X^4 5 可愛い赤ちゃん
俺は開いたドアへ向かった。
「さようなら」と彼女は小さく会釈した。ケータイの番号などは、交換しなかった。もちろん、互いに連絡先は知らない。だが、これから先、俺達は絶対に連絡を取り合おうとはしないだろう。もう、人生で交差することは、絶対にありえない。
ホームに降り立つ。
「ねぇ、私の両親さ」
と、声がした。振り返ると、彼女が扉の奥で喋っていた。
俺に向かって。
だけど、まるで独り言をつぶやくかのように、口を機械のように動かしている。
手すりを抱き寄せるように捉え、檻に捕えられた囚人の如く呻いている。
狂ったかのように。
「事故で亡くなった。ほら、昔話してくれたよね、俺の本当の両親は俺が幼い頃に死んで、今の両親は俺の本当の親ではない……でも、俺は、本当の親だと思っている。いいよね、それ。でも、私は違ったよ。私が結婚してね、両親は事故ですぐに亡くなったの。気が付いたら、私は夫の家で暮らしたんだけど、そこの姑や舅が酷い人でさ、子供が出来ないからって私を虐めるんだ。最初は夫の見えないところで、次第に夫の前でも。夫も、私の味方でなくて、敵になったの。性交がとても上手で、それだけで私は弩外道天肆、通称――ルル、君の元へ行ったのに、たったそれだけで裏切った私は、最低最悪極悪非道の外道だね。しかし、私は必死に耐えていた。生きていれば、いつかは、幸福な世界へと、運命が切り替わる、と信じて。しかし、夫は、ある日消えてしまいました。しかも、多額の借金を残してです。私の知らないところでFXに手を出し、案の定失敗していたのです。拙い貯金は一瞬で蒸発し、私と義両親の元には多額の借金が残りました。息子である夫を失い、家族と言っても赤の他人である私、更に子供の居ない石女となると、家を追い出され、行く当てのない私は、一人アパート借ります。途端に、義両親は二人とも同時に老衰で亡くなりました。故に、夫の借金は私一人に対して牙を剥けました。必死に探し当てた職場に、取りたての方々は来訪し、私は孤立し、味方はいません。一番困ったことが、私の職場と関係のある会社にも出没し、攻撃をすることでした。辞めざるを得なく、日々の生活費と膨大に膨れ上がった借金の利子を返せないと泣きながら土下座すると、私は取りたての方に、新しい職場を進められました。風俗です。それは、私には妥当な職場でした。ルル君と性交を繰り返すようになってから、私は性交が大好きになりました。夫との間にずっと子供が出来ないのも、大学の頃、何度も妊娠し、そのたびに中絶していたら、子宮が傷ついてしまったことのよる因果です。しかし、職業として挑む性交はただ辛いだけで、毎日毎日毎日毎日泣きながら働いても、利子は消えず、むしろ増えて行き、死んでいるように生きていました。しかし、それでも私は必死に生きるために働いていましたが、風俗は、それも底辺の職場では、人の入れ替わりは激しいのです。若い子のほうが、いいですよね。仕方なく、私は、人妻系に移るようにと命令を受け、出向くと、そこは出張デリヘルでした。毎日を小さな牢屋のような部屋で過ごし、お呼ばれしたら、お客様の自宅かホテルに出向きます。ただ、私の場合、以前、周りの方々にチヤホヤされていたツケが発動したのか、今度は打って変わって人が寄り付かなくなりました。お客様は離れ、リピートも減ります。収入は減ります。増えるのは利子だけです。ただ、その中で一人、私を気に入って下さる方がいました。が、その方はあまり普通の人間には興味が無い方でした。私の右の胸、これ、ありません。切り取られてしまいました。目の前でライターで炙り、お醤油をつけて美味しそうに食べていました。乳腺が口の中でプチプチと潰れる感覚が最高に堪らないそうです。もう、銭湯には行けませんね。ブラに、新品の靴に入っているような丸めた紙を押し込んで、どうにか形にしているのです。本日も、これから出向くのです。殺されないように気を付けながらです。昔、私の親友だった方が、援助交際をしているという噂が流れ、それを聞いた時、私は内心蔑みました。が、当の私がそれよりも遥かに楽しげな体験をしていると思うと、笑みが
零
れ
そ
う
で
す
ね
あはは、
あはははははあはははははははー
あ、あああああ、ああああああああああああああああああああいや……滑稽な私を見下しお客様は大変愉快に笑い声をあげましたその姿が恐ろしくて私の体がガタガタと揺れます。歯が、カチカチとなっていました。そして近づいてきます。嘘ですよね? 私にこの部屋で大便をしろというのは私を驚かすために命令したのですよね? ねぇ……ちょっと辞めて、辞めて、来ないで……ごめんなさいなにしているんだろうなにしているんだろう
いやだ
いやだいやだ
いやだいやだいやだいやだ
いやだ
いたくてこわくてしにそうででももうおかねないしごはんも水もないしそれでも生きないしにたくないといいなぁ子供子供子供子供、私も欲しいなぁ、可愛い赤ちゃん。抱っこして、ぎゅって、私の指を、握ってもらいたい。もう言うこと聞きますから何も変なことしないから私の作るご飯不味いですかだからって私のご飯に洗剤を入れるなんておかしくありませんか面白いですか愉快ですか本当に面白いのですか? 頭おかしいですよ不味いよぉ不味いよぉうぇぇえええおぇぇええええええええお義父さんお義父さん何しているんですか血なまぐさい? も、申し訳ございませんその……え? 安全日? え、え、え、え……いやぁ来ないでくださいあの触らないで俺が愚息に代わって孕ませてやるよ? ひぃ息ができな苦しいです痛いですぐいぃいぃい……ふぅ……あッあッ
あ
はぁはぁ……
ううううううう
ううううううううう
痛い
痛い
痛い
痛いッ
あッ
あっ
あっ
あっ
あぁ
あっ
あっ
あっ
殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやるぶっ殺してやるこんな指輪、外したいけど、不幸と苦痛を伴う地獄行きの切符みたいなこの指輪、ぐちゃぐちゃにぶっ壊して燃やして捨てたいけど、お客様が指輪を付けた女性が好きなのです。つけていないとお金をくれないのです。
私、本当はまた妊娠しました。
お腹の中に、新しい命が、あります。
今、です。
誰の子かは、わかりません。
お客様は喜んで、言いました。
『堕ろすなよ! デブった腹のまま楽しもうぜ。へへ、あと生む時のムービー撮らせろよな。売れるんだよ、高くさ』
もう無理ですッ!
恐いです辛いです苦しいですッ!
助けて。助けて。助けて。助けて。
私をここから出してッッ!
置いていかないでッ!
おいでいがなぁいでぇくだしゃいぃいいいいッ!
うわぁぁぁぁぁぁああああああああぁぁぁぁぁ
うわぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああ……
あ……ごめんなさい
ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいッ
ぷ……あはははぁ……
なーに言ってんでしょうか。
被害者面してさぁ……。
私が一番好きだった人裏切っておいて、今更、何を言ってるんでしょうか?
グロテスク。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
本当です。この謝罪の言葉は、自己満足などでは、ありません。
誠に、申し訳ございませんでした」
彼女は、時が止まったかのように、動かなくなる。
ガシャッ
扉が閉まる。彼女は眼を真っ赤に充血させると、両腕をゆっくりと持ち上げ、人差し指と中指を伸ばし、ピースを作って、俺に笑いかけてきた。
電車が動き出した振動で、彼女の髪が、ずるり、と落ちていく。お洒落のためのウィッグではなく……鬘だった。頭皮を無理やり引き剥がされたかのように髪が抜け、病的な頭を晒している。俺を睨みつけ、大粒の涙を零し、口から赤色の泡を吹きだし、鬼のような形相だった。




