死神ボディガード、土出真羽人㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
蝶番ごと吹き飛ばされた分厚いオーク材の扉が、床に叩きつけられて鈍い音を立てた。
土煙が舞う中、静まり返ったカウンセリングルームに足を踏み入れたのは、漆黒のスーツを隙なく着こなした長身の男だった。青白い肌と、感情の起伏を一切感じさせない氷のような瞳。彼が纏う空気は、この部屋に充満していた白檀の香りを一瞬で凍りつかせるほどの、圧倒的で絶対的な『死の気配』だった。
「土出真羽人……? 菱倉家のボディガードだと?」
神代零は驚愕に目を見張り、忌ま忌ましげに舌打ちをした。
彼は中級悪魔と同化し、この空間を白檀の香りで満たすことで『向こう側の存在』の力を封じ込めていたはずだった。しかし、目の前に現れた男は、その結界を物理的な暴力でやすやすと打ち破ってきたのだ。
「ええ。本日より、新子お嬢様の身の安全をお守りするよう、菱倉剛蔵様より直々に命を帯びております」
土出真羽人――死神マウトは、抑揚のない無機質な声で答えた。
その言葉を聞いて、新子は床に這いつくばったまま、呆れと安堵が入り交じった深いため息をついた。
(剛蔵お祖父様から命じられたですって? ……いいえ、そんなはずがありませんわ。あのただでさえ孫娘を溺愛しているお祖父様に、閻魔大王様が憑依して、この死神を強引に雇用させたに決まっています。……他の悪魔狩人には守護者などいないのに、元妻だからって、相変わらず職権濫用も甚だしいですわね)
しかし、その過保護すぎる贔屓のおかげで、新子は最悪の事態を免れたのだ。
「お前がただのボディガードだろうが何だろうが、邪魔をするなら死んでもらうぞ!」
神代が鋭く叫ぶと、窓枠に足をかけていた友枝希海が、虚ろな瞳のままマウトへと向き直った。悪魔に操り人形と化している彼女は、自らの命を投げ出す直前の行動をキャンセルし、マウトに向かって狂気じみた力で飛びかかっていった。
細身の女子大生とは思えないほどの、リミッターを外した突進。
「先輩、やめて……!」
新子が叫んだが、マウトは表情一つ変えることなく、飛びかかってきた希海の腕を片手で軽々と掴み取った。
「対象者の無力化を実行します」
マウトは機械的な動作で希海の腕を捻り上げ、彼女の身体を床へと鮮やかに押さえ込んだ。骨が折れる寸前の、完璧な力加減。希海は床に縫い留められ、もがきながらも完全に身動きが取れなくなった。
人間を傷つけることなく制圧する、無駄を一切削ぎ落とした冷徹な体術だった。
「ちぃっ……! なら、お前のその頭の中も書き換えてやる!」
神代が銀色の懐中時計をマウトの目の前で揺らし、甘く、鼓膜を直接震わせるようなバリトンボイスで囁いた。
それは、新子すらも一瞬で崩れ落ちた、悪魔の強力な催眠術。
「眠りなさい。お前の心の中にある絶望と悲しみを解放し、私に従うのだ……!」
白檀の香りが渦巻き、悪魔の呪詛がマウトの脳髄へと流れ込もうとする。
しかし。
マウトの氷のような瞳は、瞬き一つしなかった。
「……何か言いましたか?」
マウトは全くダメージを受けた様子もなく、小首を傾げた。
「なっ……!? なぜだ、なぜ私の催眠が効かない!?」
神代は後ずさりし、懐中時計を握る手を震わせた。
効くはずがないのだ。冥界における『死神』という存在は、冥府の秩序を維持するための機能であり、個としての意志を持たぬ完全なる道具として訓練されている。彼らの魂からは、愛情や恐怖、絶望といった『感情』という名のバグが、千年の訓練を経て完全に消去されているのだから。
人間の負の感情や弱さに寄生し、それを増幅させることで対象を操る悪魔の催眠術は、そもそも感情というフックを持たない死神には、暖簾に腕押しで全く通用しないのである。
「排除対象の攻撃が無効であることを確認。これより、お嬢様の障害となる要素を物理的に排除します」
マウトは希海を床に押さえつけたまま、空いている右手を無造作に振り上げた。
彼が狙ったのは、神代ではない。部屋の奥にある、巨大なガラス窓だった。
ガシャァァァァァンッ!!
マウトの手から放たれた目にも留まらぬ速さの拳圧が、室内の空気を圧縮し、分厚いガラス窓を粉々に粉砕した。
凄まじい風切り音と共に、冬の冷たい夜風が室内に勢いよく流れ込んでくる。
「何をする……ッ!」
神代が顔を庇った。
破壊された窓から新鮮な空気が大量に吹き込み、部屋に充満していた白檀の香りが、一気に薄れていく。それと同時に、新子を押さえつけていた見えない重圧が、嘘のようにスッと消え去っていった。
「……見事な物理的解決ですわね、マウト」
新子はゆっくりと立ち上がった。
彼女の肺に新鮮な酸素が入り込み、封じられていた霊力が、再び血流と共に全身を駆け巡り始める。白檀の香りの濃度が下がったことで、元・奪衣婆としての異能が完全に覚醒したのだ。
「お嬢様、お怪我はありませんか。閻魔……いえ、剛蔵様が大変心配しておられました」
マウトは希海を押さえつけたまま、淡々と新子に報告した。
「ええ、無傷ですわ。お祖父様には、少し過保護すぎるとお伝えくださいませ」
新子はスカートの埃を優雅に払い落とすと、鋭い視線を神代へと向けた。
彼女の右手には、紫色の光の粒子が集束し、先ほどは召喚できなかった天冥石の杖が、鈍い輝きを放って実体化していた。
「さあ、神代零。あなたのくだらない催眠術の種明かしは終わりましたわ。……悪魔の力を借りて人間の心を弄んだ罪、決して安くはありませんわよ」
「くそっ……! たかが小娘と、気味の悪い用心棒が一人増えたくらいで、勝った気でいるな!」
神代の背後にへばりついていた黒い靄が、怒りに呼応して巨大に膨れ上がった。
それは部屋の天井を覆い尽くすほどの大きさになり、無数の赤い瞳をギョロギョロと動かして新子たちを睨みつけた。中級悪魔としての本来の禍々(まがまが)しい姿が、ついに具現化したのだ。
『人間風情が……我々の極上のディナーを邪魔しおって! このまま貴様らの精神を喰らい尽くしてやる!』
悪魔のノイズ混じりの咆哮が、ガラスの割れた部屋の中に反響する。
部屋の空気が再び重く澱み、今度は白檀の香りではなく、純粋な悪意の圧力が新子たちに襲いかかってきた。
「マウト、希海先輩をお願いしますわ。彼女の心はまだ悪魔の暗示に囚われています。絶対にその手を離さないで」
「承知いたしました。私の任務は、お嬢様の安全確保と、お嬢様が命じた対象の保護です」
マウトは無機質に答え、希海の身体をさらにしっかりとホールドした。彼がいる限り、希海が再び自殺を図ることは絶対にない。
「さて……」
新子は杖を構え、巨大な悪魔と対峙した。
中級悪魔を完全に浄化するには、力任せに剥ぎ取るだけでは不十分だ。悪魔が神代のどの欲望を利用しているのか、その本質を言い当て、契約を強制解除させなければならない。
新子の『奪衣婆』としての眼が、神代の魂の奥底に隠された真の欲望を鋭く解析し始める。
「神代零。あなたは『奇跡の心理カウンセラー』として名声を得ていながら、なぜこんな悪魔に魂を売ったのかしら?」
「黙れ! 私は誰にも魂など売っていない! この力は、私自身が手に入れたものだ! 人々を導き、救済するための、選ばれた者だけの力だ!」
神代は血走った目で叫び、両手を広げた。
「愚かですわね。……あなたは、他人の心を覗き見ることで、自分自身が特別であるという優越感に浸りたかっただけ。そして、その『権力欲』と『自己顕示欲』が満たされなくなった時、もっと強い支配の力を求めて悪魔に付け込まれたのですわ」
新子の言葉が、氷の刃のように神代の心に突き刺さる。
『グガァァッ……! 小娘が、知ったような口を……!』
悪魔の黒い靄が激しく波打ち、苦痛に歪むような声を上げた。
悪魔の弱点。それは、利用している人間の欲望を正確に言い当てられること。新子の指摘は、間違いなく核心を突いていた。
「それだけではありませんわ。あなたは、自分よりも輝いている人間、自分を頼らずに生きていける人間を許せなかった。だから、優秀な銀行員や、幸せな主婦、未来あるエリート学生を狙って、彼らをどん底に突き落とした……。他人の幸福に対する、醜い『嫉妬』。そして、彼らの人生を思い通りに破壊するという『傲慢』」
新子は一歩、また一歩と神代に近づきながら、彼がひた隠しにしてきた醜い欲望を次々と暴露していく。
その度に、悪魔の巨体が縮み上がり、赤い瞳が恐怖に見開かれていく。
「権力欲、自己顕示欲、嫉妬、傲慢。……これらが、あなたがこの悪魔に着せられている『罪の衣』の正体ですわ!」
新子が杖を高く掲げた。
杖の先端に埋め込まれた天冥石が、眩い紫色の光を放ち、部屋中を照らし出す。
「さあ、見苦しい言い訳はそこまでにしていただきましょう。……元・奪衣婆の名にかけて、その傲慢な悪魔の皮、一枚残らず丸裸にして差し上げますわ!」
新子の凛とした宣言と共に、絶対的な剥奪の儀式が、今まさに執行されようとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




