#4 クリスマス・キャロル
十二月。街はクリスマスソングであふれている。誰もがどことなくすこし浮き足立っているようだ。
セイラはカレンダーを見ながら、ふと感慨に浸っていた。開業から四カ月。予約は少しずつ増え、今では週に五件以上は、安定して入るようになった。物流センターのパートは、先月で辞めた。カウンセリングだけで食べていける——そう言えるようになったのは、久保田吉子の存在が大きかった。
「また来ちゃいました。」
久保田はそう言って、二週に一度のペースで相談室を訪れる。最初は息子の引きこもりがきっかけだったが、今では彼女自身の日常の話をしに来ている。息子との関係も改善して、徐々に外に出つつあるという。
「ゆっくりやります。ありがとうございました。」
真善美相談室には、小さなクリスマスツリーが飾られていた。経費ではなく、長谷部がポケットマネーで買ったものだ。相談室もリピーターがつき、もう軌道に乗っている。
「ついこの間まで、は白衣着て段ボール運んでたのになあ。」
「今、繁忙期だから出勤してもいいのよ。今日はピッキングの数間違えちゃってダックワーズ倍にしちゃった。」
「長谷部さんったら、大サービスよね。それにしても、娘も、部屋にいろんな人が来てくれるようになって喜んでるんじゃないかしら。」
受付…ではなく、中山家の玄関には赤いポインセチア。窓際にはLEDの小さなイルミネーション。クライアント用のソファに座っていた長谷部がお茶を飲みながら中山のほうを振り返る。
「今日、予約あるの?」
「あるわよ。でも一件だけよね。」
中山がカレンダーをのぞき込む。
「はい。ネット予約です。」
セイラは少し誇らしげだった。
「ネット予約って、まだ嬉しいの?」
長谷部が笑う。
「嬉しいよ。っていうか、窓口がいくつもあると予約の管理がね。」
チャイムが鳴った。
やって来たのは、二十代後半くらいの女性だった。
黒いコートにマフラー。どこか緊張した面持ちで頭を下げる。
「初めまして。予約した工藤です。」
「お二階へどうぞ。」
すっかりスタッフになってしまった中山の夫が相談室へ案内する。
最初は仕事の話だった。
職場では誰にも相談できないこと、家族にも、友達にも話せないこと。言葉を選びながら、工藤はぽつりと言った。
「恋人がいるんです。」
セイラは穏やかにうなずく。
「はい。」
「…女性なんです。」
その瞬間だった。
「あら。」
中山が思わず声を漏らす。
「女の子同士?映画では観たことあるけど、珍しいじゃない。」
工藤は「はい」とも「いいえ」とも言わず、ただコップの水を一口飲んだ。
長谷部も首をかしげる。
「レズっていうのよね。」
少し考えてから続けた。
「実際に会うのは初めてだわ。」
部屋の空気が止まる。工藤はほんの少しだけ笑顔を消した。
セイラはそれを見逃さなかった。
「おばあちゃん。」
小さく制すると、長谷部は不思議そうな顔をする。
「だって本当なんだもの。」
「あら、ごめんなさいね。珍しくて…。」
中山も慌てて言った。
「ごめんなさいね。」
工藤は首を振った。にこっと笑ったが、表情は引きつっていた。
「慣れているので。」
その一言が、セイラの胸に重く落ちた。
その日のカウンセリングは予定どおり終わった。
帰り際、工藤は丁寧に頭を下げた。
「先生のお話は、とても安心できました。」
少し間を置いて続ける。
「もし次回もお願いできるなら…、ご年配のお二人は、外していただけますか。」
部屋が静かになった。
夜。
三人だけになった相談室。
長谷部が物流センターの社割で買ってきたシュトーレンが、なにか場違いな感じでテーブルに置かれている。
「悪いこと言ったつもり、なかったのよ。」
長谷部がぽつりと言う。
「わたしも。」
中山もうつむく。
セイラは少し考えてから口を開いた。
「うん。二人とも悪気はなかった。でもね、たぶん工藤さんさ。小さい頃から何十回も、今日みたいなことを言われてきたんじゃないかな。」
二人は黙って聞いている。
「だから、珍しいものを見るみたいな反応をされるだけで、傷ついちゃう人もいるの。」
長谷部はしばらく黙っていた。
「映画では、何度も観てきたのに。スクリーンの向こうと、目の前にいる人は違うのね。」
その夜。
長谷部は、本棚の奥からVHSを一本取り出し、テレビデオのデッキにセットした。ケースは日に焼け、角が少し割れているが「噂の二人」というタイトルはしっかり読める。
「久しぶりに観ようかしら。」
昔はただの名作だと思っていたけれど今日は違う。
工藤の引きつった笑顔が、映画の主人公たちと重なって見えた。
「映画って、不思議ね。同じ作品なのに、自分が変わると、まるで別の映画になるのよね。」
中山はセイラから借りた「多様性の時代に」という入門書を開いた。
「知らないままって、失礼なのね。」
ページをめくりながら、中山はつぶやいた。
クリスマスイブ。
商店街はすっかりクリスマス一色だった。ケーキ屋の前には長い列。子どもたちはサンタクロースの帽子をかぶり、商店街のスピーカーからはクリスマスソングが流れている。
「今日はうちでクリスマスケーキ食べましょう。社割の。ケンタッキーフライドチキンはお父さんに行ってもらったから。」
長谷部を乗せ、中山は物流センターの帰り道を運転していた。そのときだった。
「あ。」
少し先に見覚えのある顔があった。
工藤だった。隣には、背の高いショートカットの女性がいる。二人は手袋越しにそっと手をつなぎ、コンビニの前で笑っていた。
工藤もこちらに気づいた。一瞬だけ、表情が固くなる。
中山はコンビニで車を停めた。ふたりが車から降りる。工藤の顔は、まだこわばっている。隣の女性はにこやかだ。長谷部は、ゆっくり頭を下げた。
「この間は、ごめんなさいね。」
それだけ言った。中山も頭を下げてから、しっかり工藤の目を見つめて言った。
「素敵な彼女さんね。メリークリスマス。」
工藤は少し驚いたように目を丸くし、それから小さく笑った。
「ありがとうございます。」
二人はまた歩き始める。長谷部は、その後ろ姿を見つめていた。
「あら。オーラが…。」
「どうしたの?」
長谷部は目を細める。
「二人でひとつのハートになってる。」
中山は眼鏡をそっと掛けた。
「あら。こっちも…。」
頭の上に浮かぶ文字が、ゆっくり入れ替わっていく。
愛情。
愛情。
中山はうれしそうに笑う
「今日は二人とも、『愛情』が一番輝いてる。VIA-ISって、そのときどきの気持ちで変わるのね。」
長谷部もうなずく。
「そういうことだったのね。」
二人はもう、それ以上何も言わなかった。
「ただいま。」
「お母さん、おかえりなさい。長谷部さんも、どうぞ。セイラさんももういらしてますよ。」
ダイニングテーブルに、中山がせっせとケンタッキーフライドチキンを並べていると、セイラが二階から降りてくる。
「すみません、ごちそうになっちゃって。」
「クリスマスだから。」
「そうそう、お客さんに会ったわよ。なんて言ったかしら、女の人。彼女とコンビニの前にいた。」
セイラが、すこし驚いた顔でへえ、と言う。
「お似合いだったわよね。相手の方、背が高くて、モデルさんみたい。スタンドカラーのロングコートが決まってるのよ。」
「ふたりのオーラが、ピンク色でハート形になってた。うまくいってる証拠ね。」
「へえ、ピンク色のハートかあ。」
中山の夫もサラダとカトラリーを食卓に並べている。長谷部が自前のラジカセを二階のカウンセリングルームから持ってきた。
「クリスマスソングでもかけようかと思って。」
ラジカセから流れるクリスマスソングを聴きながら、セイラは思う。人は、知らないことを知るたびに、少しずつ優しくなれるのかもしれない。
中山夫妻と、長谷部と孫のセイラの四人で、ダイニングテーブルを囲む、あたたかく、静かな時間。セイラは、ずっとこんな時間が続けばいいな、と考えていた。




