第35話 仮面舞踏会の夜(中)
律と月詠のダンスが終わった。
その頃、メインホール大広間の中心は、熱狂的な華やかさを増していた。
優雅な弦楽の旋律が流れるダンスフロアの中央。
そこには、銀の月を象った仮面を被るヒロイン。
竹取月詠を中心に、煌びやかな攻略対象たちの舞踏の輪が自然と出来上がっていた。
「はぁぁぁ。先に言ってくれよ。カメラ要らなかったじゃん……」
遠くから見える東雲暁は、黄金の獅子を思わせる気品ある仮面を被る。
月詠の白い手を取って、誰よりも優雅で完璧なリードを見せている。
王家の血筋らしい傲然で美しい笑顔が、仮面の隙間から覗いていた。
真昼剛は、武門の鍛え上げられた肉体を活かした力強いステップだ。
月詠をくるりと回し、その大きな笑い声をフロアの音楽の中に響かせている。
宵坂千秋は、普段のだらしなくはだけた白衣とは打って変わった、格調高い群青の夜を思わせる礼装に身を包みこんでいた。
大人の男ならではの妖艶で思わせぶりな視線を、至近距離から月詠へと送り続けている。
「全員のイベントはありそうだけど、オレの記憶にはなし、と」
国の未来を担う美しき権力者たち。
月詠というたった一人の少女を中心に、バチバチと睨む。
幻想的で華やかな恋愛ゲームの縮図のような舞踏の輪を、完璧に描き出していた。
「仮面をつけても……綺麗だな。本当に、絵本の中の世界みたいだ」
だが、イベントスチルの記憶がない。
オレは、首から下げた魔導カメラのグリップから、そっと手を離した。
フロアを包み込む光と熱気。
その中で、オレは誰にも気づかれることない。
自分の『役割』を完全に失ってしまった。
幻想的な夜では、仮面のせいで誰が誰なのか、肝心な顔の表情が覆い隠されている。
女の子が頬を染める照れ顔も、男たちが向ける愛おしげな瞳も、カメラのレンズでは一切捉えられない。
恋愛ゲームにおけるイベントスチルとしての価値は皆無だった。
世界滅亡を阻止するために、月詠の恋愛の進捗をイベントスチルとして記録する。
この世界で言う、次代を担う若者の青春を形に残す。
――『公式記録係』としての存在理由すらもない
今夜のオレは必要とされていなかったのだ。
綺羅星キラがよく語る、家の役割という言葉。
それってオレが知る意味に変えれば、キャラ設定。
ヒロインは光の中で貴公子というキャラたちと踊り、モブは画面の枠外で生きる。
画面に表れて、重要な事を話しても、ストーリー自体には絡まない。
オレは、モブ。
「淡々とヒロインのイベントを撮るだけ……」
眩しすぎる大広間にいる資格すら、最初から持っていなかったのかもしれない。
胸を締め付ける恋心の痛みと、圧倒的な孤独感。
オレはそっと人混みの死角を縫うようにフロアから離れた。
大広間の最も暗い片隅の小さな椅子に腰かけた。
重厚なタペストリーの陰に設置された、誰にも見向きもされない場所。
この日の為に用意された柔らかい背もたれの椅子に背中を寄りかからせる。
ぼんやりと遠い光の向こうのダンスフロアを見つめる。
むせかえる濃厚な甘い香水の匂いは、あの大人たちから漂う。
「オレは、ここで何を……」
若者を見て、何やら話している男。
中心にいる月詠は、ソレに気付かないのか。
気付いていないフリをしているのか。
殆ど抱き合っているようにしか見えないヒーロー。
彼たちが盾になっているのかもしれない。
「大人たちの視線から月詠を守る……ため。あーっ! 考えてたら頭が痛くなってきた」
フロアの外周で繰り広げていたとして。
政治的な駆け引きの蜜の匂いが、鼻を刺激する。
でも、そういう設定なのだろう。
「設定はこうだ。そしてヒーロー達は名門貴族のホープ。類稀なる魔力を持つ。そして、田舎で生まれた竹取月詠は、月に愛された少女だった。月は魔力の象徴。月詠は、月の魔女。後半、月詠はその力を見せる。そして愛を誓ったヒーローが彼女を守る。国は次代を担う新たな『太陽と月が昇った』として、二人を祝福する。盛大な結婚式のスチルでゲームは終了する。で、その後は……」
目を閉じて、イベントスチルの思いだしていた。
悲しいくらい、やっぱり自分はいない。
イベントスチルの反対側にいるから、絶対にいない。
自分の虚しさを噛み締めていた、――まさにその時だった。
コツン
石畳を叩く静かな足音が、暗闇の最奥へと近づいてきた。
オレは息を止めた。
今の言葉を聞かれたら……
ゆっくりと目を開ける。
薄明色の知的な仮面を被った長身の少年が、オレに向かって歩いていた。
(そか。喋ったら意識が飛ぶんだから、聞こえてはいない。危な……。で、誰だっけ、こいつ)
薄暗さと仮面のせいで誰か分からない。
そいつは、オレの隣の空いた椅子に、音もなく腰を下ろした。
近くだと流石に分かる。
現宰相の次男、暮小路慧だった。
さっきまでフロアの中央で月詠と優雅に踊っていた男。
なぜ、こんな誰の目にもつかないモブの暗がりに引っ込んできたのか。
「ふーん」
慧は仮面の奥で、いつものように瞳を細めた。
微かな灯りに煌めかせながら、しばらく言葉もなくオレの横顔を静かに眺めていた。
そして、やがて夜の冷気を孕んだような穏やかな声で、ふと口を開いた。
「そういえば。君は仮面をつけていないんだね」
その唐突で直球な指摘に、オレは少し慌てて自分の顔へと指を這わせた。
言われるまで、自分がどんな格好をしているのかなんて意識もしなかった。
「あ……そういえば。持ってないし、誰からも渡されてないから。公式記録係としての撮影のことばっかり考えてて、あれかな。カメラがあるとファインダーを覗けないから……かな」
悩んでいたから、とかは言わない。
すると、慧は柔らかく微笑みながら小さく肩を竦めた。
彼は顔を覆っていた薄明色の仮面の紐を長い指先で少しだけ緩め、自身の素顔を暗闇の中に晒した。
エメラルドグリーンの柔らかい髪、黄昏色の瞳。
伊達眼鏡を時々かけるが、今日の彼は仮面をつけるためか、殆ど素顔だった。
でも、細められた瞳は変わっていない。
笑っているように見えるし、そういう顔のようにも見える。
彼はその人によっては糸目と呼ばれそうな目で、大広間を眺めた。
向こうは華やかで、別世界。
弦楽の優雅な調べに混じって、遠いダンスフロアの方から、賑やかな声の断片が微かに届いた。
『――さあ、次の曲は僕と踊ろうか、我が姫君』
『……ふん。僕も一曲くらいは、君と踊りたいけどね』
『剛先輩引っ張りすぎだよぉ! 目が回っちゃう!』
『はははっ! 怖いなら俺にしっかりつかまってろ!』
暁や剛たちが月詠を巡って楽しげにステップを踏んでいる。
誰の台詞ともつかない歓声。
誰かとキラの軽やかな笑い声。
色んな声がおぼろげに重なり合う。
遠い場所、ゲームの演出のような場所。
別世界の環境音のように遠巻きに聞こえてくる。
そんな華やかな光の喧騒。
慧は背を向けるように、穏やかでありながら、探るような低い声で口を開いた。
「……こんな面倒臭いイベント。私はこういうところが嫌いでね」
軽は独り言ちた——と思った。
彼の琥珀と茜の間の色をした瞳はオレを向いていた。
オレが軽く頷くと、彼は満足そうに続けた。
「私の父上のお考えというのは分かる……いいや、違いますね。私には大人たちが何を考えているか、実のところ分かっていないんです」
仮面を緩めたまま。
細められた黄昏色の瞳で、オレの顔をじっと見つめる。
何言ってんだ、こいつと言うべきか。
そういう設定なんだろ、とは言えない。
「息子でも、か。慧は宰相の息子なんだろ」
彼は呆れながら、静かに言葉を続けた。
「息子だからと皆さんと変わりませんよ」
「いや。だって肝試しとかさ」
「はぁ……。学校行事と国政を一緒にしないでください」
それはそう。
オレは押し黙るしかなかった。
「父上が、わざわざこういう華やかな場を用意した意図。……私には読み切れないんです。君は?」
でも、探るような目が、魔眼と呼ぶべき黄昏の力が、圧倒的な圧となる。
「オレ? 才能を持った国の若者が、平和な学苑祭で楽しそうに青春を謳歌する姿を記録する。それが」
「そうでしたね。 それが守部の仕事です。 世界が注目していますからね。頑張ってください」
「せ……世界中って……。いや、そうか」
「次代を担う若者が、こんなにも自由に、はつらつと。良い、プロパガンダです」
やはり、こう言うべきか。
何言ってんだ、コイツ。
ゲーム世界……だけど、ゲームが終わったら?
「どうなんだろ……」
オレが首を傾げていると、暮小路は珍しく破顔した。
そこから彼の様子が一変する。
「でも、そんなものは、見掛け倒しの詭弁だよね。オトナは、私たちやあの彼女の力を自分たちの為に使いたいだけ。いったい何に利用するつもりなのか」
でも、よく考えたらいつも企んでて、笑ってる顔だし。
あの月詠が好きな……真面目な暮小路なのか?
「ね……守部くんは、どう思う?」
その瞬間、オレの心臓が跳ねた。
慧の視線が一度、遠いダンスフロアに向く。
そこから、ゆっくりとオレの顔へと向き直る。
黄昏の瞳は不安げな色をしていた。
「モブのオレには分からない。オレに出来るのは、皆の写真を撮ることだし」
「そう…なのか。君の動きを見てると、君ならもしかしたら、と思ったんだけど」
そして……あの暮小路が項垂れてしまった。
ただ、妙な言葉も混じる。
「オレならって……」
どういう意味だ?
もしかして、コイツ……
「ほら、君は私がお気に入りの場所を、最初から知っていたよね」
「そ……それは」
「まぁ、今は君の専用の観測ポイントになってしまっているけれどね」
屋上への誘導のことを言っていた。
確かに、オレの口から、暮小路の出現ポイントを、彼自身に伝えた。
明確に鎌をかけてきている。
細められた目は、実は鋭い眼光だ、と思った。
だが、そうではなかった。
「……守部家はどこまで知っているんだい?」
これは綺羅星がオレに抱いた疑問と同種だった。
オレは少なくとも、安堵した。
守部家については、オレだって知らない。
だから、下手を踏むことはない。
そして彼なら——彼の立場なら綺羅星とは違うアプローチが出来る。
「大したことは知らないよ。ってか、慧ほどじゃない」
「成程ね。少しは知っている……と」
「それよりさ。逆に聞きたい。冬から春は撮れ高のシーズンだろ? 今回みたいなイベントを知っていたら、教えておいて欲しいんだけど」
転校生の情報だ。
今回は、常闇の名前は言わないし、聞かない。
すると、慧の表情が明確に揺らいだ。
「冬から春……。それはつまり三百年に一度の災厄の話だね」
オレの体が硬直した。
その話題を、その話を、オレは知っていた。
「だから竹取月詠を追っているんだね」
慧は淡く、優しい微笑みを浮かべた。
「違……そっちじゃ……なくて」
「まぁ、君はそう言うよね。知っていても、知らなくても、関係ないし」
『――もう、みんな揃って急がせないでよぉ!』
遠い光の中からは相変わらず、月詠の楽しそうな笑い声と、彼女を囲み込む男たちの賑やかな気配が、弦楽の音楽と共に漂い続けている。
「あぁ……関係……ないよ。オレはただのモブだし」
一方で
暗がりの椅子に並んで座る男子生徒が二人。
「……そんなこと言わないでください。私は、守部家を本当に尊敬しているんだ」




