第39話 確率は収束しない。
写真部室の午後。
冬の柔らかな光が木製の机に静かに落ちていた。
部屋の古い暖炉の炎が、小さく音を立てて爆ぜる。
その傍らで、オレは隣に座る綺羅星キラの横顔を、ごくりと息を呑んで見やった。
「で、教えてくれるんだよな」
仮面を脱ぎ捨てた、日和見貴族のアドバイザー。
一人の有能な情報屋として素顔を見せた綺羅星キラ。
彼女はマゼンタ色の瞳をまっすぐにオレへ向け、静かに言葉を続けた。
「宵坂先生を最優先にするっていう守部くんの考えは、違うと思うわ」
イベントスチル枚数ナンバー1が宵坂だ。
だが、ちょっと待って欲しい。
ナンバー1だからって、絶対にそうなる訳じゃない。
オレは、守部はただのカメラマンだ。
「あの先生は確かに大人の余裕があって魅力的だけれど……。今の月詠が必要としているのは、ただの甘やかしじゃない。それにあの人はそもそも先生よ?」
一方のキラは、アドバイザーであり、情報屋だ。
五つ、いや六つのルートのアドバイスをする立場だ。
そもそも先生よ? といか言うの前に、そもそもお前が動けよ。
「……守部くん、あなたも薄々は感づいているんでし?」
――ズキリ
胸の奥が痛んだ。
カメラのグリップを握る手に思わず力を込め、深く、長く息を吐き出した。
宵坂千秋のイベントスチルは今回も多かった。
圧倒的な包容力で、自身の魔力の暴走を恐れるヒロインは吸い寄せられる。
大本命ルートではある。
「で、月詠の相手なんだけど。普通に考えて東雲先輩でしょ。他に行けそうなところは真昼先輩。それから夕星先輩。あと……暮小路くんもありね」
そして、この学苑の他の四人のヒーローはどうだったか。
「……それは確かに? ってか答えは?」
全員のイベントが進んでいる。
一見すると、竹取月詠は酷く、優柔不断で、男好き。
……ではなく、ヒーロー達が躍動しているのだ。
それを確かめないまま、ゲームのロジックだけで動くわけにはいかない。
「だからー! あたしのお勧めは王子なんだって」
「なるほど。ゲームの読みが、根本からズレているのか」
マゼンダの瞳が輝く。もしくはジト目に隠れる。
「そう。ここ皇華高等学院は貴族の未来を賭けたゲームの舞台なの」
「月下の約束 ~煌めく六つの星と、失われた月の姫~……始まったな」
「煌めく六つ……? 甲斐甲斐しいやつ。少なくとも、先生は違うから」
アドバイスを貰うのが、竹取月詠からオレに変わっただけ。
漸くオレは、足がかりをつかんだのだ。
即座に立ち上がり、カメラバッグを肩にかけ直した。
「綺羅星、サンキューな。……参考になっ」
「宵坂先生のところに行って、様子を見てよ」
「え? いや、アドバイザーの言葉をオレは」
「守部。 そういうとこ! 守部もついて来なさい。……ふふ。勘違いしてるあんたの吠え面を見てやるんだから」
綺羅星は口元をふわりと綻ばせた。
◇
放課後の静まり返った校舎を抜ける。
オレたちは薄暗い廊下の奥にある保健室兼、魔法学準備室の前に立っていた。
コンコン、とドアを叩く。
「――どうぞ。鍵は開いているよ」
ドア越しに響いたのは、低く、どこか疲れを孕んだ大人びた声だった。
微かに消毒液と苦いハーブの香りが立ち込めていた。
乱雑に書類が積み上げられたデスクの前に、その男はいた。
宵坂 千秋。
無造作な髪は濃紺から群青へと流れる。
顎に薄く残る無精髭、首元のゆるい白衣。
年上の余裕と、ある意味の疲れが同居した、独特の色気を漂わせている。
「やあ、カメラマンの守部くんに……綺羅星くんか。こんな遅くに二人で来るなんて珍しいね」
宵坂先生はパイプ椅子に深々と腰掛け、だるそうに薄い唇を緩めた。
「良かったっ! 先生、まだいたよ!」
きゃぴきゃぴと綺羅星。
隣のオレは、ファインダーなしの死んだ魚のような瞳。
「ボクなんかは残業しないと追いつけなくてね。 その点、君は特別だからね」
気だるげに言った。
深い群青の瞳が、ふっとオレの首から下がる。
――ほんの数秒。魔導カメラへと注がれた。
光すら届かない底なしの沼の視線は、嫌悪感を隠しきれていない。
冷たさを帯びているように思えた。
今は撮るなよ、と言わんばかりの視線。
オレが息を呑んだ次の瞬間には、いつものだるそうな微笑みへと上書きされた。
密かに背筋を凍らせていると、隣の綺羅星がすっと一歩前に出た。
彼女はいつもの「あざとい情報屋」の顔を作り直し、首を少し傾げながら、甘えるような可愛らしい声を出す。
「先生ぇ……ちょっと気になっちゃって。ねえ、先生って……月詠ちゃんと仲がいいって、本当?」
上目遣いで、無邪気を装って、核心を突く綺羅星。
だが、宵坂先生はピクリとも表情を崩さなかった。
それどころか、柔らかく目を細め、余裕たっぷりの優しい微笑みを浮かべる。
「本当だよ。とても仲が良い」
それはそうだ。
オレは何度も、イベントスチルを撮った。
こいつは教師の立場を利用して──
「……でも、ボクは教師だからね」
オレは目を剥いた。
宵坂は椅子の背もたれに体を預け、小さく笑う。
オレ達二人をあやすような、どこか罪深い甘さを含んだ声で言葉を重ねた。
「綺羅星くんのことも、ちゃんと好きだよ」
「あたし、ですか?」
「……勿論、守部くんもだ」
それは、その顔は知っている。
完璧な大人の対応のやつだった。
誰一人として特別扱いせず、けれど全員を優しく包み込む。
そんな、底知れない躱し方。
(……これが、こいつが。第一位……か。やっぱり一枚も二枚も上手だ)
オレが負けを認めた時。
その横で、綺羅星は全く怯む様子も見せず、さらにあざとさを上乗せした。
「ふふ、嬉しいです! 先生ぇ……じゃあ、あたしにも今度魔術教えてください。その手取り……足取り……。あ、体の動かし方も?」
愛らしい顔。
小悪魔的に首を傾げ、期待に満ちた瞳で甘える綺羅星。
(こいつも……オレより上手かよ)
宵坂先生は困ったように眉を下げた。
そして優しく、くすりと笑った。
「はは、困ったな。……次代を担う若者を育てるのが、ボクたち教員の役目だからね。手取り足取り……というのは約束できないけど」
「えー。あたしはもっと知りたいなぁ。 体の入れ方……とか?」
「綺羅星くん、ボクを職員会議に連れ出すつもりかい? それに、 ボクはこの通り、怠け者だからね」
どこまでも隙のない、けれど完璧に親しみやすい教師の顔。
追及の余地を残さないその対応に、綺羅星もそれ以上は切り込めない。
「ちぇ、ケチ~」と可愛らしく唇を尖らせる。
月詠と一緒に居ない宵坂は、ハッキリ言って普通のやる気のない教師だった。
しかも自分と、学生は違うと彼は言う。
それは……その通り。普通の反応だった。
「そろそろいこっか。守部くん。それじゃ、長居して邪魔しちゃいました。失礼しました、宵坂先生」
「ええ、気をつけて帰りなさい」
綺羅星に促される形でオレも辞儀をした。
彼が教師として線引きをしている。
そうかもしれないと思った。
その時。ドアに手をかけた時だった。
「――守部くん」
背後から掛けられた。
振り返ると、宵坂先生は鷹揚に手を挙げていた。
もう一方の手を白衣のポケットに突っ込み、穏やかな笑みを向けていた。
「君も困っていることがあったら、いつでも相談に乗るからね」
特に怪しいところもない、普通の仕草。
どこからどう見ても生徒を気遣う『理想の教師』の姿だった。
「はい、ありがとうございます。失礼します」
オレは頭を下げ、今度こそ重い木製のドアを閉めた。
◇
薄暗くなった校舎の廊下を歩く。
寮へと向かう帰り道。
綺羅星は、誰もいなくなったことを確認する。
先ほどまでのあざとい顔をすっと消し、ジト目のうろんな表情へと変えた。
「ね。……常識的に考えて、帝国の次代を担う若者に手を出したら駄目でしょ。宵坂家もただじゃ済まないわよ」
腕を組み、呆れたように冷ややかなトーンで吐き捨てる綺羅星。
貴族社会の現実をリアルに見据える彼女の言葉だった。
っていうか、恋愛アドバイザーの言葉だ。
オレは「そ、そうだな……」と苦笑いするしかなかった。
すると綺羅星は足を止め、オレに向かって、二本の指をピッと立てた。
「で、常識的に考えて――月詠の才能なら、東雲暁先輩でしょ。で、月詠は守って欲しいって気持ちもあるから、真昼剛先輩。この二本立てでしょ」
自信たっぷりに提示された二つの選択肢。
綺羅星キラが薦めた、月詠の攻略キャラ。
「う……。なら、否定できない。月詠とお似合いなのは、確かに暁先輩か剛先輩だし……」
オレは思わず言葉を詰まらせた。
(ってことは、あれか? 今回のルートはレアルートだったってこと?! イベントスチルの数は……。アドバイザーが言ってる、そういうことかよ)
さっきの大人の先生は、あくまで攻略しやすいキャラ。
確率は収束するかもしれないが、投げられた賽の目は一つしか出ない。
「でしょ? それを踏まえて、聖夜に向けて、作戦の組み直しよ、守部!」
「だな。 ってか、オレは写真撮るだけだけど」
夕闇が深まる冬の帰り道。
アドバイザーは遂に動き始め、オレは漸くただのモブカメラマンに──
「何言ってんのよ。動くのは守部に決まってるでしょ」
「は? なんでだよっ!綺羅星は」
「──いいから。 アンタの方が適任なのよ」




