X^4 11 蟻が、良いです
『夢』
という題名の物語は、幸せに満ち溢れていた。
コピー用紙に、乱雑な文字がビッシリと並び、文字の大小は崩れ、少し前、薬物中毒者の手紙がテレビの番組で流れていたのだが、それを更に酷くしたかのように、汚れていた。同い年の人間が書いたとは思えないほど支離滅裂で、狂っていた。用紙も、涙の跡があちこちにふちゃくし、汚れていた。
その物語の中で、俺と、彼女が結婚していた。
双子の子供、どちらも女の子を産んでいた。
俺が、彼女を愛していると、語っていた。
登場人物の誰一人、不幸を背負っていない、限りなく現実とは異なった、ファンタジーな世界だった。
この物語を描きながら――自身が望む、幸せな世界を頭の中で広げながら、彼女は死んだ。
自殺した。
文章が突然喚くように揺れると、頭の中に水を流し込まれたかのように、異様な映像が脳内で繰り広げられていく。
黄金色の夕焼けが世界を照らし、彼女の住まうアパートも、宝石のようにピカピカと輝いていた。その一室で、物語を号泣しながら書き終えた彼女は、それをそっと封筒に入れると、一階の大家の部屋に向かい、扉を叩く。突然手渡された大家は不審に思い、顔を強張らせるが、彼女は言葉を並べ、何とか預けると、自室に戻る。
既に、縄は天井から垂れ下がり、椅子がその下に置いてあった。自身の身長の低さに、安堵の溜息を放つ。もし、平均よりも高かったら、部屋で死ねませんもの。電車に飛び込むのは恐く、山などで自殺するのも……な、なんだか……寂し過ぎますよね。誰も居ない真っ暗な世界で、一人餓死とかしてしまうのは……、嫌です。故に、このちっぽけな安いアパートの一室で死にます。大家さんと住人の方々には迷惑がかかると思いますが、もう……これ以上、生きていたくないのです。もう……呼吸をするのすら、辛いのです。無意識のうちに、息を、止めようとしているのです。
それに、眠ると、昔の思い出――楽しかった、あの、高校時代を思い出してしまいます。転校して、あの子と出会い、そして彼と出会う。虹色に輝く、もう二度と取り戻せない、世界。それでも、もう一度、やり直したいです。次は、絶対に、彼の元から、離れません。……でも、そんなのありえないですね。
夢の中で、私は必死に彼の腕を掴んでいました。彼の手は、湯たんぽのように暖かく、その温もりを感じるだけで、私は、幸せでした。
目覚めると、今の現実が辛くて、辛くて……もう、無理です。
――あぁ、何故人間は思考を持つという進化を得てしまったのでしょうか? もし、人間が、地面を這う虫の如く、機械みたいな行動パターンで終わる簡単な生物で終わるのなら、私は、……ここまで……苦しまなかった。自殺しようなんて、決心しませんでした。進化しようとするのなんて、あまりに最悪な愚行です。あぁ、グラグラ揺れます。空地から拾ったこの鉄棒なら、私の体重でも折れないでしょう。縄に首を潜らせると、チクチクと痛いです。グラグラと揺れが収まりません。私が、震えていました。狂ったみたいに、ガクガクと、全身が振動を繰り返しています。
あぁ、
あぁ、
あぁ、
……もし、生まれ変われるとしたら……そんな奇跡、絶対に起こりませんけど、でも、生まれ変わったとしたら……私は、私は……もう、人間は無理です。勘弁してください。神様、神様どうか、……あ、あ、蟻が、良いです。ここまで追い詰められて死ぬのなら、ぷちっと靴の裏で踏み潰されて死ぬほうが、絶対に楽ですもの。
トンッ
い
たい
いた……い
いたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいたいきたい
「ぐっっ! むぅ……ん! ……かっ……ぁ」
苦しい苦しい苦しい苦し痛い! 何これあぁ息できないやだやだやだやだ勝手に指が縄を壊そうともがいているしにたいの太い芋虫みたいな指が縄を引きちぎろうと暴れまわっているけどそんな簡単に縄を切れなあぁ足がバタバタバタバタとゆれて天井がギシギシギシギシなって首がゴキンゴキンゴキンゴキンと歪な音をしにたいのでも縄は私の体重によってさらに首に食い込むいきたい……
駄目です。
このまま暴れて、もし、天井が壊れて、落ちてしまったら、私は、また生きてしまいます。
そうすると、また、今の現実に立ち向かわなければなりません。
本能が、馬鹿みたいに、私の体から死を取り除こうともがきますが、それを、私は、理性で必死に押さえつけます。
それだけは嫌だ、それだけは嫌だそれだけは嫌だ嫌だぁぁぁと、全身全霊で私は私の体に強く念を込めて、動きを封じました。
こんな混沌の世界から、死ね死ね死ね死ね私ッ!
あぁ、人間が思考を備えている理由が少しだけ、わかりました。