第29話 月と学苑祭・3
茫然としていた。呆けていた。
その間に、竹取月詠は着替えを済ませて廊下に戻っていた。
「守部くん、おまたせ」
アドリブ劇で熱狂させた夕星律の姿はなかった。
月詠の話では着替えることなく、そのままいなくなったのだという。
「いや、おまたせというか……」
オレは夕星の続きのイベントがあるかもと待っていたのだ。
東雲暁の時は二枚あったから、ここでももう一枚あると思っていた。
そして、今度こそ終わり。
オレの……じゃなくて、オレ達の竹取月詠を何だと思っているのか。
「えっと。ってことでオレは」
「え……どこ行くの?」
「帰……。月詠さんもお疲れでは?」
「うん。ちょっと疲れちゃったかも」
それはそう。
慣れない舞台で、あんなアドリブに振り回されたのだ。
とりあえず、暁ルートと律ルートは進行可能らしいし、満足するべきだ。
それと、これ以上は心がもたない。
「だから、休憩しよっか」
「休憩……か。だったらオレは帰……」
だが、まだ続いていた。
オレと竹取月詠が歩いていたのは、廊下の向こう。
決して近くはない。だが、その直線状にあるのは、学苑の武道場だった。
「おーー! 守部じゃねぇかっ!」
「な……に」
そこで開催されていた。
武門の嫡男・真昼剛が主将を務める剣道部・武術研究会による
『体験! 武の道と熱血護身術サロン』
——らしい。
「おっ! 月詠もいたか! 月詠、待っていたぜ!」
先ずオレが見つけられた。
その時点で、詰んでいた。
白の道着に身を包んだ剛先輩が、鍛え上げられた胸板を張る。
豪快な笑顔でオレと月詠を迎えた。
「剛先輩! ここ、久しぶりに来ました」
「あぁ。四月ぶりだから半年ぶりだな」
(半年……か。ある意味、順調というべきなのか? もう、恋人同士みたいなもんだしなっ! みんなっ!)
道場内は、他の生徒たちもいた。
剛を目当てに集まった女子生徒たちの熱気であふれていた。
だが、彼の目は月詠ただ一人を真っ直ぐに捉えている。
「よし月詠! まずは剣道体験からだ! 俺が木刀の基本から実戦の間合いまで、手取り足取り徹底的に叩き込んでやるからな!」
「は、はいっ、剛先輩! よろしくお願いします……って、わぁっ、木刀って結構重いんですね……!」
って、やっぱり始まるらしい。
剛から木刀を手渡された月詠が、その重量にふらりとバランスを崩す。
剛はすかさず彼女の背後に回り込み、その大きくて分厚い両手で、月詠の小さな手ごと木刀の柄をしっかりと包み込んだ。
「ほら、肩の力は抜け! 剣道で一番重要なのは、相手との『間合い』をどうやって支配するかだ!」
そして、熱血指導が始まる。
(熱血……ね)
ここからが乙女ゲームの強引なイベントだ。
剛ならではの『力業イベント』の真骨頂だった。
「いいか月詠! 実戦において、相手を道場の壁際まで追い詰める間合いってやつだ。おまえは弱そうだからな。たんと体験させてやる! 俺の気迫から絶対に目を逸らすなよ!」
「えっ? 壁際……? プレ、プレッシャー……?」
剛は、木刀を持った月詠をじりじりと後退させる。
あっという間に、道場の板張りの壁際まで彼女を追い詰めた。
(ここでカメラの準備か……。っていうか、なんだ、これ?)
真昼剛と対峙しているわけじゃないのに、目が霞む。
霞んで、周囲が歪んで見える。
いや……これが真昼剛の言うプレッシャー。
見えない何かが、空間を包んでいる。
「先……輩……」
月詠も同じことを思ったらしい。
これが武闘派の貴族の力。
だが、思いのほか月詠は踏ん張っていた。
それでも剛の武力は凄まじく、カタンッと木刀を落としてしまう。
その、次の瞬間だ。
剛は踏み込んだ。
手に持っていた木刀はいつの間にか消えている。
スリ足で一気に踏み込んで、月詠の顔と剛の顔が接近する。
――ダンッ!
——カシャ!
頭のすぐ横の壁へと、ごつい右手を力強く叩きつけた。
「月詠!これが真昼家の……いや、俺の力だ」
「ひゃうっ……!?」
「ふらふらしてんなって。俺が一番、お前を守れる」
至近距離で叩きつけられた壁の音。
目の前に迫った剛の精悍な顔つきに、月詠の小さな体がビクッと跳ねた。
そして、無垢な少女のその顔が一瞬で真っ赤に茹で上がった。
(壁ドンって。強引すぎだろ……。でも、やっぱり……)
モブでは出せない。
ヒーローはファンタジーで、バトルチックな特別な力を持つ。
これがゲームの世界。
「剛先輩……っ! 壁と先輩の間から、動けなくて……」
「当たり前だ。俺の目をしっかり見つめ返して気迫で押し返してみろ!」
「えええっ!? そ、そんなの……」
恥ずかしさのあまり、壁に背中を押しつけて涙目になりながら首を振る月詠。
小動物のような可愛らしさと、相手を閉じ込める野性的な熱血騎士の対比。
道場のギャラリーの女子たちから「きゃあぁっ!」という黄色い悲鳴が上がる。
歯を食いしばりながら、オレはファインダー越しに二人を観察した。
「 間合いの体験はここまでだ! 次は不良に絡まれた時の護身術伝授に移行するぜ」
剛は爽やかな汗を拭いながら次のメニューを高らかに宣言した。
だが、この護身術というイベントこそが、先ほどの壁ドンを遥かに凌駕する、精神の地獄の始まりだ。
「護身術で最も多いケースは、背後から急に不審者に抱きつかれた時の対処だ。お前は力を抜いて俺の拘束から抜け出してみろ」
「えっ、剛先輩からですか……!?」
「手加減はしてやる。こうやって後ろから」
頭に血が上っているのか、剛は躊躇することがなかった。
熱血指導で、本格始動だからか、大きな両腕をぐるりと回し、彼女の華奢な身体をすっぽりと拘束した。
――その瞬間、道場の空気と、オレの心臓が凍りついた。
(やりすぎだろっ!)
剛の丸太のような腕が、月詠の脇の下から胸下あたりを通り、彼女の腰回りと腹部をがっちりとホールドしている。
月詠の華奢な背中が完全に密着し、彼女のサファイアブルーの長い髪が、剛の首元にサラリと擦れる。
「こう……ですか?」
「まだまだだ。もっと体を捩れ」
「こう……ですか?」
身をよじって戸惑う月詠。
だが絶望的に疎い熱血騎士には、羞恥心がないらしい。
さらに腕の力を少しだけ強めて密着度を上げた。
「まず重心を下に落として相手の腕の隙間を作るんだ! 俺の腕のここを掴んで……」
「えっと。腕を胸のとこでグッと……ですか」
「あぁ。そのまま重心をかがめて」
そして月詠は意外な反応を見せる。
膨らんだ胸が推し潰れるほどに、剛の腕を固定する。
「ぬぉぉぉ……」
その嬉しい感触に剛が僅かに怯んだ。
サファイアの髪が舞う。
月詠は腰を捻って、自分の体だけを軸にして、くるりと回る。
前のめりになっていた剛の巨漢は、重心を失ったまま
――ダンッ!
——カシャ!
「す、すみません……つい」
「すげぇじゃねぇか」
「いえ。剛先輩の教え方が素晴らしいんです」
ここは真昼剛を背負い投げて、月詠が上、剛が下になるという構図だ。
オレは勿論知っていたから、その瞬間を撮影で来た。
嫉妬の炎が、オレの全身を焼き尽くし、胃液が逆流していた。
だけど、ファインダーの中の月詠の瞳は、頼もしい先輩への確かな『信頼』に輝いていた。
(純粋に護身術を教えていた。それは……分かるんだけど。それに……剛は絶対に月詠を守る。身を挺し——)
体格差萌えの究極の構図。
男らしい剛健な腕と、その腕の中で庇護される華奢な少女のコントラスト。
オレは脳は嫉妬の熱に茹だされ、ふやけていった。
——真昼剛は竹取月詠を守る存在……なんだから




