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二十七話 アマネの真実

 ▲大正儀セセラギ▲  


 百メートルにも満たない距離を全速力で走り抜けて、吐きそうになった。緊張による精神的な吐き気と、限界を超えた運動による肉体的な吐き気が、同時に喉を攻撃する。

「……へ、セセギ?」

 薄らとアマネの声が聞こえて、無理やり意識を取戻し、必死に顔を持ち上げて、アマネを見つめた。きょとん、と頭に?マークを浮かべながら俺を見下ろしていた。突然俺が全速力で駆けてきたことに、まだ思考が追い付いていないようだ。

「ア……アマ……はぁ……はぁ、はぁーーー! お前……ここで……はぁ……」

「セセギ、大丈夫? 超疲れてるよ」

「全力で……走った、から、だよ」

「それは……うん、お疲れ様」

 アマネは普段通り、いつもの姿だった。てっきり、援助交際など如何わしい行為をしているから、挙動不審な姿を露呈するかと恐怖していたのに、拍子抜けだ。もしかして、アマネの援助交際は行っていなくて、今日はここに用事があったから来たのか?

 ――という思考を咀嚼するかのように噛み砕く。アマネは、そういう単純な人間じゃない。俺がここに出現した理由を刹那で判断して、それに対する防衛を繰り出してくるはずだ。俺が大事に飼っていた小鳥を殺した時だって、アマネは演技をして誤魔化そうとした。

「セセギこっちに遊びに来たの?」

「……違う」

「じゃあ用事? 家族で来たの? 車で? おばさん達は?」

「違ぇよ!」

 アマネは何かを隠していることを見通す。理由は無い。俺がアマネを大好きで長馴染みだから理解出来ただけだ。惚けたフリをした態度で、それを確信する。俺が声を大きくして言ったから、アマネは俺を睨み、ゆっくりと口を開く。

「セセギ、ホントに、どうしたの?」

「ごめん、俺に先に質問されてくれない?」

「……え、別にいいけど?」

「何で、お前はここにいるの?」

 アマネは顔を斜めに構えた。

「うーん、それって言わないと駄目?」

「俺は理由を聞いているんだけど」

「あまり言いたくないなぁ。私がここに居る理由は」

「言えよ……頼む、言ってください」

「え、セセギ、そんなに必死にならなくても」

「だって……お前が、お前がッ」

 援助交際をしているって、聞いたから。

 それは嘘だよな?

 何か嘘はついているようだけど、疚しいことをしているとは、感じられない。

 だから、違うよね?

 その答えが知りたいはずなのに、俺は聞きたくなかった。だって、万が一、頷かれたら? 

 俺は……耐え切れない。

 まだリンと付き合いたいとかレズセックスしたいとか言っている時は夢を語る友人を生暖かく見守るような安心が、かすかにあった。だけど、俺の知らないところで、俺の知らない普通の男子ではなく、金が欲しいとか遊び感覚で金持った男の股間を舐めているアマネの姿を想像するだけで辛くて恐いんだアマネにだけはその方向へ足を踏み入れて貰いたくないんだだって好きだからお前に家族みたいと言われた時本当は心の中で頷いていた。弟のような兄のような、友達とは違う人間で、俺も、それを認めている。だから、俺は……本当に、アマネが好きなのか? 俺がアマネに抱いてる気持ちも、アマネと同じく、家族としての扱いなのだろうか? 恋人……愛しているなんて、俺は、アマネに伝えることすら出来ない、いや、しようと思えない。

 俺は、

 本当に、

 アマネを愛しているのか? ――だから、ここまで来たんだよ。


「お前が、お前が……ここで……エ、……エン」

「えん?」

「エン……コーしているって、聞いたんだ。なぁ、それは嘘だよね?」

 アマネは一瞬口をぐっと結んだ。その表情から、何も掬い取れない。

 無限に感じられる一瞬を越えて、アマネは右側に立っている一軒家をかすめるように視界に入れ、口を開いた。

「あれ、どこでバレた?」

 アマネは観念したかのように、笑った。


 どッぐチゃ


 俺の心臓が、破裂したみたいな音を鳴らす。

 ……そんな馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿なぁ……。

「ダレガオシエタノカナ」

 アマネの声に、ノイズが混じったかのように、ハッキリと聞こえない。いや、俺の耳が、俺の体が、防御反応を引き起こして、声を拒否している。「シラレタクナカッタノニ」

 これは夢なの? ファンタジーとか、この世界はフィクションな物語かもしれない。だけど、俺の目の前に居る、アマネへと俺は腕を伸ばしていた。がッ、とアマネの……手首を掴む。指先から心地よい温度が広がる。二次元じゃない。一瞬の逃避を経て、俺は俺にとっての現実に戻って来た。

「ちょ、セセギ、何?」

「帰ろう」

「なんで?」

「なんで、ってッ!」

 言葉が続かない。だって、駄目だろ、普通は……。問を返すんじゃねぇよ……。

「どうして……するんだ」

「するって、そりゃ、うん、自分のためだよ。決まってる」

 特に意を込めずに、アマネは返してきた。まるでその行為の正当性を主張するかのように。

「する、必要無いだろッ」

「なんでよッ!」

 俺が喉を絞り出して放つ言葉に、強く反発した。アマネは吠える。俺の腕を強引に振り払うと、今まで見たことの無い狂乱とした瞳で、俺を覗き込んでくる。「私が何したって、私の勝手でしょ?」

「行動によるだろッ!」

「はぁ、別にセセギは私のお母さんでもお父さんでも無いよね? わざわざ断りを入れる必要なんて無いでしょ」

「家族みたいな、って言っただろッ」

 俺はもう一度アマネの腕を掴んでいた。もう絶対にはずさないと、指を歯のように逆立ててだ。「だから……せめて、俺に相談してよ。俺は、アマネを信頼しているし、お前のことを、面白半分に誰かに冷やかすなんて行為、絶対にしない。お前も、俺を信頼しているんだろ? だから、この前、俺に、好きな人が出来た、って相談してくれた。お前にとって、俺は、家族みたいな、って言ってくれたのに、どうして?」

 この瞬間、俺は理解した。アマネが援助交際をしていたという行動について、俺は嫌悪を抱いていた。この世で最も大切な人間が、そんなつまらない行為をしていると聞き、辛かった。それも、カラスミという、俺がこの世で最も恐れる場所でと聞いて、恐かった。だけど、俺はその二つの辛さと恐さを軽く凌駕するほどの、何かを感じていた。

 それは、アマネが俺に対して、何も言ってくれなかったことについてだ。俺を家族と見做し、俺も、アマネを、友人よりも、恋人とは違う……家族として見做しているつもりだった。それなのに、一言も相談せず、行動していた。それが、俺にとって、強いダメージを生んでいた。俺は、アマネにとって、その程度の人間だったのかと位置を示され、遣る瀬無かった。

「金が欲しかったの? だったら、俺が頑張ってバイトして、渡すから……」

「お金は、目的じゃないよ」

「どうして?」

「自己成長のため。そのために、経験したほうが、良いと思ったのよ」

 それは、俺じゃダメなの? と下衆な思考をした俺は悲しい。でも、そうなのかな? 俺みたいな子供より、金持って色々と社会に精通している人間と過ごすほうが、女子には培わられる経験が、あるの?

「アマネ……」

「うん、そうだね、セセギに一言も相談しなかったのは、悪いや。ごめんなさい。でも……隠しておきたかったから、女の子には、一つや二つくらい、人には知られたく無い物語があるの。でね、これは、私に必要な経験で……だから、セセギ、この手を離して。もう、私は、前に進まなきゃ、って決心したから」

 空は、黄色の絵具と赤色の絵具を複雑に混ぜ合わせたかのような色合いをしていた。その夕焼けが、アマネをくっきりと浮かび上がらせる。体の線から、髪の一本まで、光に包まれている。真剣な眼差しで、俺を正面から見据えていた。

 ……力が入らない。俺の指が外れていく――もう絶対に離さないと覚悟を決めたはずなのに。

 アマネはそれを確認すると、小さく微笑んだ。とても可愛い。

 そして、俺の前から消えていく。真横にある一軒家に入ろうとしたところで、歩みを止め、さっと俺の傍を通り過ぎていく。

 アマネが入ろうとした一軒家には、小さな看板が標識の横に張り付いている。


【ENGLISH SCHOOL Enjoy Coaching!】


 英語の……学校――英会話教室?

 エンジョイ コーチング

 ――略して、エンコー

 ん?


「うひゃひょほおうッ! 今日のリンちゃん超弩級可愛いッ! いつも際限無くかわゆいんだけど、一段と……違う。何この可愛い生物、ツインテールマジでヤバい! んべろあぎゃえおろひおるんん!」

 発情期の猿のような雄叫びを上げて、リンを捕獲するアマネを眺めると、影が俺を覆う。振り返ると、その英会話教室の前に、一人の男性が両腕を組んで立っている。顎に髭を蓄えた、長身の白人だった。世界を混ぜる強さを秘めた、笑みを浮かべていた。

 ドバババッ! と全身の毛穴から変な液体が噴出した。もしかして、俺は……ハルマゲドン級の勘違いをしているのかもしれない……。




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