X^4 9 『元』愛する人は
「このぼろっちいアパート、これが、あの子が住んでいたところ。風呂無しトイレ無しで、夏はムシムシと死臭のような臭いが立ち込めて窒息死寸前で、冬は隙間風が荒ぶり凍死寸前ね。そこで……首を吊って死んでいた、らしい。自殺として処理されたわ。部屋を見せてもらったけど、まぁー陰湿な空気が立ち込めてまして、思わず私まで首を吊りたくなりましたよ。少し調べたけど、悲惨極まりない人生だったようね。夫には裏切られ、義両親には嫌われ、体を売って、減らない借金のために精神と体を壊し、最後にはそれに耐え切れなくなって死んでしまった」
「死んだの……か」
「そう。でも、なんであの子を突然調べようと思ったの? 風俗のサイトで下調べしていたら、よく似ている写真を見つけた、とか?」
「違う」
「へぇ、じゃあ何?」
「……会ったんだよ」
「あら、運命的な再開って奴? で、もしかしてあの子はあんたに助けを求めたの? より戻そうって」
「いや……彼女は、最後……俺が離れる寸前に、語り始めて」
俺は彼女と出会った体験を、語った。
「あらあら涙ぐましいじゃん。最後の最後、ご都合主義的に出会った『元』愛する人は……既に結婚し、知らない女がその子供を産み、幸せそうな家庭を築いていた。比べてボロボロの私に、付け入る隙は無い。それに、裏切った手前、何も言えない! 私は、地獄のような世界で死にたいと願いつつ生きている。そんな彼に助けて! なんて言えない。最後まで我慢しようとしたけど、こらえきれずに、全部吐き出しちゃったわけか。うぅぅ、あの子の心境を考えだけで、な、涙が出ちゃう……」
友人は欠伸をし、コーヒーに口をつけて言った。「ってかさ、ホント、何で調べようと思ったの? あの子の居場所を着きとめたって、あんたには何も出来ないでしょ。下手に動き回ったら、あんたの奥さんは傷つくわよー。私は言ったわ、もしあなたの夫に不穏な動きがあれば、即、連絡してください! って」
「……俺も、わからない」
「まぁ、あんだけのことかまされて、無視するってのも、難しいか。我慢出来ないよ、普通は」
俺は何も答えられない。確かに、その通りだ。こうして調べてもらい、もし、彼女が生きていたとしたら、俺に何が出来るのか……。
「二人でより戻して、全てを投げ捨てて、彼女と共に逃避行でも行くつもりだったの? あんなにやさしい奥さんと可愛い子供を置いて? 過去は全て水に流せるの? 無理でしょ、他人の腰の上で楽しそうに泡吹きながらよがっていた彼女を愛するなんて。よかったね、あの子死んでいて」
「どういう意味だよ」
「もし生きていたら、究極の選択を迫られていたかもしれない」
「それは……」
「正直、心の中で、ホッとしているでしょ。無様に死んでいて、よかった、って。最後の最後に俺の前で毒吐きやがって、見苦しいんだよ! って何!?」
俺はその言葉を聞きながら、無意識のうちに腕を伸ばしていた。それを、友人は簡単に払う。
「違った? だったらごめん。でもさ、あんな不幸てんこもりの人生なんて、そうそう無いわ。事実が浮かび上がるたびに、不幸のフルコースを味わっている気分だったもの」
「俺が……別れなかったら……」
「生きていた? さっきはそう言ったけど、たとえ別れなかったとして、死なないとは限らないじゃん。それに、あの子の先に、地獄へ道が綺麗に舗装されて、巧妙にその姿を隠していたとしても、それを見抜けずに、選んだのはあの子。人の運命とか人生に、正解は無いよ。自分の意志、あるいは強要されたとしても、その選んだ道に、必死に立ち向かわなきゃ。あの子はね、泣きながら成行きを見守っていたから、最後は寂しく哀しく、ふふふ、自殺したんだよッ」
「でも、俺が、あの電車で、止めていれば……」
「死ななかったとでも? あのさぁ、なんかあんた見てると、そのまま駆け落ちしてそうで恐いんだけど? ガキみたいにウジウジしてんなよ。あ、じゃあ、このお話に対して、宣言しよう、そうすりゃ、スッキリすると思うから。あんたが、別れたからあの子は死んだ。あんたが原因。あの子の事もっと真摯に守り、変な男が寄り付かないほど過保護に接していれば、今頃、あの子は毎日幸せを噛みしめて生きていたよ。ん、これでいい?」
それは違うと、必死に否定しようとしている自分が俺の中に存在しているのを発見して、俺は、俺という人間の下劣を思い知る。




