#3 毒親
ホームページは、セイラの自信作だった。
落ち着いたくすみカラーの画面に「セイラ・カウンセリングルーム」の文字が光る。
三人並んだプロフィール写真は、セイラのiPhoneで撮ったものだ。アプリで長谷部の目尻の深い溝はナチュラル補正を強めにかけて消し、中山のほうれい線も美肌フィルターで陶器のように滑らかにした。マイナス十歳の効果はあるだろう。
予約フォームも作り、スマートフォンから二十四時間受付可能だ。相談内容も事前に入力できる。
「完璧。」
エンターキーを押したあと、セイラは満足そうにうなずいた。
ずっと勤めていたカウンセリングルームでは正社員で、兼業が認められておらず、退職した。でもすぐに開業してしまったので、失業保険は受けられない。やむなく祖母の勤務先の物流センターにパートに出るようになった。相田が退職し、空気が明るい。きっと最初の予約通知は、仕事中にスマホへ届くのだろう。「予約が入りました」の文字を見たら、少し泣いてしまうかもしれない。そんなことまで想像していた。
けれど、一週間経っても通知は来ない。
「…あれ?」
ホームページはちゃんと表示されている。リンクも切れておらず予約フォームも動く。何度確認しても異常はない。
その日の夕方だった。
ピンポーン。
中山宅のチャイムが鳴る。
応対したのは、中山の夫だった。
「はい?」
玄関には、七十代くらいの女性が帽子を抱えて立っていた。
「あのー、ここ、相談室ですよね。」
「そうですよ。」
夫はにこやかに答えた。
「相談したくて来たんです。」
「弘子なら今、ちょっと出てまして。」
「えっ。」
「五時ごろには帰ってきますから、そのころまた来てもらえます?」
「はい。」
女性は素直にうなずき、帰っていった。
その夜。
「ええぇぇぇ」
セイラの声が居間に響いた。
「予約フォーム作ったのに!で、予約受けちゃったんですか?」
中山は首をかしげる。
「だって直接来たほうが早いじゃない。ちょうど今週の土曜日ご都合がいいっていうから。セイラちゃんはいないけど、わたしも長谷部さんも休みだし。」
長谷部が湯のみを置きながら、小さく笑った。
「セイラ、人は、ホームページに相談するんじゃないのよ。人に会いに来るんだから。それに貴女、忙しくなったらパート辞めたらいいじゃない。」
「そうなんだけどさ…。」
「まだ、おしめが取れてから二十年ちょっとじゃ、わからないわよね。」
土曜日の朝。セイラは物流センターの更衣室で白衣に着替えながら、心ここにあらずだった。予約はホームページ以外からは受け付けないということで念を押したが、まあ、頑固おばあちゃんズには通用しないだろう。ため息をこぼす。
そのころ、中山宅ではチャイムが鳴った。
「いらっしゃい!散らかってますけど。」
中山がにこやかに玄関を開ける。そこには、先日の七十代の女性、久保田吉子が緊張した面持ちで立っていた。
「はじめまして…。」
「はい、どうぞお上がりください。二階でお話聞きますからね。」
中山はにこやかに招き入れる。長谷部はうちわであおぎながらじっと「視て」いる。
「あら、若い先生は…?」
「今日はちょっといないのよ。でも、わたしたちが聞きますから。」
長谷部は黙っていたが、口を開いた。
「それで、どんなご用件かしら?」
久保田はうつむきながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「息子が…もう二十年近く、部屋から出てこないんです。」
中山は真剣な顔でうなずく。
「ああ、八〇二〇運動よね。」
「中山さん!それ、八十代で二十本っていう歯医者の標語じゃない!それを言うなら八〇五〇問題でしょ。」
「あっはっはー!やだ!」
「嫌なのはこっちよ。」
久保田はそのやりとりを半ばあっけにとられながら、静かに座っていたが、気づくと一緒になって笑い声を上げていた。
その日の午後。
中山は夫と散歩に出かけていた。近所の住宅街をぐるっと回りながら、ふと久保田の話が気になる。
「ねえ、お父さん。久保田さんのお宅、この近くだった気がするのよ。」
「やめなさい。また見に行こうって言うんでしょ。」
「だってさ、息子さんが引きこもりだって言ってたし、ちょっと見てみたいのよ。」
「やめなさい。」
中山は後ろ髪を引かれながら、その場をあとにした。
翌週。
「先日は失礼しました。臨床心理士の長谷部セイラです。」
セイラは深々と頭を下げた。
「本来なら、初回からわたしがお話を伺う予定だったんです。」
久保田は首を横に振る。
「いえ!あの日は、なんだか久しぶりに笑いました。」
「え?」
「相談に来たのに、先生ったら八〇二〇運動なんて言い出すんですもの。」
中山と長谷部が思わず吹き出す。セイラも笑った。
「なにそれ。あとで二人に聞きますけど。」
笑いが落ち着くと、部屋が静かになる。セイラは少し姿勢を正した。
「それでは今日は、あらためてお話を聞かせてください。」
その声色は、さっきまでとは違っていた。穏やかだけれど、どこか芯がある。
「まず、お名前を教えていただけますか。」
「久保田吉子です。」
「吉子さん。」
セイラは名前を繰り返した。
「今日は、息子さんのことではなく、まず吉子さんご自身のお話をお伺いしたいです。」
久保田は少し驚いたように目を見開く。
「わたし、ですか。」
「はい。」
その一言で、張りつめていた肩が少しだけ下がった。
長谷部は黙ってオーラを見つめている。
中山は眼鏡越しに、吉子の頭上に浮かぶ文字を見た。
忍耐力。
愛情。
誠実さ。
どれも強く光っていた。
長谷部が小さくつぶやく。
「長いこと、一人で戦ってきた色ね。」
久保田は、ゆっくりとうつむいた。
久保田は語る。
「息子が中学の頃から学校に行かなくなって。夫は仕事人間で、何も言わないし、わたしが全部見てるような状態でした。『しっかりしなさい』って何度も言ったんです。でも、だんだん部屋にこもるようになって。」
「中学ニ年生の夏休みにだいたい行かなくなるのよね。康子ちゃんも金髪にして…。」
「あら!そうだったの?それが高認取って、大学受けるってんだから、偉いわよねえ。」
「あの…おばあちゃんたち、ちょっと。今は吉子さんのお話聞く時間ですよ。」
長谷部と中山が、ばつが悪そうに顔を見合わせる。久保田はすっかりリラックスして、ほほ笑んでいる。
セイラはうなずきながら、傾聴する。
「それは、吉子さん…お母様としては、とてもお辛いご経験でしたよね。」
そう言いながら、セイラは「過保護だったのかな」と専門家としての仮説を立てる。
長谷部は黙って久保田のオーラを視ている。
――ああ、この人のオーラ、最初に見たときは「罪悪感」だと思った。でも、よく見ると違う。「後悔」じゃない。「正当化」だわ。自分を守るための、頑固な殻。
長谷部は、冗談めかして「ズバリ言うわよ!」と言ったあとに、つぶやいた。
「久保田さん、貴女。『自分は正しいことをしてきた』って思ってるでしょう。」
久保田の顔が一瞬、固まる。言葉を探しているように、部屋が沈黙に包まれる。
中山は眼鏡をかけ直す。久保田の頭の上に浮かぶ文字が揺れている。
「愛情、誠実さ、忍耐力…素晴らしい強みね。」
セイラは、祖母と中山の言葉と、久保田の表情を注視していたが、ふと気づく。
――ずっと「久保田さんは被害者」だと思ってたけど。もしかしたら。
セイラは深呼吸して、言う。
「吉子さん。『正しいと思ってしたこと』が、もしかしたら間違っていたかも、と思ったご経験はありますか?例えば…正義感が暴走してしまって、正論で追い詰めてしまったとか。」
カウンセリングルームを、沈黙が包む。久保田は長い沈黙のあと、絞り出すように言う。
「…ありました。ありすぎます。」
涙が一粒、こぼれ落ちる。
「わたしは、息子に『普通になれ』って言い続けたんです。『お前はおかしい』『中卒なんて恥ずかしい』って。それが、息子を壊したんだと思っています。」
久保田は、続けて、ぽつぽつと話し続ける。
「わたし、息子が何を考えてるか、全部わかってるつもりだったんです。だから先回りして、失敗しないように、恥をかかないように…レールを敷いて。」
「レール、ね。」
「ええ。でも、そのレールから少しでも外れそうになると、わたしは『あんたのためよ!』ってずっと言って。」
長谷部が静かに言う。
「だいたいにおいて映画に悪役なんかいないのよ。主人公の『敵役』。それぞれの正義がぶつかり合っているだけ。だからタチが悪い。『アパートの鍵貸します』『カサブランカ』『サブリナ』知ってる?恋のライバルだって、悪役なんかいないのよ。一生懸命なだけ。」
久保田は顔を上げる。
「息子にとって、わたしは悪役だったのかしら。」
「さあね。でも、貴女、今ここに来たじゃない。」
中山が優しく言う。
「吉子さん。山登りで一番大事なのは、間違った道に気づいたときに引き返せる勇気よ。あなたは今、その勇気を持った。あ、ほら…『勇気』が上位に来たわよ。それで十分じゃない?」
久保田は泣きながら、笑った。
「ありがとうございます。」
カウンセリングが終わり、久保田が帰った。次回の予約はセイラが一人で対応することになった。
セイラがため息をつく。
「すごかった。久保田さん、最初は自分が『被害者』だと思ってたのに、最後には自分と向き合った。おばあちゃんたちがいなかったら、気づけなかったかも。ありがとう。」
長谷部がうちわをパタパタさせながら言う。
「プロはね、見るべきところがたくさんあるから、逆に見落とすこともあるのよ。」
「それ、名言みたいだね。」
「誰かが言ってたの。」
中山が思い出したように言う。
「そういえば、スーパーの掲示板にチラシ貼ったら、『来週行きます』って声かけられたわよ。」
「ちょっと待って、それ予約!?え、チラシ!?」
「うん。手書きで。」
「だって、直接来たほうが早いじゃない?」
セイラは机に突っ伏した。
「予約フォームの意味ぃ…。チラシって、どんなの貼ったの?」
「これよ。」
中山が誇らしげに取り出したチラシには、マジックで大きくこう書かれていた。「怪傑“超”熟女、心配ご無用!貴女の真善美、見つめます」。
「ちょっと待って。こういうテレビ番組あったよね。パクリじゃん。『セイラ・カウンセリングルーム』って入ってないし。チラシの受付は電話なの?」
「中山さんのお宅の電話。ご主人、おヒマを持て余してるみたいだし。」
三人の笑い声が、夜の相談室に響いた。




