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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第二章 二つの心を持つモブ

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第36話 仮面舞踏会の夜(下)

 幻想的な灯りと影に彩られた仮面舞踏会。

 十一月を終わらせる為のイベントも、いよいよ終盤の時間が近づいていた。


 優雅な弦楽の旋律が最後のクライマックスを迎える。

 大広間の中央で、やけに長く、親密な間合いで踊り続けている一対の仮面の男女がいた。

 銀の月を象った仮面を被る竹取月詠と、格調高い群青の仮面をつけた宵坂千秋だ。


 やはり、最後に選ばれたのは彼だった。


 二人は弦楽のテンポに合わせて滑るようにステップを踏む。

 どこか、他人が踏み込めない独特の空気感で言葉を交わしているようだった。

 何を話しているのかは、フロアの喧騒のせいで聞こえない。

 暗がりの椅子に座るオレはもっと聞こえない。


「さて、私もサボってばかりはいれれない。頑張ってね、守部くん」


 ただ、仮面の隙間から覗く月詠の金色の瞳が、宵坂に向けられるたびに、安心感に和らいで、優しく輝いているのは分かる。


「暮小路も頑張り過ぎるなよ」


 黄昏の瞳が、もしかしたらイベントスチルよりも大きく開かれた。


「ありがとう。でも、私にも使命があるんだ。君とはまた違う意味だけどね」


 それではまた、と宰相の子もまた、あの光のカーテンの中に吸い込まれていった。

 暮小路慧の使命、それは竹取月詠と結ばれることを言っているのか。


「三百年の一度、朔という国が現れるという伝説」


 ゲームのシナリオと同じ。

 そして、その国からやってくるのが、常闇朔。

 暮小路慧は朔の国の中身まで知らなかった。

 そう思わせるくらいに、彼の表情は柔らかかった。


「確定しただけでも、暮小路との会話に意味はあった……のか?」


 暗闇で背もたれに背中を預けたまま、オレは現在進行形で一位をひた走る男を睨んでいた。

 宵坂千秋は、攻略難易度が低くイベントスチルが最速で揃う。

 国の政府が、三百年に一度が今だと判断している以上、彼をそのまま応援するべきではある。


「……頑張れ、暮小路。ちょろヒーローなんかに負けるな」


 世界滅亡を阻止するためは、月詠をあいつのルートへ誘導する。

 それが最も安泰で安全な道筋なんだと、ずっと自分に言い聞かせてきた。


 ――そして、その男が目の前で踊っている


 白衣を思わせる群青の礼装に身を包み、無造作に流した前髪の陰から覗く鋭い瞳。

 顎のラインにわずかに残る薄い無精髭。

 若者には出せない年上の余裕と、どこか退廃的で疲れた色気。

 その佇まいは、仮面越しであっても絵画のように様になっている。


「常闇の入学は四月の筈だ。時間はまだある。あのセクハラ教師だけは。ってか犯罪だろ」


 オレは暗がりの椅子に腰掛けたまま、眉を顰めた。

 自分の膝上で握り締めた拳へと視線を落とした。


「それは判官贔屓……と言わないだろ?」


 第一位の男を睨み、他の四人のヒーローを応援する。

 単に教師が気に入らないのか、少しでも月詠のルートを確定させたくないのか。


 オレの頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 転生した直後の春、写真部室の壁に掛けられた大きな姿見で、初めて『守部弥彦』という自分の姿を確認した。


 あの日の記憶が脳裏に蘇る。


 茶色の地味な短髪に、何の変哲もない平凡な顔立ち。

 ヒロインを囲む光り輝くヒーローたちとは対極の存在。

 どこからどう見ても『モブオブモブ』と呼ぶにふさわしい器。

 身長も体形も、至って普通。


 華やかさの欠片はまるでなく、頑張っていい服を着たところで絵になるはずがない。


(あんな風にフロアの中心で踊れない……)


 月詠の手を取って優雅にリードしたり、大人の余裕で思わせぶりに微笑んだり。


 オレは、絶対にあんな風にはなれない。


「暮小路に頑張れ……って」


 今日は仮面舞踏会、皆は仮面をしている。

 もしかすると、今日だけは、こっそり混じれたかもしれない。


「……判官贔屓なら、オレを応援してくれよ」


 仮面すら持たされず、隣に並ぶ資格もないただの観測者。


 身の丈という残酷な現実を突きつけられ、オレが自嘲の溜息を漏らした。


 ――まさにその時だった。


 主役カップルは、フロアの中央で月詠の腰を引き寄せてターンを決めた。

 宵坂の視線が、群衆の隙間を抜けて、暗がりの椅子に座るオレの方へと真っ直ぐに向けられたのだ。


 仮面越しの群青の瞳が、静かにオレを捉える。


(……なんだよ)


 次の瞬間、宵坂の仮面の下の唇の端が、どこか楽しげに動いた気がした。

 距離があって声は届かないはずなのに、オレのここさえ見透かした大人の男が、『君は本当に普通の、ただの学生だよ』と言った気がした。


(うるせぇ……よ)


 ――そして


 視線が外れた瞬間、大広間を包み込んでいた弦楽の演奏が、静かに余韻を残して途切れた。

 最後の曲が終わった。


 仮面舞踏会の夜が、終わったのだ。


 ◇

 

 月詠は顔を上げた。

 天井の巨大な魔導シャンデリアの灯りがいつもの輝きへと戻っていく。

 フロアを満たしていた熱気と甘い香りが引いていき、周囲の生徒や大人たちの動きが止まる。

 熱狂的だった笑い声や歓声も、少しずつ静かな歓談のざわめきへと落ち着いていった。

 皆が次々と仮面を外し始め、ほっとしたような顔がそこら中に溢れている。


 月詠も、両手でそっと銀の仮面を外す。

 ふと、フロアの中央から人の波をかき分けるようにして歩みを進めた。


「はぁ……」


 サファイアブルーの長い髪が微かに乱れているのが自分でもわかる。

 火照った頬は、きっとほんのりと桜色に染まっていることだろう。


 それでも、心の何処かは固まったままだった。


 満月のような金色の瞳は、群衆の中を彷徨い続けていた。

 いつもなら少し鬱陶しいくらい、黄金の瞳が捉える筈だった。

 それでなんとなく、いつもに戻る筈だった。


「――守部くん、今夜はいない……のかな」


 仮面の男の中に、何故か彼がいなかった。

 仮面をしているから、なかなか見つけられないと、最初は思った。

 でも、舞踏会の途中に一度も、あのカメラを見つけられなかった。


 彼は、ずっといなかった。


 いや。


 あの日から、彼の姿が遠い。


「月詠。帰ろっか」

「えっと……」


 声をかけてきた親友に短く応じながらも、月詠の瞳は落ち着きなくフロアのあちこちを彷徨っていた。

 仮面を外した生徒たちが笑い合い、舞踏会の余韻に浸りながら群がる喧騒。

 色とりどりのドレスや礼装が視界をかすめては過ぎ去っていく。

 その熱気としじまの狭間を縫うように、彼女はひとり、人の波をかき分けて歩みを進めた。


「──いたっ!」

「月詠……あなた」


 少女は舞踏会場の隅に見つけた。


 暗がりで壁を背にして立つ、友人。


 ――守部弥彦の姿が確かにあった。


「えっと……もりべ……」


 彼の目の前までたどり着いた月詠の声は、ずっと小さく、震えてしまった。

 ずっと胸の底に抱えていた後悔を一生懸命に紡ぎ出そうとする、まるで小さな懺悔のような響き。


 どう接すればよいか分からなかった。

 分からないから、態と避けるような態度をとってしまった。


 月詠が見つめると、弥彦は少し驚いたように冷たい壁から背中を離し、はっと姿勢を正した。

 突き放されてもおかしくないのに、彼はまだ自分と向き合ってくれようとしている。


 ――だが、次の瞬間だった。


 月詠の心に、痛切な戸惑いが影を落とした。


『あの男にも、あたしにも……。特殊な家柄には特殊な役目があるの』


 守部家の役目を彼は背負っている。

 国の頂点に立つヒーローたち、若者たちの青春を記録する。


 そして──


「も……」


 もし自分がここで「もっと、話がしたい」と歩み寄ったら。

 彼が引いてくれた境界線を、残酷に踏み潰す我が儘になってしまうのではないか。


 話したい。

 謝りたい。

 言葉が、そこで痛いほどに詰まってしまう。


 ごめんなさい、と伝えたい思いと、越えてはいけない見えない壁。

 冷たくしてごめん、また前みたいに友達として話したい。

 でも、彼の守ろうとしている領域を壊したくない。

 そんな葛藤が、月詠から声を完全に奪い去っていた。


 守部は戸惑うような表情を浮かべていた。

 ただ静かに、月詠の次の言葉を待ってくれているように見えた。


 二人の間に、数秒とも数時間ともつかない、切なくて重い沈黙が流れる。


 ――だが


 その静寂を、大波が攫って行く。

 フロアの向こう側から押し寄せた、圧倒的な騒がしさが容赦なくぶち破る。


「――守部くん! こんな暗がりに引っ込んでたのか! 写真はどうしたんだ?」

「守部くん、ずっと探していたよ。僕と月詠さんの華麗なダンスの瞬間は、当然一番美しい画角で撮れていたのだろうね?」

「俺の勝負の熱血ステップの瞬間! 仮面はつけてたけど、俺のたくましい背中でちゃんと分かっただろ!?」

「ちょっと剛先輩、勝手に決めつけないでください! そもそも仮面してたら誰が誰だかさっぱり分からないって! 守部くん、ちゃんと私たちの違いを区別して現像してくれよ」


 東雲暁、宵坂千秋、真昼剛、暮小路慧だ。


 四人のヒーローたちが押し寄せる。

 フロアの主役を演じていた煌びやかな面々が、守部と月詠の間へと割り込んでいく。


 彼らはそれぞれのアピールを込めた注文の嵐を、容赦なく月詠の声を掻き消した。


「うわっ、ちょっと待て待てお前ら!全員で喋るな! そもそもお前ら、仮面つけてただろっ! ――って、おい引っ張るなって! 」


 ヒーローたちが守部を囲んだ。


「守部くん! 仮面舞踏会は年に一度しかないんだよ!僕の仮面を」

「俺の顔が分からねぇだと? 筋肉で分かるだろ」

「筋肉バカのことは放っておいて、僕の華麗な魔法は見れただろう?」

「私のことを応援してくれていると言ってくれたよね」

「だから! 仮面舞踏会の写真なんて一枚も成り立ってないんだって! 写りたきゃ、仮面を外せ!」


 男同士、友達同士の痴話げんかのように見えるソレ。


 でも、ここにいる全員が、あのことを知っている。


 そこでポンと月詠の肩に、キラの手が置かれた。

 

「月詠。行こっか。守部、忙しそうだし」


 眉尻を下げて、困ったような顔の友人に、月詠は懸命に笑顔を繕った。


「……うん。そ、そうだね。邪魔しちゃ、悪いし」


 もみくちゃにされ、男たちに引きずられて、そして抗っている友人。

 月詠はただ、立ち去ることしか出来なかった。


 彼女はただ一人、銀の仮面を胸に抱いたまま。

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