第2話 クレープ
スマホの中に何かが住みついて、三日が経った。
最初の一日はろくにスマホを触れなかった。二日目は必要最低限。三日目になると、もう普通に使っていた。人間の順応力はすごいと思う。
あるいは、スマホが使えない恐怖が心霊現象の恐怖を上回っただけかもしれない。
画面の隅にいる影——ひとまず「井戸女」と呼ぶことにした——は、相変わらず何もしてこない。膝を抱えて座っているだけ。
アプリを切り替えても、画面をスクロールしても、ずっと同じ姿勢で隅っこにいる。
最初の夜に見せたあの執念が嘘みたいだ。
◇◇
放課後。友達のマホに誘われて、駅前のクレープ屋に寄った。
「ユキどれにする?」
「んー、チョコバナナ」
「えー、いつもそれじゃん。たまには冒険しなよ」
「冒険して失敗したくない派なの」
注文して受け取る。マホはストロベリーチーズ。私はいつものチョコバナナ。
マホが「撮ろ~」と言いながらスマホを取り出した。
私もスマホを出し、カメラを起動する。
画面の隅に、井戸女がいる。いつもの姿勢で膝を抱えて——
違う
顔が上がっている。膝に埋めていたはずの顔が、ほんの少しだけ持ち上がっていた。髪の隙間から覗く目が、画面の中央を見ている。
「ユキ?撮んないの?」
「……あ、うん。撮る」
ひとまず、写真を撮った。マホと並んでクレープを持つ写真。
マホは「うま!」と言いながら既に食べ始めている。私も、とりあえず食べることにして、スマホをテーブルに置いた。
画面を見ると、井戸女の顔がかすかに動いた。
私のクレープを、目で追っている。
クレープを口に近づけると、視線が上がる。口から離すと、視線が下がる。
マホが「昨日の英語のテストさ〜……」と喋っているのを聞いてるふりをしながら、私はスマホの画面を見ていた。
「……ほしいの?」
小さく呟いてみた。マホには聞こえなかったらしい。
画面の中の井戸女は動かないが、こちらをじっと見つめたままだった。
◇◇
マホと別れた後、私はクレープ屋に戻った。
「すみません、チョコバナナもう一個」
何やってるんだろう、と思った。
スマホの中の幽霊にクレープを買っている。冷静に考えるとおかしい。冷静に考えなくてもおかしい。
公園のベンチに座って、スマホを取り出すと、相変わらず画面の隅で、井戸女が膝を抱えている。
クレープを画面の前に置いた。
「……どうぞ」
しばらく何も起きなかった。
五秒。
十秒。
動かない。膝を抱えたまま、クレープとこちらを交互に見ている。
もう一度クレープを手で指し示すと、画面がわずかに歪んだ。
あの夜と同じだ。液晶の表面が内側から押されて、白い指先が出てきた。
おそるおそる、手のひらを上にして、ゆっくりと腕が伸びる。
白い指がクレープに触れると、そっと包むように掴んで、ゆっくりと画面の中に引きずり込んでいく。クレープが画面に吸い込まれるように消えた。
腕が引っ込むと、画面は元に戻った。
画面の中を見ると、井戸女が両手で抱えるようにクレープを持っている。
顔は相変わらず髪で隠れていたが、口元のあたりが動いている。
食べているらしい。
いつの間にか膝を抱える姿勢は崩れて、あぐらみたいな格好で座っていた。
「……おいしい?」
井戸女が、わずかに頷いた。
スマホの画面の中で、クレープを食べている幽霊を見ながら、私はベンチに座っていた。
六月の風がぬるい。公園には誰もいない。
なんだこれ、と思った。
怖くはなかった。




