第4話 綺羅星のすすめ
初日から授業が行われた。
午後の授業は、オレの記憶に薄い、冴えないオジサン先生が担当する歴史。
黒板には、縦書き年表が書かれて、その上に大きく「300年」という数字が書かれている。
先生は白チョークを握り、カツカツと頼りない音を立てながら、黒板にぐるりと歪な円を描いた。
チョークの粉が、陽光に照らされてきらきらと舞っている。
先生はチョークを指先で弄びながら、のんびりとした、およそ危機感のない声で語り始めた。
「…………というわけで、三百年に一度、この国と朔の国が接近する可能性があるのです。歴史上、接近のたびに大きな戦禍が……」
先生の声は相変わらず低周波の催眠マシンのように単調で、教室の後ろの方では早くも何人かが机に突っ伏して居眠りを始めている。
オレは一番後ろの特等席で、机の下、膝の上に守部専用魔道具を置き、ぼんやりと黒板を見つめていた。
300年。
その数字が、妙に胸に引っかかる。
常闇朔は一年後に現れて、異界の王子として登場する。
(常闇ルートなら、この国が滅びるカウントダウンはもう始まってるってわけだ。まあ、モブのオレに何が出来るって話ではあるが……)
心の中で割り切り、カメラのレンズキャップをそっと外して、指先でフォーカスリングの感触を確かめる。
金属の冷たい質感が、妙に心を落ち着かせてくれた。
少しして、救いのチャイムが授業の終わりを告げるように鳴り響いた。
「それでは今日はここまで。次回はかつての接近期の歴史について深掘りします」
教師が小さくなったチョークを教卓のトレイに放り投げる。
同時に、静まり返っていた教室が一気に騒がしくなった。
「一発目から、歴史ってめんどくない?」
誰かが言った。でも、大いに賛成だ。
オレにとっては何年ぶりの授業だって話だ。
休憩時間に入った。
オレはカメラを右手にしっかりと保持し、いつでもシャッターを切れるよう頭の中でシミュレートする。
そのまま、静かに「観測者モード」へと意識を切り替えた。
狙う被写体は、すでに決まっている。
教室の窓際、柔らかな陽光が差し込む特等席。
竹取月詠の席の近くへ、綺羅星キラが弾んだ足取りで歩み寄っていくのが見えた。
ゲームの登場キャラ、——とは言え
ここではない。
アドバイザーである綺羅星。
彼女と月詠のイベントスチルは、あまり記憶に残っていない。
アドバイザー綺羅星の表情は、これから新しいオモチャで遊ぶ子供のように爛漫だ。
少女は月詠の机に両手を突き、ぐっと顔を近づけた。
「ねえ、月詠さん」
「は……はい」
「月詠って呼んでいい?」
「え、……はい」
文明開化して、立憲君主制へとなり、平等が叫ばれる世の中。
だとしても、色濃く階級制度の痕は残っている。
竹取月詠は、庶民の出のヒロイン。
アドバイザー役の綺羅星家は、それなりの家。
桃色髪の令嬢は、笑顔で話し始めた。
「この皇華高等学院って、本当にすごいところなんだよ? 帝国の次代を背負う若者たちが集められる学び舎なんだから! 有名な男子もたくさんいるし、学校といえば青春でしょ?」
月詠は少し目を丸くして、パチパチと瞬きをした。
突然の熱量に圧倒されたように、上半身をわずかに後ろに引いている。
「青春……」
「そう、青春!」
オレは心の中でカメラを持ち上げた。
(そう、青春……ね。ここは撮っといた方が……でも)
磯野という先生の話で驚くべきは、月詠を中心に撮れではなかったことだ。
ボヤくオレの視界を捉えたのは、困惑しつつも、相手を拒絶しきれない月詠の繊細な表情だ。
サファイアブルーの髪の隙間から覗く白い耳が、少しだけ緊張で強張っている。
(撮るなとは言われてない訳だし? 月詠の写真の一枚や二枚……。いいぞ、その『ちょっと戸惑う美少女』の表情。背景の窓から入る逆光が、彼女の髪の輪郭をフワリと光らせて最高にエモい。フォーカスは、月詠の右目に固定――)
オレのイメトレが進む。
そしてキラの「チュートリアル」は止まらない。
少女はさらに身を乗り出し、身振り手振りを交えながら熱を込めて続ける。
「だからこそ、頑張らないと! 勉強も魔術も体術も部活も、全部大事だよ~」
合計六人のヒーロー。
それぞれを落とす、もしくは出会うための条件がある。
アドバイザー役の彼女は、ゲームシステムを教えているというわけだ。
「でも、恋愛もばんばん進めていかないと! この学院生活は、きっと運命の人と出会うための大切な時間なんだから! 私、月詠さんの力になれるように、いろいろアドバイスするね♪」
ウインクを添えて、人差し指を立てるキラ。
オレは苦笑いを浮かべた。
(ゲームに文句言っても仕方ないけど、ここは学校、学び舎! 血税で通ってんだぞ。しかも『恋愛もばんばん進めていかないと』って、乙女ゲーム内転生だし、仕方ないんだけどさ。そんなのいきなり言われて、庶民が言えることなんて……)
「うん! お互い頑張ろうね、綺羅星さん! 私も……青春、ちゃんと頑張ります!」
(って、ノリノリじゃん! さっきのオジサンの授業聞いてた? 恋愛のレの字じゃなくて、歴史のレの字だったよ?)
月詠は、キラの濁りのないまっすぐな熱意に絆されたのだろう。
ふっと肩の力を抜くと、頬をほんのりと桜色に染めて、嬉しそうに微笑んだ。
月詠が両手を胸の前で小さく握りしめる。
その瞬間、今度はキラが弾けたように顔を輝かせ、月詠の手を両手で包み込んだ。
「やったー! 月詠、最高! 一緒に恋愛をばんばん進めていこうね~!」
微笑ましい美少女二人のキャッキャウフフ。
だが、その微笑ましさの裏で、周囲のモブ生徒たちの視線は冷徹だった。
特に、クラスの女子グループは二人の会話を盗み聞きしながら、値踏みするような視線を交わしている。
前の方の席に座る、高慢そうな巻き髪の女子生徒が、扇子で口元を隠しながら小声で囁く。
「確かに凄い顔ぶれだよね……東雲先輩とか、真昼先輩とか……」
隣に座る、眼鏡をかけた知的な雰囲気の女子が、手元の手帳に目を落としたまま、冷淡に頷いて言葉を返した。
「うん。私もお母様に色々吹き込まれたわ。ここでいい出会いがあれば、家にとっても大きいって……」
オレは焦点を一瞬だけその女子グループに合わせ、すぐに月詠たちへと戻した。
(オレの認識が間違ってる……のか?)
表は青春、裏は家同士の政略。
乙女ゲーの華やかな表層と、貴族社会の生々しい腹の探り合いが混ざり合ってる。
モブのオレには一ミリも関係のない権力闘争だけど。
そんなオレの俗っぽい思惑など露知らず、月詠は照れくさそうに笑いながら、キラの手を握り返している。
サファイアブルーの髪が柔らかく揺れ、金色の瞳が優しく細められた。
(……でも、平民の子。月詠もノリノリは流石におかしいだろ。なら、確定。完全に、ゲーム! 月下の約束のモブ転生。ってことは、勝ちオブ勝ち。生きてるだけでもラッキーなのに、守部というカメラ屋さんをしつつ、学生ライフも満喫できるじゃん)
こうして、オレの平穏な観測者ライフは今日も平和に――
……いや、完全平和とは限らない。
先ほどの歴史の授業の内容が脳裏をよぎる。
このノリで、メインキャラたちが恋愛という名の「メインシナリオ」を全力疾走していく。
六分の一の確率で、世界が終わる——ロシアンルーレット。
でも、どの弾が世界滅亡かを知っているなら別。
「平穏ライフを満喫するためには、現時点で学校にいる五人。その誰かと月詠をくっつければいい」
オレは椅子の背もたれに体重を預け、窓の外を見上げた。
どこまでも澄み切った青い空。
「……思いだせ、オレ。誰がちょろヒーローだっけ? 確か——」




