A3 その15 『鴉観へ』 極
▲極立ぴかリ▲
最初の問題は、母でした。
私がセセギ君のためにお弁当を作ると盗み聞きし、お弁当制作を全力で阻止しようと構えているのです。
下手したら、監禁されます。というより、両手には縄が握られ、どうやら監禁するようです。
娘の純粋な恋心を邪魔するのは流石に非道いのでは? と思いましたが、私の母は、私によって長い時間狂わされているので、他人の狂気とはまた違っているのです。
常軌を逸しています。
多分、この世界で一番強いです。
「リン、私の可愛いリン、不埒な思考は辞めましょうね。これからは、ずっと私と暮らしましょう。大丈夫、一人娘の面倒くらいなら、一生喜んで助けるわ」
あぁ、これは非道い状態ですね。経験から、現在は母の己との対話を終了させ、行動に移っています。危険です。
しかし、今の私に止まっている暇はありません。
私は、半身に構えます。ぐっと口元を閉め、視線を一回下へ下げてから、即座に上を向きます。目を潤ませ、眉をひそめ、最後に少し頬を膨らませます。
これが、対母用の最終手段、『斜め40度の角度』です。
△△△
リンの示すその角度によって、リンを捕食するかのように構えていた母は身動きを封じられた。
リンは、己が最も可愛く映る角度を理解しているのであった。
加えて、表情を変化させ、小動物的な可愛さを導き出した。
その姿は、リンの母には効果抜群であった。
リンの母の意識が、頭蓋骨の外へとはじき出させる。糸の千切れた人形のように、ぐらりと床へ落ちて行った。
「リン……かわゆい」と小声でブツブツと漏らしながら、リンの母は動かなくなった。
▲極立ぴかリ▲
――私がまだ小学生だった頃、母は異様に私に執着し、反抗期に入りかけていた私は、母の接近を拒んでいました。私は、むっとした表情で、母を見上げた瞬間、母は気を失ったのです。
当時は大変びっくりしました。突然倒れたのです。救急車を呼び、病院へ向かいました。お医者様曰く、軽い貧血でした。私は、それを父から聞かされ、納得していました。
しかし、その後も、私がある一定の角度と表情で母を見つめた瞬間、母は気を失ってしまうのです。父にも試したところ、気を失いました。どうやら、両親は長い間私の【極限! 無慈悲慈愛】の侵食を受けていたので、二人曰くリンの超可愛い顔を見たところから記憶が無いようなので、私の顔が際立つ角度で見つめると、精神的なダメージを与え、意識を吹き飛ばしてしまうようです。
本日は、久しぶりにそれを使いました。最近は母も落ち着いていましたし、何よりこれを使うと、意識を吹き飛ばすので、もしも倒れた際に頭の打ちどころが悪かったら危険です。それに、失神するというのは、見ている私からも恐いです……。
ついでに、この技? の名前は【無限! 交差して奇跡《クロス・ディストラクション》】と命名しました。特に深い意味はありません。ノリで、決めました。以後出現しないと思います。
しかし、今現在だけは、そんなこと言っている暇はありません。
すっと部屋を抜け出ると、冷蔵庫の中を確認します。お肉はありますが……食材が思っていたよりもありません……。セセギ君には、私の作る料理を、たくさん食べてもらいたいです。お肉だけで、満足させはいたしません。
既に外は真っ暗でしたが、私が存在するだけで周りの人間は狂います。故に、夜出歩いても危険となるのは……あの『カラスミ』と呼ばれる歪な街以外ではありえません。
私は財布を片手に、外へ飛び出しました。背後から、何か邪を唱えるような声が聞こえた気がしましたが、無視して――。
「そ、そんなぁ……」
私は肩で荒い息を零しながら、吐き捨てるように言いました。
何故なら、これで五件目だからです。――24時間営業のスーパーへたどり着き、シャッターが無残にも閉じられている姿に圧倒されて、絶望に包まれることに……。
ケータイで地図を確認しながら、私は24時間営業のスーパーを廻りました。最寄のスーパーは、365日24時間営業が謳い文句でしたが、臨時休業という文字が靡き、閉まっていました。二件目、三件目、四件目とそれぞれ不可解に閉まっていたのです。
そして、これが五件目です。隣町の、その更に奥にあったスーパーでしたが、閉じています。自動ドアには明日から改装するためにちかく閉めます、と記述された紙が貼ってありました……。
もちろん、途中に無数に蔓延るように出現するコンビニも除きましたが、小さな食材コーナーは全て売り切れだったり、発注ミスだったりと、私の求める食材は皆無でした。
――な――まるで私が入り込むのを阻止するかの如く、私の周りに存在するスーパーは閉まっているのです。
ここまで来て、戻りたくない、です。戻って、お肉だけをどうにかか唐揚げとしても、唐揚げ弁当は、可愛げがありません。いくら男の子が唐揚げを好きだとしても、それだけでは辟易してしまうでしょう。
最後の念を込めて、ケータイでルート検索を駆けますと、あと一つ、スーパーが見つかりました。
もしこの次のスーパーも開いていなかったら……。いや、そんな六連続で閉まっているなんて、絶対にありえません。今日は休日でも祝日でもない、ただの平日です。流石にそろそろ勘弁して欲しいです。
さて、
場所は……「あぁ、非道いです……」
と、思わず言ってしまいました。
何故なら、私のケータイが画面で指し示す場所は、
鴉観地区、
通称――カラスミの中でしたから……。
「これが、カラスミ?」
私は覚悟を胸に刻み、カラスミの入口まで足を進めました。とても、震えます。あの時の記憶――二人のニタニタと笑う男性が私に近づいてくる光景が、鮮明に脳裏に蘇ります。途端に、ドバっと全身から汗が吹き出しました。寒気と震えが同時に私を襲い、足元から忍び寄るねっとりとした恐怖を感じました。
あぁ、
あぁ、
拭っても拭っても、ボロボロと涙のように汗が滴ります。
しかし、入口からカラスミの中を覗いた途端、私の中に合ったそれらの感情は、一瞬で吹き飛んで行ってしまいました。
何故なら、目の前に広がるカラスミの姿が、私の記憶と全く違うのです。
”中央に巨大な塔が、幽霊のように存在しています。その周りを取り囲むかのように、様々なお店が立ち並んでいます。電柱が無造作に伸び、垂れた電線が内臓のように薄気味悪く垂れていました。――それが、カラスミ、正式名称は、鴉観地区 十一‐九十九番地。”
初めてカラスミを目の前にして、私はそう思いました。中央に巨大な塔が存在し、その周りをネオンの色がはげしいお店が立ち並ぶ、スラムような街……。セセギ君が、今の私みたいに震えて恐怖していたカラスミです。
しかし、私の目の前に聳えるカラスミは……普通の、どこにでも有り触れた、商店街、です。アーチがあり、その先に落ち着いた色合いの店が直線に並んでいました。
……もしかして、道を間違えてしまったのですか? と思ってふと真横にあった電柱を眺めると、はっきりと『鴉観地区 十一‐九十九番地』と記されていました。ケータイも、同じように鴉観と示しています。
本当に、本当に、普通の商店街です。現在は既に十時を過ぎたので、お店はどれも開いていませんが、それでも人の流れはあります。どれも、会社帰りの一般人などで、あの時に見た、歪な人間は存在しません。
カラスミの中心にあった、塔も消え去っていました。
名前だけ、です。
それ以外、全てが変わっています。
私の、記憶違い?
数件のお店が入れ替わった、というよりは丸ごと切り替わったかのような、不気味な雰囲気を私は感じ取ります。
それでも、私の体と精神に残る恐怖が、目の前に広がる街に、警戒音を鳴り響かせます。
記憶違いのわけがありません。
ここです。
この中で、私は……セセギ君と手を繋いでアマネを追ったのです。アマネのことが大好きなセセギ君の隣で、セセギ君の暖かい、湯たんぽのような指を、私はぎゅっと握りしめて……。
再度、私の中で膨れ上がる炎がありました。
セセギ君のこと、好きです。
絶対に諦めたくないのです。
トラウマが、私の体を早くおうちに帰りなさい、と引き剥がそうともがきます。
その本能を、理性で私は押さえつけます。
ここで逃げたら、女が廃ります。お弁当を作ると言っておきながら、お肉とご飯だけのお弁当を渡されたら、内心蔑みますよね……。セセギ君だったら、私が傷つきそうな言葉を選んでは批評してくれそうです……。
一歩、また一歩と歩を進めるたびに、足裏から強い反動が伸び上がってきました。それは、強烈なパワーとなり、私の体の中で反射を繰り返します。
恐怖や、焦り、怠慢、嫌気などの負の感情が私の中で溢れだします。
アーチを潜り抜け、カラスミに侵入すると、途端に負の感情達は、私を戻そうと蠢くのです。
……大丈夫、今日はあの時と違い、変装なんかしていません。私の母を物差しにして、どの程度まで外見を弄ると狂うのか計ったところ、髪形や色、コーデの雰囲気を大きく弄らない限り、周りに対して強い影響は与えないはずです。
この姿なら、普段と同じく、周りの人々の正義が極限まで膨張し、狂った世界を繰り広げるだけに終わるはずです。襲われるはずが、ありません。
理性で理解しています。
それを、私の中にある恐怖に、針で突き刺すように、一つ一つ潰します。
そのたびに、足に力が戻ります。
しかし、
一歩、
二歩、
三歩、
と進むのに、凄まじい労力を伴います。
あと、五十メートルほど先に、スーパーがあります。商店街を抜けた先に、ポツンと取り残されたみたいに、ありました。光っています。開いています。もう……何で、私はこんなに頑張っているのでしょう。好きです、セセギ君。ですが……たった、それだけで、私は犯されそうになった、もしかしたら殺されたかもしれない恐怖を乗り越えることが出来たのでしょうか? 一方通行の片思いでして『セセギ君→アマネ→私→セセギ君』という綺麗な三角関係でしたしかしその中で私から向けられるセセギ君への線は繋がってはいません。
楽器の、トライアングルです。
一見繋がっているように思えて、穴が、開いているのです。
私からセセギ君へ、
セセギ君からアマネへ、
アマネから私へ……。
それぞれに想いは途切れています。
しかし、誰もが、それを途切れさせないようにと全力で猛進していました。
――私だって、諦めませんから……。夢で、終わらせる気なんて、さらさらございません。
お弁当を食べて貰って、美味しいって言ってもらって、セセギ君がもう、私のこと、恐い目で見ないでくれる……。
そんなわずかな願いが、今の私を動かしています。
何故か、カラスミへ入る瞬間だけ、空が赤と黄色を混ぜたかのような、歪な色合いを醸しておりました。
思ったよりも広く、新しい店舗だからでしょうか、店内は白い光に満ち溢れていました。
先ほどまで、あれほど神経を緊張させていたというのに、有り触れた光景に面食らいます。
何故、私がこのような場所まで出向いたのか、という疑問が脳内で膨れ上がりましたが、即座に、明日セセギ君のためにお弁当を作るから、そのための食材を手に入れるために訪れたことを理解します。
唐揚げだけでは味気ないので、色合いを整える意味でアスパラをベーコン巻きや、卵焼き、煮物として……、と食材や調味料を籠へ詰めていきます。
店内には、会社帰りのサラリーマンが数人見られ、後は商品を一心不乱に詰めている店員だけが存在しています。
とても、静かでした。音が抜き取られてしまったかのように、静寂が空間を支配していました。
……音が、あまりに乏しくありませんか?
と、私は私に対して問うた瞬間、背中を悪寒が走り抜けていきます。
ぞわり、
ぞわり、ぞわり……歪な感覚が私の全身で発生します。鳥肌が総立ちし、汗腺が開き、どばっと汗が噴き出てきました。
途端に、今まで私の眼に映っていた、このスーパーに、強い違和感を覚えます。
ズレがありました。
言葉にはし難い……視聴覚的、それと感覚的に私に降りかかって来る……以前味わったことのあるズレです。
カラスミ、でした。
あの時の姿と違い、今回は普遍的な世界を取り繕っているのですが、それでも独特の匂いが広がっているかのように、微小なズレが理解できます。
この時になって、私の中で小さな後悔が湧き上がってきます。不用意にも、カラスミに侵入してしまった。それも、一人で……。あの時は、カラスミと同じ何かを感じさせる――クレナさんが偶然助けてくれましたが、今回はクレナさんがまた偶然出現するとは言い難いです。
――何を考えているのでしょうか、私は……。ここは、普通のスーパーです。確かに、カラスミの中に存在しています。ですが、それだけで、“ズレ”などというおかしな感覚は、私の勘違いでしょう。
そうです。
まさか、
こんなところで、あの時のカラスミのように襲われるはずがありません。恰好も、普段と変わり映えしていないので、周りの方々が己の正義を信じて極限まで暴走するだけに終わります。
大丈夫です。
その時、背後からカツン! と強く床を叩く音が私の背中を打ちます。
はっとして振り返りますと、そこには……一人の女性が立っていました。




