、貴族生徒たちが集う優雅なサロン。
そこでは同級生の暮小路慧が、最高級の茶葉をブレンドしていた。
まるで最初から二人が来るのを計算していたかのような、完璧なタイミングだ。
「少し冷えたでしょう」
立ち昇る湯気が、甘く芳醇な茶の香りを室内に広げていく。
琥珀色の液面が、光を受けて美しく揺れていた。
「私が出したこの紅茶で、温まっていってください」
慧が差し出したカップを受け取り、月詠が一口飲む。
その香りと温かさに心が解けたように、彼女が小さく微笑んだ。
「私、これ好きです……」
「ほんとうかい? それは嬉しいな」
腹黒い策士を気取って大人びたポーズを取る慧だが、そう応えた顔には誤解のしようもない少年のように純粋な喜びが浮かんでいた。
普段の格好つけた演技がすっぽりと剥げ落ちた素顔。
月詠はその本当の姿を知っているからこそ、柔らかく瞳を細める。
「本当だよ。暮小路くんの特別ブレンドだね」
「……ふふ、君には敵わないな」
どこか照れくさそうに微笑み合う同級生同士の距離感。
――カシャッ
慧の美しい緑の髪と月詠の青い髪。
立ち昇る湯気の中で、互いの本質を知る者同士の特別な空気が優しく重なり合っていた。
(いい。腹黒策士の仮面を被った純粋な同級生との、ギャップ萌え満載なガチ恋距離……! 演技のメッキが剥がれた瞬間の素の笑顔とか、距離の詰め方がズルすぎるだろ!)
胸を刺す激痛とめまいに耐えかね、オレはぎゅっと奥歯を噛み締めた。
そして深く重い息を吐き出す。
(そしてオレの目の前で月詠があんなに優しく、彼の素顔を包み込むように微笑んで……。あああもう視界を遮断したい、でも撮らなきゃいけない! いや、これも……最悪の未来を変えるため……!)
◇
サロンを後にし、薄暗くなってきた校舎の廊下を歩く。
月詠が少し前を歩くスキを突いて、オレは隣のキラへ密かに身を寄せた。
すでにHPがゼロに近い状態で必死に胃を押さえながら、小声でツッコむ。
「……なぁ、宵坂ルートはないんじゃなかったのか?」
問いかけられたキラは足を止めず、すっとこちらへ顔だけを向けた。
その瞳は光を失い、完全に座っている。
あざとい少女の仮面が完全に剥がれ落ち、恐ろしいほどの冷ややかなトーンでボソッと返してきた。
「仕方ないでしょ。なんか、いまいち、ピンとこないんだから」
(投げやりかよ!! ピンとこないからって、ノリで全ルート網羅の対象に組み込むな!!)
自分の思惑通りに進まない展開に、苛立ちを隠しようともしない情報屋。
その横顔に激しい頭痛を覚えながら、オレはこめかみをガシガシと掻いた。
そうして辿り着いた最後は、夕暮れ時の保健室だった。
少し疲れた月詠を気遣うように、宵坂千秋が特製の温かいハーブティーを淹れている。
ベッドの端に腰掛けた彼女の肩に、ふわりとブランケットをかけてあげていた。
「あまり無理をしちゃいけないよ」
窓から差し込む夕焼けの朱色が、室内を優しく染めていく。
ランプの淡い灯りが、二人の影を大きく壁に映し出していた。
「……君は、この学苑にとって、そしてボクにとって、とても特別な存在なんだから」
いつもは飄々としている宵坂が見せた、大人の色気と深い包容力。
その「特別」という言葉の響きに、月詠の瞳がふっと揺れる。
薄らと涙を浮かべたように潤んでいた。
――カシャッ
宵坂の群青の髪と、月詠の青い髪。
窓からの夕焼けとランプの光の中で、二人は切なくも美しい究極のコントラストを描いていた。
(いい。教師と生徒の、背徳感すら漂う禁断のガチ恋距離……! いつもはちゃらんぽらんなのに、ここぞというところでズルすぎる大人のアプローチかよ!)
オレは震える指先でカメラを固く握りしめた。
もはやHPも正気度も残っていない。
(オレの目の前で月詠があんなに嬉しそうに、少し潤んだ瞳で見つめ合って……。だめだ、もうメンタルがもたない、心臓が握り潰されそうだ……っ! 誰かオレにエリクサーくれ……! いや、これも……平和のため……っ!)
◇
主要攻略対象を巡るローラー作戦が一巡した頃、オレの心はもう完全にぐちゃぐちゃになっていた。
転生ゲーマーとして、最高の恋愛イベントを観測できた興奮。
カメラマンとしてのプロの達成感。
しかし、それらをすべて塗り潰すように込み上げてくる激しい嫉妬。
そして自分自身で引いた『モブ』という絶対の境界線がもたらす、絶望的な痛み。
ふと見れば、少し先を歩く二人が小さく笑い合っていた。
「月詠は本当にみんなから好かれてるね」
キラがあざとい笑みを浮かべ、からかうように覗き込む。
「そ、そんなことないよ。み、みんなで回ったんだし」
月詠は頬をほおっと赤く染め、困ったように視線を泳がせた。
そんな二人のやり取りを、オレは胸の奥を激しく揺さぶられながら、ただ呆然と眺めていた。
これだけのフラグを観測した。
誰か一人を選び、結ばれれば、世界は守られる。
それが正しい道だ。
分かっているのに、心がどうしても追いつかない。
オレの痛切な視線に気づいたのか、キラがふと振り返った。
そして冷ややかな瞳でオレを射抜く。
「……あたしを見ないで」
月詠の耳に届かない、冷たい低音。
あざとい仮面を脱ぎ捨てた冷徹な拒絶に、オレは思わず息を呑む。
「いや、だけど……」
「決めるのは……月詠でしょ。カメラマンのあんたじゃない」
釘を刺すようなその一言が、オレの胸を冷たく貫いた。




