第30話 月と学苑祭・4
武道場での真昼剛の強烈すぎるイベント。
無理やり壁ドン&際どい護身術を終え、オレはしばらく呆然としていた。
いや、ハッキリ言おう。
意識が飛んでいた。
(こんなことになるなら……)
本当に脳が焼かれた方がマシだ。
何もしなくていい。オレは何のためにここにいる。
「順調に……進んでんじゃん……」
「守部くん、おまたせ……」
待ってなんてない。
正気を保つまで時間が掛かっていただけだ。
その間に、シャワーを済ませた竹取月詠が来ただけだ。
(もういい。もう帰るっ!)
祠イベントを、モブが間違って回収したせい。
オレが肝試しリレーなんてしようとしたせい。
「…………」
「えっと……守部くん」
帰り道はこっち。
オレはふて寝をするために歩き出した。
そして、何故か竹取月詠がオレの隣を歩く。
(えっと……どう帰ればいいんだっけ?)
月詠とヒーローとのイベントを収めるのがオレの役割。
でも、勝者はたった一人なのだ。
東雲か、真昼か、夕星か。誰でもいい。
その中にオレがいないってだけ。
「疲れたね」
「そうだ……な」
だがオレは重大なミスを犯していた。
世界が滅亡するとかそういうんじゃない。
目下のミス。帰り方が分からない。
脳を焼かれたのもあるが、焼かれていない脳内フォルダが提示していた。
「どの道が安全なんだ……?」
「だ、大丈夫だよ。暴漢なんて学校には」
ではなくて、記憶にあるのはイベントスチル。
あれだけ華やかにしていた東雲イベントならどうにかなる。
それに冷静に考えれば真昼イベントはショートカットできた。
だが、夕星イベントは演劇部の人探しから始まった。
そして、記憶にあるもう一つがヤバかった。
どの教室で行われているのか分からなかったのだ。
「――お待ちしていましたよ、月詠さん、それに守部くん」
肩が跳ね上がる。
いつの間にか男がいる。
エメラルドグリーンの髪、黄昏色の瞳。
絶対に目立つはずなのに、そこにいた。
彼の後ろにあるのは『映像研究部』という看板。
つまりイベント。映像部が特設したプチ映画館だった。
そして相手も悪い。
同じ一年生で次期宰相候補の暮小路慧だった。
この世界が滅亡しないなら、宰相の息子の機嫌は取っておくべきなのだ。
「慧……」
「慧くん!」
伊達眼鏡の奥の瞳を柔らかく細め、慧は理性的で穏やかな笑みで待っていた。
普段は学苑祭の実行委員長として忙しく走り回っているはずのアイツが、なぜか今この時間だけは、オレを、いや月詠を待ち構えていたのだ。
「今から、特別上映プログラムの午後の部が始まるところです。月詠さんには、私が一番見やすい中央の特等席を用意しておきましたよ」
「そうなんだ。ありがとう暮小路くん! どんな映画が観られるのか、すごく楽しみ!」
月詠は無邪気に目を輝かせた。
慧にスマートにエスコートされて暗い教室の中央の席へと腰を下ろした。
当然、カメラマンであるオレの席はない。
ないが、ここで我慢する。
月詠は無事に結婚しました、からオレの第二の……いや第三の人生が始まるのだ。
少し離れた通路側の斜め後ろ、教室の壁に背中を預けて、大きく息を吐いた。
やがて、教室の照明が完全に落ちる。
そして教室の最後尾から、カタカタカタカタ……と、古い映写機が回る機械音が響き始めた。
白黒の映像が、正面の白い布のスクリーンへと投射される。
それが、ただの青春映画や記録映像ではないことに気づくのに、そう時間はかからなかった。
(くそ……寝ようと思ってたのに。謎にクオリティが高い。なんだよ、この不気味な映像は……)
スクリーンに映し出されていた白黒の映画。
学苑に古くから伝わる怪奇譚や、開校当時の不気味な儀式を収めたというテーマ。
ホラー風味の短編活動写真だったのだ。
かつて使われていた『8mmフィルム』のような古いアナログ映像。
独特の粗い粒状感と、画面の端を不規則に走る黒いスクラッチノイズや傷が、映像の怪奇さを何倍にも増幅させている。
(引き込まれる……。さ、さすがは暮小路家といったところか……)
カタカタ、カタカタカタ……
白と黒のコントラストだけで描かれる、影の長い廊下。
音のないモノクロの世界で、無表情の人形たちが不気味に首を傾げるシーン。
教室の温度が数度下がったような錯覚に陥る。
「うう……。思っていたより……すごく怖い……」
映像の不気味さに当てられ、月詠が小さな肩をびくびくと震わせ始めた。
彼女は不安そうに後ろを振り返り、通路に立つオレの方をすがるように見上げた。
「も、守部くん……。近くに、来てくれない……?」
その怯えた金色の瞳を向けられ、オレの心臓が痛いほど跳ねた。
ホラーと言えば、そう。
っていうか、肝試しのときだって
オレは静かに首を振った。
(オレはモブだ。モブだったらモブだ)
まさにその時だった。
月詠のすぐ隣に座っていた暮小路慧が、その知的な長い手で、彼女の震える肩へそっと自分のジャケットをかけ、優しく寄り添ったのだ。
「――怖がらせてしまってすみません、月詠さん。これは私の計算ミスでした。こんな不気味な映像よりも、もっと君の心を明るくする作品を選ぶべきだった」
「暮小路くん……」
慧は眼鏡の位置を中指ですっと直す。
月詠の耳元に少しだけ顔を近づけ、低く落ち着いた声で囁いた。
「でも、退屈な恋愛映画を見るよりも、こうして君が恐怖で私を頼ってくれる現状は……私にとって、非常に有益で幸せな誤算です」
「意地悪しないで」
本当に怖い映像だった。
流石は暮小路、計算していたのだ。
月詠は無意識に慧の制服の袖口を握りしめる。
そして、映画がクライマックスの最も不気味なシーンへ差し掛かった、次の瞬間だった。
――ガタンッ!! ビリビリッ!!
突如、映写機のフィルムが中で引っかかったのか、けたたましい異音と共に、スクリーンのモノクロ映像が激しく上下にブレて明滅した。
ただでさえ不気味だった白黒の怪奇映像が、ストロボのように光と影を乱反射させ、恐ろしい女の影が画面いっぱいに拡大されたのだ!
「――きゃあぁっ!!」
予期せぬホラー展開のショックに、月詠が小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
隣にいた暮小路慧が動く。
迷うことなく力強く、そして優しく自分の胸元へと引き寄せた。
――カシャッ
「――大丈夫です、月詠さん! 目を閉じて、私の胸に顔を埋めていてください!」
慧は月詠の頭をすっぽりと自分の腕で包み込み、怪奇な映像の光から彼女の視界を完全に遮断した。
少し高くなった映写機のノイズから守るように、もう片方の手で彼女の小さな耳をそっと塞ぐ。
「……こんなモノクロの幻影に、君の美しい心を怯えさせはしない。……今、君の耳に届くのが、私のこの不様なほど早くなった鼓動の音だけなら、どれほどいいか」
「暮小路……くん……」
暗い映画館の中。
同級生の少年の胸の中にすっぽりと抱ききとめられ、頼もしい体温と心音に包まれるヒロイン。
(腹黒いってのは、そういうところかよ……。映像と演出は、マジで凄いけど)
眼鏡の奥の慧の黄昏色の瞳には、震える少女の横顔が移る。
だが、根は真面目な彼なのだ。
一人の女の子を死に物狂いで守ろうとする、熱い男の瞳である。
国の政治を司る家の子。相応しいに決まってるけど
どうしても思ってしまう。
さっき、彼女に呼ばれた。
あの時に行っていたら、祠の時のように——
(暮小路は、実質2位。この展開はオレにとって悪くない。綺羅星も暮小路のことは薦めようって思ってらしいし……)
オレは首を振って、思考を振り払う。
そして、また残してしまう。
嫉妬でちぎれそうになる『恋心』と、世界を救うための『使命感』とが織りなす芸術作品。
今度こそ、終わりだ。
オレはここに居る必要なんて、──8mmも1mmもない。




