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業火紅蓮少女ブラフ/Hybrid Bland Blue  作者: 枕木悠
B-SIDE 龍が空華と契り(Phantasy Fade Away)
22/35

ファンタシィ・フェイダ・ウェイ/九

 棚の上のステレオはG-FMのラジオ番組を拾っていて木製の小さな正方形のスピーカは最初、バースデイの新譜を流していた。パーソナリティが新譜の名前を言わずに一端CMに入り、そしてコレクチブ・ロウテイションのハイブリッド・ブラン・ブルーが聞こえてきてユウリのテンションは静かにハイになった。派手さがないのに疾走感のあるメロディをボーカルの黒須ウタコがしっとりと歌い上げている。夏の終わりの華火大会のスペシャル・ライブで聞いたよりもそのアレンジは洗練されて歌詞も少し変わっていた。

「何にも覚えていないわ、本当に何にも覚えていないの、」ハイブリッド・ブラン・ブルーの終わりに目を覚ましたアオは目元を押さえながら言った。「本当に何も、甘い薫りがしたと思ったら、なんだか、意識が遠のいて」

「弱いのね」脚の細い椅子に座っているマリエが微笑みを浮かべて言った。

「……あなたは?」アオはぼんやりとした眼差しでマリエの方が見やる。「……あれ、どこかであなたのこと、見たことあるような」

「それってコレクチブ・ロウテイションのアプリコット・ゼプテンバのことかしら?」

「あ、そうだ、」アオの目は微動し僅かに大きく開く。「え、もしかして、そうなんですか?」

「残念ながら人違いよ、私はマリエ・クレイル、アプリコット・ゼプテンバによく似てる人よ、ねぇ、ユウリちゃん?」

「どうかな、」ユウリは唇を尖らせて小さく首を振って笑った。「でも、はい、あなたは違う人、だって今、ラジオでゼプテンバ様がしゃべっているんですもの」

 ハイブリッド・ブラン・ブルーの後で番組のゲストとしてコレクチブ・ロウテイションのメンバである、久納ユリカとアプリコット・ゼプテンバが登場してしゃべっていた。確か月曜日のこの時間のG-FMの番組は錦景市の西にある楢崎市の楢崎市駅のラジオブースで生収録されているものだったと思う。だから必然的にマリエの骨董屋にいるゼプテンバによく似た人はマリエ以外の何者でもない、ということになる。「ブルーは一番、ありとあらゆる色の中で最高に、濁った色だよ、多くの濁りを含んでいるんだ」そういうゼプテンバの尖った口調は、同時に比べてみればマリエのものとは大きく違っていることは特別注意しなくても分かった。声質の純度もゼプテンバの方が高く特別な感じがする。マリエの声もゼプテンバに似ていて綺麗で可愛らしいけれど、特別さはなく普通で天使の加減は薄いと感じる。この時点でユウリがマリエにかけていた疑いはほとんど霧散していた。ああ、やっぱりマリエはゼプテンバとは違うんだ。ちょっと、残念だったな。でもそんなことないって思ってた。ゼプテンバがこんなところで骨董屋をしているわけがないのだ。本物はユウリにこんなにも接近するはずがないのだ、と思う。

 メンバの中で一番のおしゃべりでほとんどの楽曲で作詞を担当しているユリカはゼプテンバのブルーについての台詞を否定して言う。「違いますよ、私がこの曲の歌詞に込めたのは、色んな青が混ざって空に煌めいたらもっと素敵なんじゃないかって、そういうことをね、言いたいわけなのですよ、決して青を濁った色だなんて、それが詞に反映しているなんてことありませんから」「詩人だね」ゼプテンバはユリカをからかうように言った。「詩人だよっ」ユリカはすかさず返している。「詩人なんだよ、ばかっ」

「……色んなアオか、」アオは小さく呟き、そしてはっと視線をユウリに向けてそして一度ぐるりと周囲を見回してから聞いた。「ユウリ、ここは一体どこ?」

「あ、ここはね、アオちゃん、マリエさんの骨董屋よ」

「骨董屋?」

「うん、骨董屋さん」

 ユウリとアオはマリエの骨董屋、そのカウンタの奥にある書院造といった風な和室にいた。マリエはパンダの枕と薄手の花柄の掛け布団を用意してくれて、アオは畳の上で眠っていたのだ。マリエは和室の中央、畳の上に敷いた楕円の絨毯の上の長方形の赤茶けたテーブルの上に肘を乗せてその上に顎を乗せてアオを斜めからの角度で見つめていた。アオも斜めからの角度で見つめ返し、気のせいかもしれないけれど少し睨んでいる風にも見えた、ふと、アオは思い出したようにマリエに小さく会釈をしてから口元を小さく動かした。「すいません、ご迷惑をお掛けして」

「いいわよ、気にしないで、ユウリちゃんのお友達なんだから、あなたみたいに白い華の薫りに弱い人は結構いるわ、あ、別に卑下することはないわ、その感覚の鋭さは特質よ」

「……はい、」アオは分かったような分からないような顔で小さく頷きユウリに小声で聞く。「マリエさんは、ユウリの知り合いなの?」

「うん、」アオの横に座っていたユウリはアオに顔を寄せて言う。「前に一度だけ、ここに来たことがあるから」

「そうなんだ」アオは言って、当然といった感じにユウリの左手を触って握り締めいつもの無表情になった。

 そして色即是空の掛け軸の手前の金魚鉢に視線を移す。金魚鉢といっても直径一メートルくらいある大きなもので、水面には一つの白蓮が浮かび、その下では白勝ちの桜錦やキャリコ、出目金など様々な種類のゴールド・フィッシュが遊泳している。アオはしばらく感情のない顔でぼうっとそれに見入っていた。金魚鉢を見つめるアオの眼差しはどこか憂いを帯びている。まだもしかしたら完全には、酔いは冷めていないのかもしれない。

「あ、そう言えば、マリエさん、」ユリカとゼプテンバとラジオ・パーソナリティのお姉さんの妙に噛み合わなくてファンには溜まらなく愉快な空気感のトークをBGMにユウリはマリエに聞く。「ここに来る途中、このサングラスをかけた女の人に会ったんです、ロックンローラみたいに革ジャンを着た女の人に」

「ああ、会ったんだ、」マリエは微笑んだままの表情を維持している。「あの娘に」

「骨董屋のお客さんですか?」

「いいえ、」マリエは目を瞑り首を横に振る。「そういうんじゃないのよ」

「お友達ですか?」

「それも違う、」マリエは小さく笑う。「なんだろうな、適切な言葉が出て来ませんが、とにかく私はあの娘に責任があって私はあの娘と誠実に向き合わなくちゃいけないと思っているの」

「責任?」ユウリは首を斜めに傾けた。

 そのときカランコロンとベルの音が響いた。骨董屋の扉を誰かが開いたのだ。

「すいません、」鬼気迫る、という風な男性の声が聞こえた。「ミヤビ、来てませんか?」

「やっぱり来た、」とマリエは椅子から立ち上がり骨董屋のカウンタへ向かいながら言う。「あの娘ならもう帰ったわよぉ」

 マリエは男性と店の方でないやら話しているようだった。二人の声は小さくマリエが襖を閉めたので会話の内容はほとんど聞き取れなかった。しかし男性はどうやら、あの女、おそらく彼女の名前はミヤビ、を追ってここまで来たのだ、ということはなんとなく分かった。あの女について気になるユウリは襖を少し開けて話を盗み聞こうと思ったのだが、ラジオからふと聞こえた新曲という言葉の響きにユウリの耳はピクリと反応してラジオの方にユウリは集中した。

「それでは、」パーソナリティのお姉さんが語気を強くして言う。「初オンエアとなります、十一月上旬リリース予定、ハイブリッド・ブラン・ブルーのカップリング曲です、こちらをお聞き頂きたいと思いますが、久納さん、この曲にはどういった想いがありますか?」

「そうね、この曲に込めた想いは、そうね、まあ、」ユリカはわざと気取った口振りで話す。でも考えは全然纏まっていないみたいだった。「ええ、とにかく、幻想を吹き飛ばして真実を見ろって、そういう簡単なことを言いたかったんやね、そやね?」

「せやね、」ゼプテンバはそっけなく頷く。「せやの?」

「この詞を書いたん、ゼプちんやんっ」

「どうして関西弁なのか、」お姉さんは無用の突っ込みをする。「分かりませんが、それではお聞きいただきましょう」

「ファンタシィ・フェイダ・ウェイ」

 ゼプテンバは英国式に発声した。

 ユウリはアオと繋いでいた手を離し、慌ててステレオに近づきボリュームを上げた。

 ファンタシィ・フェイダ・ウェイ。

 とっても好きな旋律、展開だった。さらに嬉しいことに歌詞は英語で、ボーカルはゼプテンバだったからユウリのテンションはたちまちハイになる。英語は全然聞き取れないけれどゼプテンバの声の響きが堪らない。ああ、もう、堪らなく好き!

 炸裂するゼプテンバのギターソロを聞き体を揺らしながら、ふと、ユウリはアオに視線をやった。

 瞬間、ユウリは。

 アオを見なければよかったと思った。

 アオは完全に冷たい眼差しで、ファンタシィ・フェイダ・ウェイに夢中になって我を忘れるほどに興奮しているユウリのことを、真っ直ぐに、鋭く射抜いていたからだ。

 アオの冷たさをユウリは見逃さなかった。見過ごせばいいのに、見過ごせなかった。

 アオはユウリと視線を交差させて二秒遅れて微笑んだ。

 ユウリは笑えなかった。

 だって。

 アオが隠している秘密を、具体的にそれを指摘することは出来ないのだけれどそれを、見てしまったような気がしたから。

 思い過ごし?

 それならいい。その方がいい。でも思い過ごせないほどの力を、暴力を、アオの眼差しにユウリは見てしまったんだ。

 アオの全てが疑わしくなった。

 アオではない別人がそこにいるような気がして怖くなった。

 思い過ごせばいいのだけれど。

 アオはいつも通りに笑っているのだし。

 しかし一度燃え上がってしまった疑心は紅蓮となってユウリの胸で渦巻きさらに勢いを増して青と変化した。

 冷たく見える。

 私をペテンにかけようとしているの?

 しかし熱い。

 本当に熱くて堪らない。

 とても熱い火炎は火消しの思いとは裏腹に消えず盤石となってしまった。

 幻想なら消えて。

 ファンタシィ・フェイダ・ウェイ。

 そう心が叫ぶのは。

 消えないから。


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