#7 門出
十月。セイラが自動車教習所に通い始めて、一ヶ月が経った。ハンドルを握ると中学三年生の冬が胸によみがえる。両親を交通事故で失って以来、車が怖い。トラウマがあるので、教習がなかなか進まない。
「あ!」
セイラが驚いて顔を上げると、門の前にタバコを持った小柄な女性が立っている。康子だった。
「どうしたの?」
「えっと、友達を迎えに来てて…。」
すると、後ろに停まっていた赤い外車から、甘いマスクの好青年が降りてきた。車がよく似合っているな、とセイラが見惚れていると、彼はにっこり笑い、こちらに歩いてくる。
「はじめまして。鈴木瀧です。」
「あ、えっと、おつき合い?してるひと。」
セイラは突然のことに驚くが、小柄でかわいらしい康子とイケメンの鈴木が並ぶと、絵になる。そもそも長い付き合いだが彼氏を紹介されたのは初めてだ。
「お似合いじゃん!ほんと、美男美女で。」
そういうと鈴木が、太陽のようにぱっと白い歯を見せた。端正な顔立ちだが、笑顔は少年のように無邪気だ。
「康子ちゃんには本当に助けられています。いつもありがとうね。」
「タッキーこそ。」
セイラが康子と立ち話していると、おかっぱの若い女の子が走ってきた。どう見ても十代。教習所で入校式のときにもらうオレンジ色の不織布バッグを持っている。黒髪のおかっぱで、白いワンピースがよく似合う清楚な子だ。
「やっちゃん、ごめんね。次の予約が民法と被っちゃってて変更してたら遅くなっちゃった。瀧さんも、すみません。」
セイラと女の子が目が合う。
「はじめまして。」
セイラが笑って話しかける。
「康子さんにお世話になっています。中学の同級生です。大学のお友達?」
「はい。こちらこそ、康子さんとは仲良くさせていただいています。」
女の子は人見知りなのか、かなり緊張した面持ちだ。セイラは職業柄、表情に敏感なのでそれ以上立ち入らない。
「彼氏にもお友達にも会えて嬉しかった。またね。」
その帰り道、セイラは思う。康子もちゃんと、新しい人生を歩いているんだなあ、と。
「ただいま。」
「おかえり。今日、吉子さんが柿くれたのよ。」
セイラはアパートを引き払い、長谷部と同居している。ちょうど契約が終わり次の家を探すタイミングで、そうしたのだった。
「免許、無理しなくていいんじゃない。病院ならタクシーでだって行けるんだから。」
「まあ、ね。でも、車ってちょっとかっこいいでしょ。訪問カウンセリングもできるようになるしね。」
教習所に通うことを決めたとき、セイラは臨床心理士を応援で頼もうか、悩んだ。ずっと不在にするわけではないが、長谷部と中山だけでは少し不安だった。二人は心理学の専門家ではない。
でもまだ開業二年目で、応援を頼む体力がなかった。中山の善意でテナント料はほとんどかかっていないが、それでも二人にはパートタイムの従業員として給与を支払っている。業務委託契約ではなく雇用という形を取ることは、想像以上に事業主としての負担が大きい。だがセイラはそれ以上に二人の力に助けられているという思いが強かった。労災や雇用保険の手続きも、今となっては経営者の仕事として慣れたものだ。結局、指名があったとき以外は長谷部と中山の二人が回すようになった。
十二月。セイラは教習を頑張っているが、まだ実技が怖い。康子の友人のおかっぱの女の子とはときどき教習所で顔を合わせる。本名は直接聞いていないが、教官から「白石さん」と呼ばれていた。
そんな中、康子から「マンションを買ったので遊びに来て」と連絡が来る。たしか康子は、お兄さんと同居していたはずだ。
その日の夕方、相談室で自然と、康子の話題になる。
「マンション買ったんだって。大学といい結婚といい、ビックリだよね。」
「まあ、頑張ったわね。学生なのに。」
「それがね、ご両親とお兄さんが『カタギになった』って感動して、お金を出してくれたんだって。あとは瀧さんがもともと買おうと思ってた物件だったらしくて、一緒に住むことになったみたい。」
「わたし、マンションって憧れなのよ。ずっと戸建てだったから。内覧に行くのが好きで、アンケート書かされるでしょ。『娘に買ってあげる』なんて書いて。買ってあげないんだけど。」
「中山さんらしいですね。」
三人は大笑いする。
「そういえば、康子ちゃんのご主人は何のお仕事してるの?」
「おばあちゃんの好きな警察だって!」
「あら!」
長谷部の目がキラキラと輝く。長谷部はテレビで警察二十四時が放映される日は早退するほどの警察好きで、自身の手術の時にもけいゆう病院に入院したくらいだ。
「康子ちゃん、捕まるほうだったのに、捕まえるほうの人と一緒になるのね。」
中山がそう言うと、また三人は大声で笑った。
セイラは相談室のノートパソコンを開き、昨年十二月の顧客情報を見返す。工藤が初めて来たのはこの時期だったのか、と懐かしく思い返す。彼女は相談室でセクシュアリティのことを打ち明けられたことで前向きになり、約半年間通ってきていた。
そういえば、睦まじいカップルから「ピンク色のハート形のオーラ」が視えた、とおばあちゃんが話していたな、とセイラは思い出す。
デパートで、康子のマンションに持っていく結婚祝いを探していると、スワロフスキーのオブジェを見つけた。二羽のフラミンゴが向き合い、ハートの形になっている置物。重いので送っても良かったが、セイラは更生した友達への祝福と門出を祝って、持参することを決めた。
マンションのエントランスは都会的で洗練されている。インターホンを押し、オートロックを解いてもらう。エレベーターに乗り、七階で降りる。ピカピカのシルバーのネームプレートに「鈴木」というゴシック体が印字されたドアの前に立つ。深呼吸を一つしてから、今度は玄関のインターホンを押した。
「はーい!」
康子の明るい声が聞こえて、すぐにドアが開く。夫の瀧も並んで出てくる。やはりいい男だ。中からはもう、いい匂いが漂ってきていた。
「呼んでくれてありがとう。なんかおしゃれしてない?」
「そっちこそ。おなかすいてる?今、兄が料理してる。」
康子は相変わらず小柄で、顔は幼い。でも今日は一段と輝いて見えた。部屋の隅に、白石の姿もある。
「お邪魔します。…わあぁぁ。」
セイラは思わず声を漏らした。リビングは広くて、大きなソファに、品のいいラグ。窓からは街の灯りが見える。そして何より、キッチンから漂うおいしそうなにおいがすごい。
「セイラ来たよー。」
康子がキッチンに向かって声をかけると、エプロンをした男性が振り返った。背が高くて、ガタイがいい。すこしEXITのりんたろー。さんに似ているが優しい目をしている。康子の兄、健太だ。
「どーも、兄の健太です。何回か会ったことあるよね?」
「はい!」
「だよね!俺のメシ食ったことあるよね。」
両親が他界した直後だっただろうか。記憶は曖昧だが、セイラはたしかに健太の手料理を食べていた。
セイラがダイニングテーブルの席につくと、キッチンから次々と料理が運ばれてくる。サラダ、スープ、メインの魚料理。どれもプロのようだ。他人のキッチンとは思えないほど、健太は迷いなく動く。どこに何があるのか最初から知っているかのように、一品ずつ手際よく作っていく。
「お店みたい。」
「今日は、結婚披露宴だから。」
健太が笑ってそう言った。
――ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。ソファでくつろいでいた瀧が「はい!」と立ち上がる。戻ってきた瀧は、落ち着いたスーツ姿の男性を紹介した。
「同僚の林くんです。」
男性はスーツのジャケットを脱ぎながら、リビングの面々に軽く会釈する。
「鈴木瀧の同僚で、林といいます。今日はお招きありがとうございます。瀧がいつもお世話になってます。」
穏やかな低い声だった。セイラは軽く会釈しながら、なんとなく視線をそらす。彼は瀧とはまた違う、物静かな印象の人物だった。瀧との会話が聞こえてきて、バイクに乗ることがわかったが、少し意外だ。
一方、白石はまだ緊張した面持ちで、ソファの端にちょこんと座っている。康子が「聖子、ごはん」と声をかけると「うん!」と初めて笑った。笑顔はまだあどけない十代だ。横顔は整っていて、人見知りなのがもったいない。健太が「新婦の友人の、長谷部セイラさんと白石聖子さんです」と紹介する。
「みなさん、グラス持ちましたかー。康子と瀧の新しい門出と、この素敵なマンションに乾杯!」
健太がグラスを掲げる。みんながそれに続く。グラスが軽やかな音を立てた。
セイラは隣に座った林に自然と話しかけていた。
「警察の制服ってかっこいいですよね。」
「あ、僕も瀧も警視庁本部で内勤で、制服は着ないんですよ。」
林が少しだけ口元を緩めた。
何気ない会話だった。ただ、彼の言葉の間や、視線の感じが、なんとなく心地いい。流れで、仕事の話題になる。
「相談室を、おばあさまと?」
「はい。長くなるので、また機会があれば。」
林は「それは楽しみです」と、静かに言った。その言葉は、社交辞令ではないように聞こえた。
食事が一段落したころ、セイラは、自分が持ってきたプレゼントのことを思い出した。紙袋からスワロフスキーを取り出す。
「康子、これ。ご結婚、おめでとうございます。」
「いいの?」
康子が箱を開けると、二羽のフラミンゴが向かい合い、ハートの形になっている置物が現れた。光を受けて、キラキラと輝いている。
「きれい…。」
「おばあちゃんが、オーラ視えるって話、したでしょ。睦まじいカップルはピンクのハートのオーラが出るんだって。それで。」
「ありがとう。」
康子は嬉しそうに、リビングの棚の一番目立つ場所にオブジェを置いた。その隣には、写真が飾られている。瀧と康子、聖子と健太が仲良く笑って写っている。四人とも、本当に楽しそうだった。
セイラはその光景を見て、思う。工藤カップルにも、いつかこんな日が来るかもしれない。同性婚がいつか法制化されたら、今度は「あなたたちの幸せ」を祝福したい。
今日のことはずっと忘れずにいたいなと、セイラは思うのだった。




