X^4 3 五年くらい前に
カタタン、カタタンとまた一定のリズムが車内で木霊する。
隣に彼女が座ったことで、俺は言葉が口の中から出るのを拒むようになった。何か声をかけようとするたびに、言葉と声がバラバラになって消えて行く。
以前なら、体が触合う程度まで彼女は近づいて坐っていたのに、今は、数センチ隙間が合った。
それでも、心拍が収まるほどの安心感を受けた。俺の心臓が脈を打つたびに、当時の記憶が浮かび上がってくる。合わせて、自分の肉体も若返っていくかのような気分だった
――だが、彼女から忍び寄る、つんと鼻をつく香水の匂いが、俺を現実へ引き戻した。
「……次で降りるの?」彼女はやっと口を開いた。俺はほっと胸を撫で下ろす。
「そう。お前は?」
「私は、その先」
彼女は、ふぅ、と遣る瀬無く溜息を吐いた。
瞬間、ぞわりと寒気がした。
何故なら、その姿は俺の記憶には無い、彼女の姿だったからだ。得体の知れない物体を有無を言わさずに押し込められるかのような嫌悪感を抱いた。
――それから逃げるように、俺は彼女の薬指を見据えて、口を開いた。
「お前も結婚したんだ」
「え……五年くらい前に」
「子供は?」
「いたらこうして一人でいない。私も欲しいなぁ、子供。それより、お父さんなんだね、想像出来ない」
「俺だって、まだ父親になった、と自覚がわかないよ。子供も、感情の激しい動物みたいだしさ。……でも、これから喋るようになって、父親として、子供と向き合う事態に陥るんだろうなー」
「頑張ってね」
「まぁ、とりあえず、男の子だから絶対にサッカーをやらせる。クラブに入れて、休日は応援に行くんだ」
「強制すると、子供、嫌がるよ。それに野球やバスケに興味を持ったらどうするの? 野球嫌いでしょ?」
「そこは考えてある。我が家の本棚にはサッカー漫画だけを置き、部屋の中にも家用のサッカーボールを転がして、深層意識の下でサッカーを学ばせるんだ。そして、ある時、練習に連れて行って、とね」
「子供よりパパが熱中しそう。ほどほどにしなよ」
「まぁ、仕事が忙しいから、そんな暇も無いんだろうけどな。お前は、何しているの? 主婦?」
そんなわけない、と思った。
「違う。私は……営業です。大手とは名ばかりの契約社員集う末端で、名刺交換をすることが仕事です」
「そっか」
それも、違う気がした。
「本当はOLとして水汲みやコーヒーコピーを率先する楽しい職場につく予定だったのに。今は出張ばかり、大変」
「そんな昭和な会社が今時あるかよ。俺だって、コンピュータの画面と毎日向き合うのは辛いよ。脳が削られていく気分」
「絶対、私のほうが辛い」
唾を吐き捨てるように、彼女は言った。
まただ……。
彼女の体から、瘴気のような何かが漏れ出し、俺の精神をちくちくと攻撃してくる。背中を汗が伝い、言い知れない感情が、喉から飛び出してきそうだった。
――今、俺の隣にいる彼女は、本物なのか? と疑問に思ってしまう。別の人間が、彼女の皮を引き千切り、それを被っているかのような、そんな馬鹿げた妄想を、俺は本気で考えていた。年月や、歳を取った如きでは決して生まれない……俺だから理解してしまうズレが、彼女には存在している。
「何……」
「え?」
「ずっと見ているけど、私の顔に、何かついている?」
「いや、大丈夫だけど……」
「私の顔、変じゃない? ズレてない?」
「え、ズレ?」思考していた言葉を奪い取られたかのようで、俺は一瞬言葉を失った。「普通だよ、何も、変わらない」
「何年も会っていないのに、まるでずっと会っていたかのように言うんだ、面白いね」
俺の心を見透かすかのように、彼女は俺の瞳を睨む。瞳には、疲れに塗れ、憔悴した俺が居た。




