第37話 十二月の白雪と姫の想い
十二月初旬。
学苑祭が終わり、舞踏会も終わった。
季節は一気に冬の深まりを見せていた。
窓の外では今年の初雪が白くちらつき、皇華高等学院の広大な中庭を、冷たい銀世界へと染め上げ始めている。
放課後の午後。
特権階級の生徒たちが集う本館のA組専用サロンでは、暖炉の赤い炎が温かな音を立てて揺れていることだろう。だが、オレは己の居城である薄暗い写真部部室にひとり閉じこもっていた。
二つあった心。
その一つは、竹取月詠を意識してしまったこと。
その気持ちは今も消えていないが、残酷な現実を見させられて、ひどく萎んでいた。
彼女は、この部屋の壁に飾られた数々のイベントスチルを見て、自身がこの世界の『ヒロイン』だということを思い出したのだ。
あの日以来、彼女はオレと距離を置いた。
オレがただのモブのイベントカメラマンだと、ハッキリと分からされたのだ。
「これでゲーム通り。イベントカメラマンと話すとか、プレイヤーもドン引きだぞ」
だから、役割に徹するもう一つの心の方が力を持つはずだった。
──とはいかなかった。
「仮面舞踏会ってなんだよ……。竹取月詠は全員と踊ってたろ? でも、イベントスチルにないんだって。っていうか、仮面っている?」
おかしくなったのは、夏イベントの肝だめしからだ。
当時を思い出すと、胸の奥がちくりと痛む。
壁一面の写真を眺めると、ヒーローたちと月詠のツーショットが並んでいる。
どの写真の月詠も可愛くて、どのヒーローもカッコよい。
「幸せそうじゃん……。じゃなくて、なんで全員分のルートの写真が並んでんだよ。イベントスチルを撮らなかった仮面舞踏会でも、全員と踊ってたし……」
あれだけ血の涙を流して待ちわびている、単独ヒーローの個別イベントが一向に来ない。
これは世界を救う為の仕事だ。
最初は肉体労働で、今は心さえ生贄にしている。
肉体と精神の自己犠牲で成り立つ勇者としての心の方も、すっかり停滞している。
「守部家、守部家。家の役目、家の役目──。みんな、好き勝手言ってるし……」
コンコンッ!
オレが大きく伸びをした時、いや、その瞬間。弾かれたように高速でドアが叩かれた。
ガチャ。
返事も待たずにドアが開いた瞬間、オレは思わず息を止めた。
ショッキングピンクのゆるふわボブが、勢いよく部室に飛び込んでくる。
綺羅星キラだ。
冬のコートの襟を立てたまま、オレと目が合った瞬間、彼女の瞳がぴたりと細くなった。
オレも釣られて、自然と目を細める。
何故か互いに、無言で睨み合う形になった。
「なんだよ」
部屋の古い暖炉の炎だけが、ぱちり、ぱちりと微かな音を立てている。
やがてキラが、ふっと肩をすくめて長い息を吐いた。
「……あたしじゃないから」
そう言って、彼女は半身をずらした。
その後ろに隠れるようにしていた、サファイアブルーの長い髪がゆっくりと姿を現す。
竹取月詠が、コートの袖口をぎゅっと握りしめ、少しうつむき加減で立っていた。気まずさと、何かを言いたげな感情が入り交じった視線が、前髪の隙間からこちらを窺っている。
「月詠。はい」
キラの声が、いつになく低い。
「え……はいって」
月詠の声が、迷子のようにか細く揺れる。彼女はすがるように、キラの袖をきゅっと引いた。
「月詠。最近、調子おかしいもん。絶対にここでしょ」
「でも……」
「ねぇ、守部。最近、どう?」
突然の質問に、オレの肩がびくりと跳ねた。
「と、突然なんだよ。最近はぼちぼちやってるよ」
キラは満足げに頷くと、ポン、と月詠の背中を軽く叩いた。
月詠が戸惑うように身をよじり、小さな声でキラの耳元に何かを囁く。
オレには、ほとんど聞こえない。
キラが、くすくすと笑って月詠の肩を押した。
「普通に話せばいいのよ、ほら」
背中を押された月詠が、よろりと一歩、オレの方へ近づいてくる。
彼女は一度小さく深呼吸をすると、何かを決意したように顔を上げた。揺れる金色の瞳が、逃げることなくまっすぐオレを捉える。
凍えるような外気にあてられたのか、それとも別の理由か、その頰はほんのりと赤く染まっていた。胸の前で両手をぎゅっと握り合わせ、以前のような日常を取り戻そうとするかのように、一生懸命に言葉を探している。
「も、守部くん……。さ、最近……どう?」
その声の震え方が、あまりにも素直で、必死で。
オレは思わず目を剥いた。
「さ、最近はえっと……。さ、寒くなって来た……よな。 風邪とか引いてない?」
言葉が、うまく出てこない。
視線が、月詠の震える唇と、自分の靴先とをせわしなく行ったり来たりする。
キラが、呆れたように口を尖らせた。
「はぁ? 守部、あたしの時と態度違い過ぎ」
「綺羅星に言われたないんだが……」
オレがそう呟いた瞬間、無意識に月詠の方へ視線が滑った。
オレとキラのいつもの遠慮のないやり取りを聞いて安心したのか、月詠の強張っていた肩の力がふっと抜ける。
彼女の長い睫毛がきゅっと伏せられ、その唇に、以前のような柔らかく控えめな笑みが微かに浮かんだ。
距離を埋めようと不器用に歩み寄ってくる、そのいじらしい仕草だけで。
胸の奥が、抗いようもなく熱くざわついた。
◇
気がつけば、意味も分からず移動させられていた。
二人に連行されるようにして写真部を出たオレは、今、食堂の席に座らされている。
竹取月詠、綺羅星キラと共に、小さなアンティークテーブルを囲む。
温かいホットチョコレートのカップを両手で包み込み、ほう、と息を吐いた。
そんな穏やかな空気を破るように。
キラがふと思い立ったように、ショッキングピンクのボブを揺らし、明るい声を上げた。
「そういえば、もうすぐクリスマスね!」
その言葉に、月詠が不思議そうに小首を傾げる。
サファイアブルーの髪が、さらりと揺れた。
「クリスマス……? 冬至のお祝いのこと……?」
平民の町で育った彼女は、貴族たちの華やかな冬の社交界の習慣に、いまいちピンと来ていないらしい。
そんな月詠を見て、キラはマゼンタ色の瞳をあざとく細めた。
にっこりと微笑みながら、ストレートに切り込む。
「違うわよ! この学苑のクリスマスっていうのはね、特別な舞踏会やサロンで、良い感じの男と二人きりで甘い夜を過ごすものなのよ、月詠! で……あなたはこの冬、一体誰と過ごしたいと思ってるわけ?」
――ドクンッ!!
その瞬間。
ホットチョコレートを口に運ぼうとしたオレの胸の最深部で、激しく二つの声が衝突し、悲鳴を上げた。
「……っ」
キラの無遠慮な質問を受けた月詠の頬が、暖炉の光とは違う色でほんのりと赤らんでいる。
しかし、彼女はすぐに、正面に座るオレの方をチラリと確認した。
そして、まるで怯えた小動物のように視線を逸らすと、言いにくそうに小さく唇を尖らせた。
「……そ、そういうお話は、ここではちょっと……」
あからさまにオレの存在を気にし、言葉を濁すような控えめな声だった。
オレは胸がズキリと痛んだ。
あの日。
写真部室の暗闇の向こう側で、月詠は『ヒロイン』としての自覚を持ったのだ。
だからこそ、ただのモブであるオレの前では、そんな話はしづらいのだろう。
だが、そんな月詠の繊細な葛藤を見透かしたように。
キラはくすりと悪戯っぽく笑い、今度はオレに話題を振ってきた。
「いいじゃない、減るもんじゃないし! 大丈夫よ。ねえ、守部?」
「……へ? ……えと、オレ、邪魔なら適当に席を外そうか?」
オレが慌てて立ち上がろうとすると、キラはますます楽しげに微笑みを深めた。
しかし、そのマゼンタ色の瞳の奥には、確かな光が宿っている。
いつもの日和見貴族としての顔だけではない。
オレという男の底を見定めようとする、冷徹で鋭い観察の光だった。
「外す前にちょっと教えてよ、カメラマンさん。いつも公式記録係として特等席でみんなを見てるあなたから見てさ……守部は、このクリスマス、月詠が『誰』と過ごせばいいと思う?」
「……な……っ」
思わぬ矛先を向けられ、言葉に詰まり息を呑む。
すると、話題のターゲットにされたオレを見て、月詠が悲鳴のような声を上げた。
慌ててキラを止めに入る。
「キラちゃんっ! ダメだよ、そんなの守部くんに聞いちゃ……!」
「いいじゃん、第三者の専門的な意見なんだからさ。で、誰が一番おすすめなの、守部?」
キラの視線が、逃げ場を与えることなく容赦なくオレを捉える。
オレの脳内で、転生ゲーマーとしての安全な攻略難易度計算が、高速で回転し始めた。
(これは打破できるってことか? イベントスチルの数が最も多くて難易度が安定しているのは誰だ? オレが以前から計算している『安全なランキング(宵坂>暮小路>律>剛>暁)』通りなら、答えは決まってる!)
ゲーム脳のロジックが、オレの微かな恋心を無理やり意識の底へと沈め込む。
オレは観念したように息を吐いた。
そして、なんとか絞り出すような乾いた声で答えた。
「……じゅ、順当に、一番安全なルートで行ったら……宵坂か……、あるいは同級生の暮小路……だな」
――その瞬間だった。
月詠の満月のような瞳から、温かな光がすっと消えた。
痛切に、その表情が曇る。
「――守部……くん」
彼女の声は、かつてなく弱々しく。
そして、深く傷ついたような響きを帯びていた。
「……ううん、なんでもない」
月詠は目を伏せ、明らかにオレから顔を背けた。
そして、窓の外で降りしきる白雪へと視線を固定する。
その拒絶のような冷たい態度に、オレは「しまった!」と心の中で頭を抱えた。
ヒロインの相手選びにモブが口出しするなど、出過ぎた真似だったのだ。
自らの失言を挽回しようと、オレは慌てて早口でフォローを重ねた。
「そ、そうだよな! 悪い! オレなんかが、月詠さんの大事な聖夜の相手に口を出すっておかしいよな! 今のはただのカメラマンとしての世間話であって――」
「――違う!! そういう意味じゃ……そうじゃないの、守部くん!」
月詠が、窓から勢いよく振り返った。
震える声で、オレの言葉を遮る。
その金色の瞳には、ただのヒロインと記録係という関係を超えた、どこか別の……。
もっと純粋な哀しみが滲み出ていた。
「守部くんは……ううん、やっぱり……いい。ごめんなさい」
必死に何かを伝えようとした月詠だったが。
結局、最後の一言を飲み込んでしまった。
小さな唇をぎゅっと噛み締め、深くうつむく。
気まずさと。
自分が彼女を傷つけてしまったという、絶望的な罪悪感。
そして何より、これ以上ここにいたら、オレ自身の心が耐えきれずにおかしくなりそうだった。
息詰まるような空気に耐えかねて。
オレはガタッと荒い音を立てて椅子を引き、立ち上がった。
「……あ、あーっ! そういえば、現像がまだ残ってた……! 魔法液が乾く前に暗室に戻らないと……! ふたりはゆっくりしていって」
言い訳ともつかない言葉を残し。
オレは逃げるように、食堂から飛び出した。




