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乙女ゲームのモブ転生~恋の最前線でカメラを構える男~  作者: 綿木絹
第一章 冴えないモブ転生

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第22話 モブは、うっかりバグる

 土砂降りの雨と雷鳴を背に、オレたちは石造りの祠へと転がり込んだ。


「――はぁっ、はぁっ……! な、なんとか逃げ切ったな……っ!」

「だ……大丈夫……かな」


 お化け役の生徒の控室。

 でも、今は誰もいなかった。

 8月の真夏だというのに、雨に打たれた夜の森は、氷水に浸かったかのように寒かった。


「大丈夫だよ。確か、ここに。うん、あった。魔法灯——」


 今日だけ切り取ったように寒い。


 大きく息を吐き出して顔を上げたオレは、コックを捻った。

 その瞬間、息を呑んで固まった。


「……って、ゴメン!」

「え……?」


 目の前には、ゲーム知識にあった『イベントスチル』

 そのままの光景が広がっていた。


 雨に濡れたサファイアブルーの髪が、艶やかな白い頰にそっと張り付いている。

 水分を含んだ夏服は、彼女の細い肩や華奢な身体のラインを浮き彫りにしていた。


「きゃ……」


 水滴が長い睫毛を濡らし、金色の瞳が寒さでわずかに潤んでいる。

 文句なしの、最高にメロいサービススチル——


 だが、オレの手はカメラに向かわなかった。

 そもそも、このイベントに肝心の『隣に並んで映るべきヒーロー』がいないのだ。

 だからオレは魔導カメラを背中側に回し、迷うことなく月詠に背を向けた。


「お、オレ! 絶対にそっち向かないから、その濡れた服を絞るかなんかして水気を切れよ!」

「えっ……? で、でも、守部くんもずぶ濡れじゃ……!」


 背中越しに、月詠の気遣うような声が届く。

 しかし、オレは自分が守部家に転生していることの特権を思い出していた。


 どれだけ、これに悩まされたかって話だけれど。


「オレは大丈夫だ。こういうこともあろうかと、魔導カメラと同じようにオレの制服には強力な『防水・撥水魔術仕様』が施してある」

「そう……なの……?」


 イベントスチルを残す為、雨にも風にも負けない。

 やたらと熱がこもる制服だ。


 バサッと、暑苦しい制服の上着を脱ぐ。


 バタバタと数回振って付着した水滴を完全に弾き飛ばす。

 その乾いた少し大きめの上着を、背を向けたまま後ろ手で月詠の方へと投げ渡した。


 上手く届いたかは分からないが……


「風邪ひかないように、上着を羽織って暖まってろ」

「でも、守部くんも」

「遠慮するな。そういうわけだから、オレは濡れてないんだ」

「……あ、ありがとう、守部くん……」


 衣擦れの小さな音が聞こえた。


 やがて彼女がオレの上着に身を包んで息を吐いた。


 ◇


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 激しかった嵐は静まり、雷鳴も遠のいた。

 雨音が祠の石屋根を、まるで子守唄のように優しく叩いていた。


(三人のイベントはこなせたし。……っていうか、暮小路のやつ。避難としては正解かも知れないけど、さ)


 独り言ちたい気分でそっと振り返った。

 月詠はオレの大きめな上着を肩からすっぽりと被り、石壁に寄りかかって目を閉じていた。

 長い睫毛が静かに伏せられ、穏やかな寝息が微かに聞こえてくる。


(文句はあとにしよ。月詠……眠ったのか)


 屋根がある安心からか、月詠の表情は安らかだった。


 その寝顔は、オレの心まで安らかにさせた。


 だから、今までずっと胸の奥に閉じ込めていたものが、まろびでる。


 小さな、掠れた独り言がオレの口から零れ落ちた。


「魔女ってさ。やっぱり気にしてたのか。月詠は、庶民の家に生まれて、幼い頃から変な幻覚ばっかり見ていたんだったか……」


 ただのゲームのヒロインの裏設定。

 そう割り切っていたはずだった。


 所謂、主人公補正と呑み込んでいたはずだった。


 しかし、言葉にすると、自分の耳で聞くと、決定的に違った。

 彼女が背負ってきた、理不尽な重みが胸を締め付けた。


「町医者には、幼少期に診られる、感受性が高いだけ、なんて片付けられて……。でも、その気味の悪い力は消えなくて。中学の頃、ついにその力が勝手に暴走して、大きな事故を起こしてしまった……か」


 帝国の未来ある若者たちが、こぞって恋に落ちる。

 理由は、竹取月詠の潜在的な魔力にあるらしい。


 暗がりの中で、上着に包まった小さな肩を見る。

 彼女はただのゲームキャラでも、データでもなく、確かに息をしている。


 雨風が収まれば、寝心地が悪いだろうが、寝てしまえば、あんな顔が出来る。

 ただ一人の人間だった。


「地元では魔女と呼ばれ。それで帝都の憲兵に『魔導の突然変異体だ』って目をつけられて、理由もわからないまま、親元を離れて。皇華高等学院に来ることになった」


 彼女が、いつもあんなに誰にでも微笑みを向けていたのか。

 その理由が、何となく分かった。


「怖がられたくなかった……からか。で、自分が何者かもわからなくて、またいつ誰かを傷つけるんじゃないかって……。誰にでも必死に笑顔を向けて、優しくして……」


 心が、締め付けられる。

 気づけば、言葉は止まらなくなっていた。


「くそっ、オレは……。何が三人のイベントをこなせた、だよ」


 魔力がそうさせるのか、それとも月詠とはそうなのか。

 とても綺麗な横顔だった。

 濡れた青い髪が頰に張り付いてるのも……


 トクン……と、胸が跳ねる。


 心臓が不自然なほど早く脈打っている。

 認めたくない感情が、喉の奥までせり上がってくる。


「やばいって。それは駄目だろ、オレ」


 言葉にした瞬間、現実の冷たさが頭を殴った。

 オレはただのモブだ。観測者だ。


「ゲームのヒロイン相手に、モブのオレが何を考えてるんだ。役目を思いだせ! 世界滅亡は二度とゴメンだって」


 自分に言い聞かせるように、オレは声を出して首を振る。


「早く誰かイケメンどもとくっついてくれ。 オレだって守りたいんだ。世界を救ってくれよ……」


 そうだ。

 それがオレの仕事だ。

 でも、自分の理性をあざ笑うように、一番厄介なバグが生まれた。


「考えないようにしたいんだよ。……オレだって、お前と一緒に写りたい」


 月下の約束のヒロインという記号。

 世界滅亡を防ぐフラグという記号。


 そう、思っていただけ。


 パチッ


 その瞬間――だった。

 伏せられていた月詠の長い睫毛が、跳ね上がった。


「え……?」


 満月のように輝く金色の大きな瞳。

 それが目の前にあった。

 オレをまっすぐに、静かに捉えていた。


 ――ドクンッ


 心臓が、大きく跳ねる。

 月詠は、白い頰をほんのりと赤らめながら、オレを見つめて静かに言った。


「……そっか。魔導カメラは、守部くんにしか使えないもんね。だから、守部くんは写真に一緒に映れないんだね」

「つっ……!? お、お、お前……起きてたのかよ……っ!?」


 オレは目を剥いた。

 ひどく動揺した。

 心臓が口から飛び出しそうなほど慌てふためいた。


「あ、あぁっ! そうなんだ! この魔導カメラはオレにしか使えない仕様だから、どうしたってオレは画面の外で……って、いや、そうじゃなくて!」


 必死に誤魔化そうとするオレを見て、月詠は少し首を傾げた。

 濡れた金色の瞳が、不思議そうな色に染まる。


「でも……どうして、守部くんは……私が誰にも話していない、私の過去を、私の悩みを……。そんなに詳しく知っている……の?」

「え、えと……それは……っ! その……!」


 額から滝のような冷や汗が吹き出す。

 ゲームの設定で知っているなんて、絶対に言えるわけがない。


 なんで言えないか、なんて考えない。

 多分、言っちゃ駄目なんだ。

 だから、言葉を探した。


「か、カメラで……お前のことをいつも撮るときに……なんと、なく! そう、勘で……!」


 かつてないほどしどろもどろになった。


 まさにその時、祠の外に変化があった。


 森の遠くから、雨上がりの静まり返った木々の向こうから


「――月詠ーっ! どこにいるんだ!」

「月詠ー! 返事をしろー!」


 男たちの切迫した大きな声が重なって響いてきた。

 東雲暁、真昼剛、そして夕星と暮小路の声もあった。


 屋根を叩いていた雨音はすっかり止み、雲間からは美しい月光が差し込んでいた。


(……やってしまった。ここはやっぱイベントだよな)


 オレはハッと我に返り、急速に冷まされた頭で、酷く後ろめたい気持ちに襲われた。


(ヒーローが来るなら、イベントスチルを撮れたかも……。でも裏方に徹するモブのオレの上着が……)


 モブの、守部の服は写せない。


 オレの顔に自嘲の影が落ちかけた、――そのときだった。


「――ううん、そんなことないよ」


 暗がりの中。

 月詠が立ち上がり、月そのものかのように柔らかく、温かい微笑みを浮かべた。


「守部くんはいつも、私のことを見守ってくれてた。ちゃんと守ってくれてるんだよ。……ね! ほら、この上着もそうだよね! ちゃんと洗って返すから」


 彼女は優しく歯を見せた。

 羽織っていたオレの制服を、胸元のところで愛おしむように、はだけてしまわないように、ぎゅっも握りしめた。


 そして、いつもの笑顔に戻り、祠の出入り口へ向かって軽やかに手を振った。


「暁先輩ー! みんなー! 私たちはここだよーっ!」


 サファイアの髪を揺らし、月詠が軽やかな足取りで祠の外へと駆け出していく。

 後には――

 薄暗い石の祠の中には、オレだけがぽつんと一人


 取り残された……というより、動けなかった。


「…………っ」


 ボッと、


 自分でもわかるほど一瞬で、頰が


 火が出るほど熱く赤く染め上がった。


 魔女が現れるという噂の祠、そこには彼女のほのかな体温と、雨に濡れた甘い花のような香りが、確かに残っていた。


「やばい……。オレ……バグ……った?」


(第一章完)

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