第24話 新学期が始まる
カレンダーは九月を迎えていた。
学苑は新学期の喧騒に包まれ始めていた。
吹き抜ける風にはまだ夏の熱気と、少しずつ混じり始めた秋の涼しさが同居している。
「……結局、夏休みは誰も動かないままだったな」
秋の気配が少しずつ葉の先を染め始めた庭園を見下ろし、オレは愛用の魔導カメラのメンテナンスを続けていた。
ノリノリだった男たちが、合宿が終わった途端に全員が帰省した。
月詠もそうなのか。それとも寮に閉じこもっていたのか。
「やっと熱も引いた。——ってか。完全にゲームじゃん」
夏風邪の熱が下がると共に、頭の中の少しだけ冷めていた。
ほぼ寝ていたとはいえ、何もない一か月はゆっくり進むだろうに、ショートカットされたみたいな、すっ飛ばし感があった。
そして、気付けば八月が終わっていた。
「切り替え完了。オレの感覚だとこうだな。月詠が全員に対してバランス良く、平等に優しかった。そのせいで均衡が保たれすぎた」
でも、その停滞もここまでだった。
何せ、乙女ゲーム『月下の約束』は高校の三年間を描く作品ではない。
二年生の後半までで、告白イベントが発生する。
そして九月の学苑には、重大な分岐イベントが待ち受けている。
「――学苑伝統の秋季行事。……通称、紅葉狩りイベント」
広大な学苑の裏山と庭園を舞台に、男女がペアを組んで散策する。
一緒にお弁当を食べたりもする、王道中の王道だ。
何より
月詠が誰とペアを組んで、紅葉を見上げたかによって、冬にむけての攻略ルートが絞られる。
「秋を制した者が、冬を制す! そして冬と言えば、月末の恒例行事——」
「――相変わらずね。ストーカー」
不意に部室のドアが開かれた。
ショッキングピンクのゆるふわボブが揺れる。
月詠の親友兼恋愛アドバイザー、綺羅星キラだ。
見た目は可愛いが、腕を組んだまま冷ややかな半眼でオレを睨んでいる。
「いきなり部室の入ってきて、ストーカー呼ばわりとか失礼だな。オレは紅葉狩りの準備に向けて、公式記録係としてカメラを調整してただけだ!」
「へぇ。その割には最近、撮る相手のターゲットがかなり偏ってる気がするけど?」
キラがじりじりと距離を詰め、オレの机の上にポンと手をついた。
「どうしてあの日、宵坂先生とのツーショットをあんなに必死に狙っていたわけ?」
マゼンタ色の瞳の奥に、鋭い探りの光が揺れる。
オレは僅かに眉を寄せた。
恋愛アドバイザーである彼女は、イベントスチル内に確かに存在している。
ウェディング会場にも、ちゃんと映っている。
つまり、モブのオレとは格が違う。
「王道の東雲先輩が本命になりそうなのに……あなた、まるで宵坂千秋と月詠をくっつけたいようにしか見えない。それに、暮小路くんのことも、あたしより先に月詠へ誘導しようとしていたよね?」
心臓がドキリと大きく跳ねた。
「そ……そうかな」
「そうよ。あたしの目は誤魔化されないわよ」
八月いっぱい休んだからか、冷静になっているオレがいる。
シナリオを選ぶのは、ヒロイン・竹取月詠。
そのシナリオ選択を助けるのが、綺羅星キラ。
「で、守部は何を狙ってるの?」
「……オレは」
カメラマン如きが、プレイヤー気分になっていた。
でも、オレは「六人目のヒーローのエンディング」を知っている。
ハッピーエンドに見せかけて、世界破滅を引き起こす常闇朔ルートを知っている。
転生ゲーマーの事情を、彼女にどうやって説明するか。
「月詠を常闇と結婚させたくない……」
だから、賭けに出た。
一学期目になんで考えなかったのか。
彼女を味方に出来れば、全てが上手くいくのだ。
だが——
「とこやみ……何、それ。暗がりに連れていくって意味? 守部ではそう言うのね」
「え……。いや、常闇朔だよ。名前……」
「とこやみさく……? 益々分からないんだけど……。って、どうしたの?」
「名前……だ。転……こ……」
登場していないキャラだから、話は通じない。
そして、ペナルティだと言わんばかりの頭痛と眩暈が起きた。
この世界が拭い難く、システムであることを突き付けられる。
転生した当初から、直感的に分かっていたのだろう。
意識を失いかけたオレは、膝に手をついた。
「じゃぁなくて! 画的な組み合わせとして面白いと思っただけだ」
「は……? まぁ、ドラマティックな展開ではあるけど」
「だろ。慧もキャラが濃いし、紅葉の背景にあの不良先生が立ったら、イベントスチルとして盛り上がりそうじゃん」
オレがどうにか、はぐらかすとキラは目を細めた。
そして、どこか楽しそうにクスリと笑った。
「……そんなに怯えなくても。日和見の貴族に生まれのあたしからすると、ありではあるのよね」
「日和見……だと」
少女は、面白がるようにお道化る。
竹取月詠を至近距離で見て思ったことが、彼女にも当てはまる。
「でも、あなたの動きは本当に不自然。ただのカメラマンの家柄のはずなのに。……誰に雇われているのかしら」
オレの背筋に、どろっとした冷たい汗が伝う。
内から溢れる魔力が、化け物級で、モブでは相手にならない。
だが、キラはそれ以上追及することなく、ふっと窓の外へ視線を移した。
「ま、いっか。あなたが隠してる秘密を暴こうとは思わないわ。月詠の株が上がって、勝ち組へ向かう方向なら……ね」
その細い指で庭園を指差す。
渡り廊下を歩く、一人の魔女がいる。
「目を瞑って、協力してあげてもいいの。ほら、殿方に月詠が呼ばれてるみたい。紅葉狩りの下見と、当日の茶席のペアの相談ね。守部……公式記録係さん、ちゃんと仕事してきなさい」
読めない女だった。
オレから頼むまでもなく、彼女は協力すると言った。
◇
月下の約束の世界観。
九月に入ると、日に日に気温が下がる。
少しだけ赤く色づき始めた紅葉の木の下。
王子の東雲暁が、竹取月詠の隣に優雅に立っていた。
二人は、紅葉狩り当日に設けられるお茶席の配置図や、散策コースの案内状を手に取り、何やら熱心に相談をしている。
その周囲には、他の生徒たちが遠巻きに憧れの視線を向けていた。
「月詠さん、こちらの散策コースはどうだろうか? ちょうど池の端を回るあたりで、木々の紅葉が最も美しく色づくはずだよ」
「はい、暁先輩。とても素晴らしいルートだと思います。これなら、ご来賓の方々にもゆっくりと秋の景色を楽しんでいただけますね」
「ああ、君と意見が合って良かった。当日は普段よりも歩くことになるから、君が疲れてしまわないよう、お茶席での休憩時間を少し多めに取っておこうか」
「ふふっ、お気遣いありがとうございます。……暁先輩と一緒に歩けること、今からとても楽しみです」
月詠が手元の配置図から顔を上げたその時、秋風に揺られた紅葉の葉が一片、彼女のサファイアブルーの髪にふわりと舞い落ちた。
「……少し、じっとしていて。髪に秋の訪れが止まっているよ」
暁は王者の気品を漂わせた優しい微笑みを浮かべると、そっと手を伸ばし、彼女の艶やかな髪から色づき始めた葉を愛おしむように取り払った。
――カシャッ。
乾いた機械音が庭園の秋風に響く。
完璧な王子の美貌と、サファイアブルーの髪を揺らす美少女。
色づき始めた紅葉を背景にしたその一枚は、ゲームのキービジュアルと見紛うほどの完成度だった。
「おお、守部くん。いつもながら良いタイミングだね。君のカメラには定評があるから、僕も安心して任せられるよ」
「ま……任せてください、殿下! お二人の組み合わせは画的に抜群ですから!」
はっきりと嫌がる宵坂とは違った。
暁は、王者の名に恥じない完璧な笑みを浮かべて、オレのスナップショットに頷いた。
「この『錦秋の遊山』は、学苑の生徒だけでなく、内外の貴族たちも注目する伝統行事だ。美しい紅葉の風景の中で、僕と月詠さんが並び歩く姿を、美しく、印象的に撮ってほしい。民に見られる僕の姿は、いつ何時も完璧でなければならないからね」
王道の東雲先輩が本命になりそうなのに……
綺羅星の言葉が頭の中で再生された。
そう……かもしれない
普通に考えたら、ヒーローの定番は東雲暁だ。
だが、オレの本能が違うと言っている。
イベントスチル枚数ワースト一位の王子様。
そんな戸惑い顔のオレに向かって、月詠が柔らかく小首を傾げた。
「守部くん、いつもありがとう。……ふふっ、守部くん、相変わらずキラちゃんと仲良しさんね! さっきも部室の窓から、二人でお話ししてるのが見えたよ」
純粋無垢なヒロインの指摘に、オレの心臓が痛いほど跳ねた。
暁先輩も興味深げに目を細める。
「ほう? 綺羅星嬢とそんなに親しいとはね。……まあ、守部くんがそうして周りをしっかり見ていてくれるおかげで、僕たちも安心して行事の準備に集中できる。紅葉狩りの本番でも、よろしく頼むよ」
そう言って、暁は再び月詠へと優しく語りかけ、散策コースのエスコートを始めた。
二人の並び立つ姿は、誰がどう見ても絵画のように美しく、お似合いのカップルだった。
(いや、今回は違うのかも……これでいいんだ)
撮れば撮るほど、ヒロインとヒーローたちが近づいていく。
もうすぐ訪れる紅葉狩りの本番で、誰かとのペアが確定すれば、個別ルートへと入り、世界滅亡という納期はクリアされる。
それが、オレの仕事だ。
モブであるオレがやるべき、ただ一つの正しい役割なんだ。
(切り替えた筈――なのに……どうして)
ファインダーの向こう側で、月詠がこちらに気づき、オレだけに向けてふっと柔らかく微笑みかけてくる。
雨の祠、あの満月のような金色の瞳を見るたび、カメラを握る手が、どうしようもなく冷たく、重くなっていく。
少し早い紅葉の葉が一枚、オレの足元へと静かに落ちた。
運命の個別ルート確定をかけた、波乱の『紅葉狩り』の準備が、今、静かに幕を開けていた。
──と頑張って、思い込んで、そして……呑み込んだ。




