ファンタシィ・フェイダ・ウェイ/七
ロックンローラ?
ユウリは突如現れた変な女を見てそう思った。
彼女は黒いタンクトップの上に黒い革ジャンを羽織り、肌に張り付くような黒いジーンズ、爪先が鋭く尖った黒い靴を履き、黒いサングラスを掛けていた。肩まで伸びた髪はボサボサでしかし艶はあって薄く紫色に染まっていた。年齢は十代の後半にも、二十代にも、三十代にも見える。紅を塗った形跡のない唇なのにきつく肌のすぐ下の肉の色が彩を放っていた。ギターケースは担いでいないけれど、そんな風貌をしているのは浮浪者でも旅人でもハンタでもフォトグラファでもヤクザでもマフィアでもなくロックンローラだとユウリは思った。塔の遊園の森の隙間から現れるには不自然過ぎる。彼女がこちらに向かって足元が崩れないか慎重にゆっくりと歩くのに連動して、胸元で何本もあるシルバのネックレスの様々な装飾が揺れて小さく音を立てていた。
変な女はユウリの前、一メートルくらい間を空けてなぜか立ち止まった。
警戒する目でユウリは彼女を見上げる。
黒いサングラスのせいで彼女の目が見えないから感情は読めない。でも彼女はユウリのことを見ているんだということは分かった。彼女はおもむろに革ジャンのポケットから煙草を取り出し火を点けた。口を斜めにして細く煙を吐き彼女は言う。
「くそったれって、君の口癖?」
「……え?」少し反応に困る質問だった。「……あ、えっと、どうかな、分からない、ですけど、同世代の普通の女の子に比べれば、口癖かもしれませんね」
「へぇ、そうなんだ、」おかしそうでもつまらなそうでもなく、本当にどうでもよさそうにとりあえず、といった具合で彼女は煙草をくわえた唇の隙間から煙と一緒に声を発した。「足、どうしたの?」
「足は、骨折して」
「それは見れば分かるよ、」彼女の口元は白い煙を吐き出しながら笑う。「何があってそうなったのか、聞いたんだよ」
「階段で転んだんです」彼女が吐いた煙がユウリの目元に流れて来て少し痛かった。しかし目は瞑らなかった。
「へぇ、てっきり感情的になって何かを壊そうとして思いっきりその何かを蹴ったら意外と硬くって骨が折れちゃったんだと思ったよ」
ユウリは少し驚き、彼女の顔をマジマジと見てしまった。「なんで、なんで分かったんですか?」
「は?」彼女は口を開け僅かに首を捻る。「何が?」
「階段で転んで骨折したのは嘘です」
「え、ああ、それが嘘で、私の推測の方が正解近いってこと?」
「はい、そうなんです、そうなんですよ、どうしようもなくムカつくことがあって蹴って壊してやろうと思ったらこうなったんです」
「なんで私に嘘を付いたのよ」彼女の口調は心なしか愉快そうだった。
「あなたは知らない人」
「それじゃあ、どうして嘘を認めた?」
「別にどうでもいい嘘だったし、あなたの推測がピタリと一致して驚いて、この驚きをあなたに伝えておきたいと思ったからです」
「知らない人なのに? もっと警戒した方がいいと思うなぁ、」彼女の声のトーンは高くなっていた。彼女は両手を広げて言う。「こんな格好しているんだぜ、怪しくないか?」
「怪しいですよ、凄く、」ユウリは言葉を選びながら慎重にしゃべっている。本当に変な女で狂っている、という可能性もまだ完全に捨て切れないからだ。「もしかして、ロックンローラですか?」
「なんで?」彼女は吹き出した。笑って愛らしいえくぼが出来ていた。
「そう思ったんです、あなたのこと、」ユウリは真剣を装って歯切れよく言った。「ロックンローラだって」
「違う」彼女は即座に小さく首を振り煙を吐いた。
「そうですか」
じゃあ、何者?
その質問は滑らかにユウリの喉から出て来なかった。
彼女は今、笑う女。
でも彼女との会話には緊張感がある。
何かが帯電していていつスパークしてもおかしくない、という鋭いオーラを分厚く纏っている。
手を伸ばして彼女に触れてみたら自分の血を見るだろう。
そんな危険を感じる。
この女に触るべきではないと思う。
避けるべきだと思う。
今すぐ彼女から離れるべきだ。
本能的に感じてる。
しかし本能的にもう一人、この遭遇を喜んでいるユウリもいた。
なぜ?
本能とは何?
その不可解で分裂した得体の知らないものはなぜ怖がったり喜んだりしているの?
「……そう言えば、」彼女は短くなった煙草を捨てて靴底で小さい火をもみ消し視線を空に向けた。「バンドを組んでいたことはあるんだよね、高校生の時にね、トワイライト・ローラーズっていって、あははっ、懐かしいな、まあ、バンドっていっても音楽なんてしたことなかったんだけどさ」
「え、バンドなのに音楽をしていなかったって、えっと、どういうことですか?」
「ロックンロール・バンドじゃなかったんだよ、」彼女は曖昧なことを言って話題を変える。「君たち、高校生?」
「中学生です、中三です」
「中三の女の子二人で、ここに何しに来たの?」彼女はそして冗談っぽく付け加える。「今日は月曜日でしょ、何の変哲もない月曜日、祝日でもなかったはずだ、学校をサボってこんなところに来るなんていけないんじゃないの? 不良なの? 可愛い不良たちだ」
「……その、色々あって、月曜日にピクニックがしたくなったんです、きちんと学校には連絡してるし認可も貰ってます、きちんとした不良ですよ」
「へぇ、認可ねぇ、」彼女はくくっと笑う。「まあ、君たちのきちんとした不良を攻めるつもりは毛頭ないけれど、こんなところに来たって何もありはしないんだから、どうせなら錦景市駅地下街のマクドナルドでダラダラと時間を浪費している方が中学三年生にとっては健全だと思うよ、ここには本当に、何もありはしないんだから、本当にないもない」
「それじゃあ、お姉さんは、」ユウリの心臓は信じられない速度で脈打っていた。「どうしてここにいるんですか?」
返事はすぐになかった。
二秒後。
女は約一メートルの距離を縮め体を傾けてユウリに顔を寄せサングラスを下にずらしエキゾチックと形容したくなる大きくて肉食動物みたいに鋭く光る双眸でユウリのことを獲物を狙うみたいにギョロリと見て、それと大きなギャップを感じさせるチャーミングな声音で言った。「内緒」
そして女の右手がユウリの顔に向かって動いた。
瞬間。
ユウリの眼前から女の顔が横に流れた。
サングラスが彼女の顔からはずれ、アスファルトの上に落下して渇いた音を立てた。
最初ユウリは何が起こったのか分からなかった。
「ユウリに近づくなっ!」
今までに聞いたことのないアオの声を聞いて、アオが女の頬を叩いたのだ、ということが一瞬遅れて分かった。アオはずっと車椅子のユウリの後ろにいたのだが、前に出てユウリを庇うように両手を広げた。呼吸が荒い。アオは酷く取り乱している様子だった。「ユウリに何かしてみろ! 絶対に許さないんだからなっ、クソ女!」
「いったいなぁ、」女は叩かれた頬をさすりながら黒いサングラスを拾い上げた。「あーあ、傷出来ちゃったじゃない、どうしてくれんの? こんなの掛けらんないよ? っていうか、そちらの青いお嬢さん、いきなりクソ女はないんじゃないの?」
「ユウリに何かしようとしただろっ! クソ女!」アオは体を揺らして声を張り上げている。
「クソ女って、君の口癖?」
「うるさい!」
「お姫様を守る騎士のつもり?」女は口元だけ笑顔でアオを鋭く睨んでいた。「幼稚でダサいよ、中三でもね、余計にね」
「つべこべ言ってないで早く私たちの前から消え失せろ!」
「バスが来たらね、自然に消え失せるよ、」女は左腕のシルバの腕時計で時刻を確認した。「でもバスが来るのはまだ先なので消えられないよ、困ったことにね、困った、困った、でも私がバスに乗って帰るより君たちがさっさと塔の遊園に行ってくれれば全ては解決するんだけどね」
「言われなくてもっ!」アオは女に目で威嚇しながらユウリの背後に回った。そして力強く車椅子を押した。
「あ、待って、これ貰ってよ、」女は傷の入った黒いサングラスをユウリの膝の上に置き、するりと身をかわしてこちらに手を振った。「じゃあまたね、不良少女たちよ」
「もう二度と私たちの前に姿を現すな!」アオは車椅子を押しながら振り返り吐き捨てるように言った。「次、会ったら殺してやるからなっ!」
ユウリはどうしてこんなにもアオがヒステリックなのか、訳が分からなかった。物凄く必死な形相で正体不明の女に牙を剥き出しにしている様は躾のなってない犬に思えた。
対してこちらに向かって手を降り続ける謎の女の表情はどこか優しくそして、慈悲深ささえユウリには感じられたのだった。




