第16話 夏イベント前の五回のシャッター音
林間学校の出発が目前に迫る。
皇華高等学院の校舎は、夏の合宿行事に向けた熱気と賑わいに満ちていた。
オレは写真部の公式記録係として、今日は自分から余計なアクションを起こさず、ただひたすらに魔導カメラを構え、モブらしく背景の観測と撮影に徹していた。
(暮小路が中止にすると言った時はヒヤッとしたけど、これで一安心だ。やっぱ、夏イベントはイベントスチル多いし。……早く誰か月詠を落として、世界滅亡を阻止してくれ)
そんな祈りを胸に学内を巡回する。
オレのカメラは、五人そろったヒーロー達のセンサーなのだろう。
自然と足が好感度アップイベントへと向かっていた。
◇
【1.東雲 暁 —— 完璧王子の小さな綻び】
午後の穏やかな陽光が差し込む学生食堂。
東雲暁が月詠のテーブルへと向かい、いつもの優雅な王子様スマイルで最高級の紅茶を淹れていた。
普段ならどんな所作も完璧な彼だが、今日は少し違った。
月詠にいいところを見せようとマナーを完璧に守ろうとするあまり、手元への注意がおろそかになった。
王子様が、ソーサーから紅茶を少しだけこぼしてしまったのだ。
「――あっ。……申し訳ない。君の美しい笑顔に気を取られて、つい手元が狂ってしまったようだ」
ほんの少し頬を赤らめ、珍しく困ったような苦笑いを浮かべる王子様。
完璧な人間の、可愛らしい隙。
月詠がくすくすと上品に笑いながら、「気にしないでください、暁先輩」と自分のナプキンをそっと差し出す。
二人の穏やかで温かい会話が、午後の柔らかな光の中で美しく溶け合っていた。
――イベント来た!
――カシャッ
完璧な王子のレアなドジと、それを受け入れるヒロインの微笑ましい一枚。
ワースト一位の東雲、やるじゃん。
◇
【2.真昼 剛 —— 圧倒的な包容力と王道の頼もしさ】
林間学校イベントの荷物置き場となっている本館の玄関ホール。
真昼剛が大きな声を張り上げていた。
彼は、月詠が両手で抱えようとしていた合宿用の大きな荷物を一目見た。
そこで、血相を変えて飛んでいったのだ。
「おいおい月詠! そんな重そうなもん、女の子に持たせられるかよ!」
「え……あの……」
ふいに大声を出された月詠は、バランスを崩した。
そんな彼女が落としそうになった荷物を剛は巧みに受け止めた。
「前も言ったろ。 お前は俺が守るんだ。だから、当然俺が持ってやる!」
「真昼くん……」
有無を言わせぬ熱血全開のエネルギーで荷物を軽々と奪い取る。
そして、頼もしい広い背中で力強く歩き出す。
そのちょっと強引だけど裏表のない優しさに、月詠は困ったような笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、剛先輩。頼もしいですね」
「おう!」
パッと花が咲くような、王道の笑顔が交わった。
――ワースト二位、やればできるじゃないか
――カシャッ
◇
【3.夕星 律 —— クール系魔術師のシュールな隠蔽】
静まり返った図書室の奥
人目のつかない書庫の死角で、夕星律が難解な古い魔導書を読んでいた。
本棚の隙間からそれを見つけた月詠が、表紙の禍々しい紋章に気づき、驚いたように駆け寄る。
「り、律先輩……! その本、確か『学生閲覧禁止』の禁書なんじゃ……? 読んではいけないのでは……?」
ヒロインにルール違反を見つかるという絶体絶命のピンチ。
しかし、クール系魔術師は焦らない。
律は涼しい顔のまま、長い指先で本をすっと撫でた。
すると、高度な幻影魔術が発動し、禁書の禍々しい表紙が一瞬にして『初心者向け・美味しいクッキーの作り方』という可愛らしい絵本へとカモフラージュされた。
「……何の事かな? これは普通の料理本だよ。うん、これで大丈夫だね」
「えっ……? でも今、絶対に……ええ……?」
まったく悪びれずに淡々と答える律に、月詠はぽかんと口を開けて呆れてしまう。
そのシュールなやり取りの中に、不器用な二人だけの秘密の共有が生まれていた。
――カシャッ。
呆れるヒロインのユーモラスな一枚。
――ワースト三位。でも、常闇を抜けば三位か。
流石、夕星律と、モブのオレが心の中で誉めておこう。
◇
【4.暮小路 慧 —— 同級生だからこそ見せる、レアな焦り顔】
放課後の生徒会室前。
1年の暮小路慧が、分厚い『林間学校行事計画書』を広げ、一人で眉を寄せて真剣に考え込んでいた。
暗闇の肝試しなどで月詠に危険が及ばないか、彼なりに綿密なセキュリティチェックをしていたらしい。
(あるいは合法的に月詠とペアになるためのルート計算……か?)
そこへ偶然通りかかった月詠が、後ろから計画書を覗き込んでしまう。
「あ、暮小路くん。そんなところまでチェックしてくれているの?」
声をかけられた瞬間。
いつもは余裕の笑みを崩さない宰相の子息が、ビクッと肩を跳ねさせて計画書をバサバサと隠した。
「あ、違いますこれは」
慌てて涼しい微笑みを貼りつけた。
「これはその、生徒会や上級生がちゃんと不備なく仕事をしているか、私が念のためチェックしていただけさ! 他意はないよ、うん!」
いつもの冷ややかな知性とは程遠い、動揺しまくりのレアな焦り顔。
同年の男の子らしい初々しさに、月詠
「ふふっ、暮小路くんって、意外と心配性なんだね」
同級生ならではの親近感を抱いて優しく微笑んだ。
――カシャッ。
傲岸不遜な宰相の子息が見せた隙と、同級生ヒロインの愛らしい距離感。
——流石は、実質二位の男だ。
結構、真面目な慧に、オレもちょっとだけときめいた。
◇
【5.宵坂 千秋 —— 暗がりで囁く、大人の妖艶なカウンセリング】
旧棟にある魔術研究クラブの準備室。
薬草と古い羊皮紙の香りが漂う薄暗い部屋。
月詠は顧問である宵坂千秋先生に、一人で真剣な悩みを打ち明けていた。
「……ということが……ありまして」
魔術を学ぶ中で時折感じる自身の力の不安定さ。
自分がここにいていいのかという漠然とした不安さ。
普段はだらしなく白衣の首元を開け、飄々としている宵坂だが、雰囲気が違った。
無精髭の顎に手を当て、深い群青の瞳で真剣に彼女の言葉に耳を傾けていた。
そして、月詠の震える小さな手の上に、自分の大きくて温かい手を重ねた。
低く、甘く、耳の奥を撫でるような声で囁く。
「――大丈夫だよ、月詠くん。君の魔力は、何も恐れることはない」
月詠の肩が僅かに跳ねる。
でも、千秋の手のぬくもりに、少しずつ弛緩していく。
「君は君だ。君は君のままでいい」
「でも、私……」
「それにボクなら——」
年の離れた大人の男だけが持つ、圧倒的な色気と絶対的な包容力。
有名な魔術師である彼を頼り、月詠は密室で悩みを吐露をした。
すると、二十代前半の男教師の手が、少女の腕を引き寄せる。
二人の顔が近づく。
――カシャッ。
「も……勿論、教師としてだけど。いつも、そばで見守っているからね」
「は……はいっ……」
月詠の耳が真っ赤に染まる。
月詠にとって、抗えない必然だったのかもしれない。
彼女の金色の瞳が、甘い魅了の熱に潤んでいく。
——イベントスチル枚数ダントツ最多を誇る、宵坂千秋。
最イージールートの破壊力を収めた決定的な一枚、回収完了。
オレの記憶の中のイベントスチルをトレースしてるとはいえ、……やっぱり多い。
……ってか。ダメだろ。普通に考えて
とは言え、世界は順調に平和に向かっている
◇
オレは準備室を出て、写真部の暗室へと辿り着いた。
重い遮光扉を閉めた、――その瞬間だった。
「……ぐっ」
オレは白目を剥いてガクンと膝を突いた。
極度の緊張感と、広い学苑内を全速力で駆け回った疲労が一気に押し寄せたのだ
「あ、危ねえ……! 精神力と体力が限界突破だ。早く解放して……マジで倒れそう……」
オレはコソコソ隠れて盗撮なんてしていない。
守部家のオレには写真部としての強力な特権があり、法律的にも学校規則的にも、学苑中のあらゆる場所で、合法的に堂々と撮影することができる。
だが――問題はそこじゃない!
王子、熱血、クール、同級生、そして不良教師。
五人ものメインキャラたちと、いつ、どこで、どんなイベントが発生するか。
「でも、このカメラはオレ専用だし。守部の兄弟はいないのかよ……」
ゲーム知識と鋭い観察眼で先読みし、広い校舎から庭園、図書室、旧棟に至るまで、シャッターチャンスを待たなければならない。
これが、どれだけ神経と体力をすり減らす凄まじい重労働か。
モブカメラマン一人に課される仕事量を遥かに超えている!
「あつっ……! っていうか、オレの学生服、暑い! 熱い! 汗の量がヤバい!」
オレはたまらず制服の上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩め、汗で張り付いたシャツすらも脱ぎ捨てた。
通気性のいい白い肌着一枚の姿へと着替えた。
そしてそのまま、休む間もなく現像作業へと取りかかる。
暗赤色のランプだけが灯る静かな暗室で、魔道カメラをそっと置く。
「……ここに魔力を注いて……と」
魔法液の入ったバットから、先読みで焼き付けた五枚の結晶板を慎重に引き上げる。
試薬にもキッチリと守部のマーク。
器材の一つ一つのにも守部マーク。
「定着完了だ……あとは早く乾かさないと……」
オレは、片手に大きな竹骨の団扇を掴み、椅子に腰掛けた。
熱気で湯気の出そうな自分の火照った首元と、現像したての湿ったヒロインとヒーローたちのメロ写真を、交互に力強く扇ぐ。
パタパタパタ……
自分の汗だくの顔へ
パタパタパタ……
王子のドジと、熱血の背中の写真へ
クールのカモフラージュと、同級生の焦り、教師の色気写真へ
「イメージ通りのイベントスチルの出来上がりだな」
魔法板の上で鮮やかに浮き上がってきた五人の星たち。
彼らの顔は、間違いなく最高の輝きを放っていた。
「これだけ完璧なスチルが揃えば、林間学校は更に進展して……」
団扇を持つ手は止めない。
オレは白目を剥きかけた顔に、職人としての誇り高い笑みを浮かべた。
あとは、あの暗い夜の森の中で、誰が月詠の隣を勝ち取るか――
「……の前に! オレの制服、暑いって! でも、守部の制服じゃないとって。磯野先生に言われたし。 オレと一目で分かるように、だと。 磯野もモブ顔だろうがよ……」




