第12話 大人の警戒
学苑の長い廊下は、午後の柔らかな光に満ちていた。
オレはいつものように首から魔導カメラを下げ、A組の教室から少し離れた死角で待機していた。
前回の終礼後、綺羅星キラのアドバイスによって、ヒロインである竹取月詠が『魔術研究クラブ』への入部を前向きに考え始めた。
公式記録係――もとい恋愛アシスタントとして、今日も『いい写真』を撮って、二人の距離を近づけるのがオレの仕事だ。
「世界大戦で死んだオレだぞ。 この程度やってやる」
内心で自分を鼓舞しながらファインダーを覗く。
すると、ちょうど教室から出てきた月詠の姿が視界に入った。
サファイアブルーの長い髪が、いつも眩しい。
歩くたびにさらりと揺れ、金色の瞳が窓からの光を宿して美しく輝いている。
制服のリボンが少しだけ曲がっているのが、なんとも言えない隙を垣間見せる。
いや、モブのオレには関係のない話だが。
オレの気配に気づいた月詠が、少し立ち止まってぺこりと頭を下げた。
「あ……守部くん。今日もカメラの記録、頑張ってくださいね」
「あ、うん。 竹取さんも、その……頑張って!」
「うん。一緒に頑張りましょうね」
優しい笑みを向けて去っていくヒロインの背中を見送りながら、オレは内心で拳を握った。
(流石、主人公。流石はヒロインの破壊力……! でも、オレには関係ない。考えてみろ。まだ、学生だ。社会に出たら出会いなんていくらでもある。でも、世界が終わったら意味がない。つまり、宵坂千秋先生の攻略ルートだ!)
ゲーム知識に頭を巡らせる。
全キャラクターの中でスチル枚数が最多を誇る『最イージー』ルートだ。
大人の余裕で放たれる「君は特別だよ」のキラーフレーズが効果抜群なはずだ。
常闇朔が来る前に、世界が闇に包まれる未来が来る前に、ちょろヒーローとくっつける。
すると後ろから、ショッキングピンクのゆるふわボブが小走りで飛び出してきた。
「月詠ったら、待ってよ〜! ねぇねぇ、さっき言ってた魔術の話、もっと詳しく聞かせて!」
「もう、キラさんったら気が早いよ……。まだちょっと本を読んでみようかなって思ってるだけなのに」
親友役のキラが、楽しそうに月詠の腕に絡みつく。
――魔術の話。
月詠は、キラの誘導もあってか、完全に宵坂先生への興味を――もとい魔術学への興味を強めている。
(いいぞいいぞ、月詠! 順調に先生ルートへ舵を切り始めてるな……! スチル最多なんだから、出し惜しみせず早くイベントを進めてくれよ。オレ、プロのカメラマンとしてステルス気味に徹底フォローするからよ!)
放課後。
月詠はキラと一旦別れ、一人で図書室へと向かった。
オレは廊下の太い柱の陰に身を潜め、望遠レンズ越しに彼女を観測する。
月詠は静かな図書室の本棚の前で立ち止まり、背伸びをして魔術関連の分厚い専門書を手に取っていた。
窓からの夕光が彼女の白い肌を照らす。最高に綺麗な構図だが、オレはまだシャッターを切らない。
狙うべきは、ヒーロー宵坂と絡む決定的瞬間だ。
(図書室での予習イベント完了だな。次はきっと、先生と二人きりの密会……いや、出会いシーンの発生だ)
月詠が本を胸に抱えて図書室を出る。
オレは足音を殺し、適度な距離を保ちつつ静かに後をつけた。
やがて月詠が足を止めたのは、旧棟の角にある『魔術研究準備室』の重い木製ドアの前だった。
キラが「部活の見学にいきなよ!」と猛プッシュしていた場所だ。
月詠がノックをして少しだけ扉を開けると、中から低いテノールボイスが聞こえてきた。
「――ふむ、月詠くんだね。よく来たね。やっぱり、君は特別だよ。ボクの目には、君が他の子たちとは全く違う存在に見える」
開幕から出た!!
先生ルート名物のキラーフレーズ「君は特別だよ」!!
濃紺から群青の髪を無造作に流し、白衣の首元を少しだらしなく開けた、大人の余裕と色気を漂わせる。
ドアの隙間からファインダーを覗くと、男からの甘い肯定の言葉に、月詠の頰がほんのりと桜色に染まるのがはっきりと見える。
(いい画だ……! スチル最多の理由がこれか。先生の危険な大人の色気と、平民出身で健気な月詠の純粋さが噛み合ってる……! ここだ、今がシャッターチャンス!)
オレは息を止め、完璧な構図を捉えて指先に力を込めた。
――カシャッ。
静かな旧棟の廊下に、乾いたシャッター音が一度だけ小気味よく響いた。
完璧な密談スチル、回収完了だ。
――が、
その小さな音に反応したのか、部屋の奥に立っていた宵坂の、その群青の瞳がすり抜ける。
月詠をすり抜けて、ドア側に立つオレの方へと鋭く向けられた。
「……そこにいるのは、守部くんだったかな」
男の瞳がわずかに細められる。
いつもは大人の余裕で飄々としている彼が、明確な『警戒』
それと、酷く面倒くさそうな不快感を、その表情に滲ませていた。
「え……はい」
オレはビクッとして、慌ててドアの陰に身を隠した。
当たり前のように、一緒に部屋に入って、目の前で撮影をした。
流石に、オレも大人としてどうかと思う。
「君の役目は、あくまで学苑で学ぶ次代の若者たちの『青春の日常』の記録だろう? ボクのような教師のむさ苦しい研究室を覗くことではなくてね」
宵坂先生は、はっきりと冷ややかなトーンで、オレを突き放した。
白衣の袖を軽く翻し、撮影されることへの嫌悪感を隠そうともしない。
その態度に、月詠が少し戸惑ったように振り返った。
「えっ……守部くん? どうしてそこに……」
月詠の声に、少しだけ引いているような困惑が混じる。
オレは柱の背後で内心、激しく舌打ちした。
(それは、そう! 磯野先生にも次代の若者を撮れと言われたし! オレも変質者紛いの自分をどうかと思うけど! やばい。ヒロインも引いてる……)
思わぬ大人の反応に、オレは戸惑った。
だが、オレはすぐに都合よく、解釈を切り替える。
スチル最多のチョロヒーローのイベントスチルそのものなのだ。
なんとしてでも、最短ルートで駆け抜けてみせる。
◇
放課後の終盤。
アドバイザー役であるキラの立会いの下。
魔術研究準備室で『魔術研究部』の入部手続きが行われることになった。
入部を希望するのは、もちろん月詠ただ一人。
キラはあくまで提案者の付き添いとして顔を出しただけだった。
だが、オレは違った。
(磯野先生から許可を貰えた。 ふ……馬鹿め、ちょろヒーロー。 オレも大人の力を使えるんだよ)
『写真部の特権――学院内のあらゆる活動・部活動への部外者侵入及び取材可』
──それを、竹取月詠と綺羅星キラにも適応していいとお墨付きをもらってきた。
当然だ。竹取月詠は平民だが、綺羅星キラは貴族階級。
「月詠が入部してくれるなんて嬉しいわ~! あたしは魔法とか難しいことは分かんないから、外から応援してるね!」
そのキラが満面の笑みで言う。
すると、月詠は少し照れくさそうに、しかし決意を秘めた瞳で頷いた。
教卓に腰掛けた宵坂は、部屋の隅にカメラを構えて居座るオレの方を胡散臭そうにチラリと睨んだ。
だが、カメラと同じく首にぶら下げた『写真部特権』の札も睨む。
「……まあいい。そこまで言うなら、君の指導を引き受けよう。だが、そこの守部くん。君の役目はあくまで『記録』だ。邪魔はしないように、忘れるなよ」
オレは胸の『守部』の特注バッジも指で弾き、明るく笑って力強く頷いた。
「わかってます! 撮影はしますけど、絶対に邪魔はしません! 先生と生徒のコンプラとかも気にしません!」
「……その口を塞いでくれるか?」
「はい!」
群青の教師が渋々といった様子で月詠へと向き直り、魔術の基礎理論について語り始める。
夕日に照らされるアンティーク調の準備室。
熱心にメモを取るサファイアブルーの髪の少女と、大人の声で導く白衣の教師。
――ここだ。ここが、物語が動き出す決定的瞬間。
オレはレンズのフォーカスを完璧に合わせ、深く静かにシャッターを切った。
――カシャッ。
乾いた心地よい機械音が一度だけ響き、魔術研究室の歴史のはじまりを1枚のスチルへと永遠に焼き付けた。
カメラを下げながら、オレは内心で、ある意味で『世界を救う勇者』のような満足げな笑みを浮かべていた。
(部活はデカい。あのまま剣道部に入られたら……ヤバかったな。これで月詠の入部イベント完了だ! オレには写真部の特権があるから、これからもいつでもこの部屋に合法的に侵入できるし、宵坂ルートの密着取材体制は完璧だ)
こんな感じで、モブのオレが写真係として世界を滅亡から救っている
なんて……客観的に見たらちょっとおかしな話だけど




