X^4 7 相思相愛な彼女
「偶然」
「いや、運命。それも、かなり幸福な」
俺の前に座った女性は、薄気味悪く笑った。高校の頃、同じクラスだった友人で、成人式で出会ってから、今日まで思い出すことすら無かったのに、いざこうして目の前に現れると、蘇る……苦々しい記憶。
コイツは、人の嫌がることを進んで行うという最悪の思考回路を備えていて、口を開くたびに、俺は泡を吹いて倒れかけた。
若い頃は、切れ味の鋭い刃物みたいな美しさを持っていた友人は、年数が経過してもその鋭さは消えず、むしろ研ぎ澄まされていた。維持された体型に、凄みの増した笑顔には相変わらず何かを漂わせ、身震いした。
「どうして、お前がいるんだ。俺は、今、人を待っているから、そこをどけ」
「ふーん、あっそ。じゃあ、初めまして、どうも、会川奈々です!」
「……え? お前、何でその名前を?」
「会川奈々という興信所の職員だよね?」
「いや、お前は……」
「私のお仕事をする時の偽名なのよ。この仕事していると、何かと色々あってさー。で、今日、このファミレスに来て下さい、って言われなかった?」
「……もしかして?」
「そ、私がその職員」
「いや、俺がこの前以来した時は」
「そりゃ、私のとこは一応会社で、それなりに繁盛しているからさ、仕事は振り分けられる。まぁ、私の場合、資料に知っている名前があったから、飛びついたんだけどね」
店員にコーヒーを頼みながら、コイツは鞄から書類をテーブルの上に広げ始める。写真が数枚と、用紙が散らばり、そこに……五日前に会った彼女の名前が刻まれていた。
「驚いたわ、あんたがまさかあの子のこと、調べるとはね」
「悪いかよ」
「だって、二人は結婚していないんでしょ?」
「あぁ」
「高校の頃は、あんなに仲睦まじい青春煌めく恋愛劇を繰り広げていたのに、別れちゃったなんて、ビビったわ」
「誰から聞いた?」
「風の噂で。で、その時、今の職場でアルバイトしてたんだけど、色々あんたらのこと調べたの。何か面白い出来事があったから、別れざるを得なかったのか! って」
「それ以上語らなくていいよ」
「相思相愛な彼女は、セックスが上手いだけの男の元へ全力で逃げてしまった、なんて話、哀れすぎて私の口からは絶対に言えない!」
「人の話聞いている?」
「ちなみに、彼女、ものっ凄い調教を受けたみたいでね、一年留年したんだけど、その理由が毎日やり過ぎて外出られなかったからなのよ!」とおばさんのように腕を振って言った。
「それは、うん、元気あるなぁ」
「他にも、あんたが彼女を自宅に招いて全力で問いただそうとした時、挙動不審だったんでしょ?」
「そうそうアレは誰なんだー! って怒ると、泣きながら謝っているんだけど、プルプル震えていて。なんと、ローターを仕込まれていたんだよ。それを遠隔操作で、外から寝取った奴がスイッチオンオフを繰り返していたんだ。流石に驚きを通り越して、呆れた。なんでそんなものつけているだー! 許さん! って息も絶え絶えに問うと、『ルル君につけて、とお願いされたから。そうすると、凄く気持ちよくなるよ、と。本当ですね』と発情した犬みたいに体を震わせながら返してきた。俺、失神しかけたもの。……何故知っているんだ?」
「そりゃ、私は必死に調べていたからよ。弩外道にもあって、詳細を教えてもらったの。彼女は最後、あんたに『だって、ルル君のほうが、上手で、本当に申し訳ございません。すみません、ずっと好きですけど。しかし、それ以上、ルル君のことばかり考えてしまいます。ごめんなさい。ごめんなさい』って言ったんでしょ?」
その通りだった。
彼女は、最後、俺に、その寝取った男がどれだけ素晴らしいのかを延々と――ページ数にすると二〇一枚くらいかけて宣言し、消えるようにいなくなったんだ。途中で、何度も何度も謝りながら。恐ろしかったのが、挟まれる謝罪の言葉に、慇懃なまで、過ちを犯したことへの後悔の念が込められているところだった。それが俺の想像ではなく、彼女が謝罪の言葉を発するたびに、俺の中で彼女の想いが溢れ、爆発音のような何かが、無限も繰り返されるようだった。一度、他の人間と寝たくらいで、俺は彼女と別れるという選択肢は、選ばないつもりだった。だが、自身に課したそんな軟な正義は、彼女が語るその人間への想いによって刹那で粉々に壊れた。俺は、男というより、人間的な敗北感に打ちのめされ、何も、動くことができなくなってしまったんだ。
「まぁ、もう昔の話だよ。今さら掘り返されたって、痛くもかゆくもない」
「余裕ぶっているみたいだけど、手は震え、涙を流しているその姿に何も説得力無いんだけど」
あははと笑って続ける。「ちなみに、その、弩外道天肆はテクニックが半端無いみたいでねぇ、抱いた女は一晩で最低十二回は絶頂させられるんだってー! あまりのすさまじさに、【|超弩級ンギモッヂイイッ《テクノ・ブレイク》】という能力名までついていた……。そんな獣みたいな相手に、寝取られるのは至極もっともな結末と言えるだろうね、ドンマイ!」
「何もかも知っているんだ、凄いな」
俺は返す気力も無いので、適当に流した。友人は、そんなやつれてボロボロになった俺を見定めるかのように睨むと、すっと声色を入れ替えて口を開いた。
「……あぁ、でも、もし別れなかったら……」
コトッ、とコーヒーがテーブルに置かれた。「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」若い店員が、ハキハキと問うてきた。頷くと、颯爽と消える。
「で、またあの子を調べるとはね。人生って尺度、結構狭いよねー」
友人は、コーヒーを飲むと、写真を弄る。そこには、煤けたアパートの写真と、どこかの登録サイトに張られているであろう、目元が隠された姿の、彼女だった。
「……別れなかったら?」
「ん?」
「そう、言っただろ。別れなかったら、何だよ」
「死ななかったかも」
子供のように笑いながら、友人は答えた。一呼吸終えて、ぐらっと、重い衝撃が体を揺らした。




