第38話 アドバイザー綺羅星
白雪のちらつく廊下を一人歩く。
冷え切った渡り廊下を駆け抜け、写真部室という簡単に他人に開けられる居城に戻ってきた。
凍てつく冬の空気の中。
オレは頭の中が鉛のように重くもやもやしたまま。
雪をかぶった防水上着のボタンに手をかけ、バサリと脱ぎ捨てた。
さっきの食堂での、気まずく痛切なやり取りが、胸の最深部に深く刺さったまま抜けない。
『守部くんは……ううん、やっぱり……いい。ごめんなさい』
切ない横顔と、その金色の瞳。
窓の外の雪を見つめ、どこか寂しげに拒絶した月詠。
ヒロインの自覚は、この部屋でした筈だ。
「っていうか。綺羅星は何を考えてる……」
自覚をもってくれても、月詠は友達として接してくれる。
それが良い事かはさて置き。
「スチル数が一番多くて安全な宵坂や暮小路を勧める。それ以外に何がある。っていうか、オレに聞いてんじゃねえよ」
自嘲気味に頭を抱え、作業台の上にあった魔法液のボトルへと手を伸ばした。
――まさにその時だった。
――バンッ!!
古い写真部室の木製扉が、突如として勢いよく蹴り開けられたのだ。
やはり、オレの居城は余りにも簡単に落城するらしい。
「 ノックくらい……って、うわっ!?」
上着を脱いでシャツ姿のまま慌てて振り向いた。
オレの視界に飛び込んできたのは、ショッキングピンク。
ゆるふわボブを揺らす少女――綺羅星キラだった。
オレは彼女の顔を見た瞬間、文句を続けるはずだった口が止まる。
寧ろ、完全に凍りついた。
そこに立っていたのは、間違いなくキラだ。
きゃぴきゃぴとした明るい笑顔や、あざとく男を転がす可愛らしい恋愛アドバイザーの筈だ。
でも、今は。
「何焦ってんの……」
彼女の形をした、別人の『何か』だった。
スンと冷たく引き締められた、美しくも無機質な顔つき。
マゼンタ色の瞳の奥に宿るのは、外の雪よりも冷たい。
感情を排除して、相手の底を見透かそうとする氷のような鋭い光。
彼女だけ、まだ仮面舞踏会の夜が続いているのかと疑うほどの、不気味さだった。
「焦るだろ。オレはほぼ、ぜんら……」
オレは上着を脱いで、下着にさえ手をかけていた。
そんな男の部屋であることなど微塵も気にする様子もない。
平然とした足取りで部室の中へと入り込み、背手で扉をパタンと閉めた。
不用心にも程がある——普通なら
綺羅星キラも、ヒーローに負けないプレッシャーを放つ。
モブに敵う筈もない。
「別にいいでしょ。あたしは気にしないし」
少女の声には、普段の甘さや愛嬌の欠片もない。
迷いなく歩を進め、作業台に手をかけて、更に前進する。
そして、オレの方に向かってくる。
半裸の男の息が届くほどの至近距離まで、彼女は近づく。
足を広げて、逃げ場を与えることなく、真っ直ぐに瞳を見据えた。
ゆっくりと艶やかな爪がオレの鼻先につく。
彼女は冷ややかな冬の風のように、静かに言った。
「弥彦。あなたの読みはズレているわ」
「は……?」
彼女の言葉の圧倒的な真剣さ。
鋭さに、オレは思わず息を呑んだ。
「それも、かなり大きくズレてるわね」
「ズレてない。オレは」
「あたしを誰だと思ってるの?」
そして、眼を剥いた。
「日和見と言われつつも文明開化を生き残った綺羅星一族よ」
一族は、知らないけれども!
ゲーム設定を空目していた。
彼女は、親友兼恋愛アドバイザー役の綺羅星キラだ。
オレの転生ゲーマーとしての計算を、彼女は根底から否定したのだ。
桃色の髪を掻き上げて、もう一度、ビシッと指を突き立てた。
まるで名探偵のようにオレを糾弾する。
「守部。もう一度、ここであたしに言いなさい。月詠は、このクリスマスに誰と過ごすべきなの?」
罪人の自白を促すかのような、尋問の響きだった。
オレは冷汗が背中を伝うのを感じながら、先ほど食堂で口にした、ゲーム脳が弾き出した、最高の安全策を、なんとか乾いた喉から絞り出す。
「順当に行ったら宵坂か……あるいは、同級生の暮小路……」
答えを聞いた瞬間。
キラは一瞬だけ侮蔑するように目を細めた。
そして静かに、しかし確信を持って小さく頷き、はっきりと告げたのだ。
「やっぱりね。あんたの勝手な推しキャラ。それが、月詠を狂わせてる。いえ、この学苑全体を狂わせているのかしら」
「なっ、なんだと……!?」
「ふ。そうよ」
キラはオレから半歩だけ身を引いた。
暗室の赤い安全灯がぼんやりと照らす、部室の壁を見上げた。
「あの仮面舞踏会の夜よ」
「仮面舞踏会……」
「そう、あたしがただ音楽に合わせて遊んでいたとでも思った? あたしは日和見の投資家として、フロアを回りながら情報収集をしていたの」
オレは思わず目を剥いた。
キラは淡々と、しかしオレの痛いところを正確に突き刺す。
「あの仮面の下で隠された、権力者たる貴族や教師たちのささやかな会話、視線の動き、呼吸の乱れ……そして月詠を巡る男たちの裏での微妙な駆け引きと政治的な蜜の匂いを、一つ残らず冷静に拾い集めていたの」
尋問を続けるキラの言葉。
マゼンダの瞳が大きく開かれたり、半分隠れたり。
「一方で守部弥彦は、仮面すら被らず、カメラマンとしての役割と撮れ高を失って、ただ広間の暗い隅っこの椅子でイジけていただけだった」
オレの頭の中を占めていた。
それは、焦りや危機感——
「綺羅星、お前……」
「何よ。守部が調子に乗ってるんじゃ……」
ではなく、
転生ゲーマーならではの、純粋で偏った思いだった。
「ちゃんと仕事してたんだな……」
「……はぁ?」
キラの空気がピタリと止まった。
「ちょっと。どういう意味よ。別のことがあるんでしょ。あたしに何か隠してるんでしょ」
冷徹に相手の底を暴こうとする、名探偵。
「その言葉を……オレはずっと待っていた」
「へえぇ。遂に尻尾を現したわね。守部の誇りはどこにいったの? どこの誰に雇われてるのよ」
だが。
せっかくのシリアスな尋問なのだが——
「誰にって、教頭の磯野先生に頼まれたんだが?」
「それはそう、だけどっ! 違うでしょ」
キラのマゼンタ色の瞳が、パチリと二度、丸く瞬く。
彼女は明確に、決定的に調子を狂わせた。
「違わないぞ、キラ」
「違うわよ。だいたい、アンタの動きはおかしいのよ」
流石は、キラなのだ。綺羅星キラなのだ。
奇妙な言葉にも、キッチリ立て直して、うろんな目つきに戻る。
「動きとか……さ。綺羅星キラ。オレの本音を言ってやる」
「そうよ。早く、言いなさい。あんたの」
氷のような冷酷な名探偵の仮面が
——カタリと傾く。
「オレの本音。オレの読みを間違いだというお前の指摘を、オレは全面的に信用する!」
「ちょ……なによ、それ」
「綺羅星キラ。お前が言うなら、正しい」
彼女の綺羅星家の顔が、完全に崩れ去った。
「ったりまえでしょ! あたしを誰だと思ってるのよ。綺羅星家は――じゃなくて! 守部がずっと間違ってるって話をしてるのよ!」
桃色ボブのキラは、自分のペースを乱されたことに桃色に頬を膨らませた。
それでも、ビシッとオレの胸元へ指を突きつける。
「守部より、モブカメラマンの読みより、綺羅星キラの方が正しい。常識的に考えて」
「な……なんなのよ、急にっ」
オレは彼女のNPCの力を見せられたのだ。
成程。仮面舞踏会はイベントスチル用のイベントではなかったのだ。
「情報収集の謎専門家。綺羅星キラはあそこで情報を得ていたのだ」
「あんた、さっきから、さ」
オレは素直に認めて深く頷く。
キラは調子が狂ったように目を泳がせ、不満げに小さく唇を尖らせた。
「白旗だよ。餅は餅屋だし。綺羅星キラがイベントスチルを撮れないように、守部弥彦がヒーローたちの好感度を測れるはずもない」
「カメラって。……それは、まあそうだけどさ」
オレは真剣な眼差しになり、一歩だけ彼女へと踏み出した。
キラのこの行動は、ハッキリ言って僥倖なのだ。
オレが一番期待していたのは、アドバイザーの彼女なのだ。
「で……教えてくれるのか? オレの推しキャラが間違ってたっていうなら……本当は誰なんだ?」
「あっさりと負けを認めたあげく、答えまで聞くつもり? だから守部の狙いは」
「狙いはない! 守部に誓ってない」
この雪の降る十二月。
ヒロインを導き、世界滅亡を回避するための正解ルート。
綺羅星キラの瞳が、再び鋭い光を帯びて、静かに細められた。
「はぁ……。仕方ないわね」




