ルシファーの宣戦布告㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
夜の闇の中に浮かび上がったのは、直視すれば魂が焼き切れてしまいそうなほどに完璧な美貌を持った、六枚の純白の翼を持つ堕天使の姿だった。
サマエルのような電子的なノイズもなく、アザゼルのような血生臭い暴力の気配もない。ただそこに『在る』だけで、周囲の空間そのものが彼を讃え、ひれ伏しているかのような錯覚を覚えるほどの、圧倒的で暴虐的なまでの『美』。
『迷子、か。……冥府の底で亡者の罪を量っていただけの小娘にしては、随分と不遜な口を利く』
ルシファーの幻影が、甘く艶やかな声でふわりと微笑んだ。
その笑みを見た瞬間、新子の心臓が早鐘のように打ち鳴らされ、本能的な恐怖と、それに抗おうとする令嬢の矜持が激しく軋み合った。
「――お嬢様から離れろ」
新子の背後に控えていたマウトが、一切の警告なしに跳躍した。
漆黒のスーツが夜風を裂き、アザゼルの魔兵器すらも砕いた渾身の掌底が、ルシファーの無防備な胸元へと真っ直ぐに打ち込まれる。
しかし。
マウトの拳は、硬い感触を捉えることなく、ルシファーの純白の衣を『すり抜けて』しまった。
「なっ……!?」
体勢を崩し着地したマウトが、氷のような瞳に初めて微かな驚愕の色を浮かべた。
『機械仕掛けの盾か。……現世のテクノロジーと冥府の魔術を編み込んだ傑作のようだが、私に物理法則は通用しない。触れることすら許されないのだよ、泥人形』
ルシファーはマウトを一瞥すらせず、ただ新子だけを真っ直ぐに見つめていた。
幻影ではない。彼の実体はまだ遠く離れた別の次元にあるにもかかわらず、その『気配』だけで現世の空間に干渉し、姿を投影しているのだ。
「……マウト、下がりなさい。今のわたくしたちでは、この傲慢な天使の羽一枚、毟り取ることはできませんわ」
新子は震える声帯を無理やり押さえつけ、マウトを制止した。
彼女はルシファーの幻影に一歩近づき、凛と胸を張った。
「すべての悪魔の王が、わざわざこんな極東の小娘一人のために御出座しとは。随分と暇を持て余していらっしゃるのね」
『サマエルとアザゼル。あの不出来な同胞たちを現世から放逐したお前には、直接敬意を払うべきだと思ってね』
ルシファーはバルコニーの手すりにふわりと舞い降り、眼下に広がる横浜の夜景を、まるで汚らわしい塵を見るような目で見下ろした。
『見ろ、この現世の醜さを。人間たちは日々、嫉妬し、奪い合い、自らの不完全さに絶望しながら生きている。……どれほど着飾ろうとも、彼らの魂は常に泥に塗れている』
「泥に塗れながらも、必死に足掻いて立ち上がろうとするからこそ、人間の魂は美しく輝くのですわ。あなたには、その尊さが一生理解できないでしょうね」
『理解する必要などない。……ゆえに、私がすべてを【白紙】に戻してやるのだ』
ルシファーの瞳が、絶対的な光を放った。
『恐怖も、欲望も、争いも必要ない。ただ私の絶対的な美にひれ伏し、思考を放棄し、私という存在の一部となる。……自由意志という名の重荷を下ろし、完全なる美の歯車となることこそが、この不完全な現世に与えられる唯一の救済なのだ』
油江教授の推理は完璧に的中していた。
ルシファーが目論んでいるのは、現世の支配ではない。
『人間から自由意志を奪い、絶対的な美によってすべての魂を塗り潰すこと』。
それは、サマエルの洗脳やアザゼルの暴力よりも遥かに恐ろしい、現世の『完全なる死』を意味していた。
「……随分と、身勝手で傲慢な救済ですこと」
新子はルシファーの絶対的な威圧感に抗い、扇子を広げて不敵な笑みを浮かべた。
「わたくしは、騒がしくて、時々不格好で、それでも一生懸命に生きている友人たちの笑顔が大好きですの。……あなたの用意した、無機質で退屈な『完璧な世界』になんて、この愛おしい現世は一ミリも明け渡してあげませんわ!」
『気高いな、元・奪衣婆。お前のその魂の輝きこそ、私が最も塗り潰したいと渇望する極上の色彩だ』
ルシファーは恍惚とした表情を浮かべ、純白の翼を大きく広げた。
その瞬間、バルコニーの周囲の空気がガラスのようにヒビ割れ、パリの美術館で人々を狂わせたのと同じ、絶対的な美の波動が押し寄せてきた。
『待っていろ、エバ。クリスマスの夜、私はこの都市に真の【奇跡】を降らせる。すべての魂が私の前にひれ伏すその時、お前のその天秤が、私の美しさを量ることができるか……楽しみにしているぞ』
ルシファーの姿が、眩い光の粒子となって夜空へと溶けていく。
彼が消え去った後には、新子とマウト、そして凍りつくような冬の夜風だけが残されていた。
「……お嬢様」
マウトが静かに新子の傍らに歩み寄る。
「対象の霊的波長、完全にロストしました。……先ほどの幻影、戦闘に発展していれば、私の防壁は〇・二秒で消滅していたと推測されます」
「ええ、わかっていますわ」
新子は扇子を閉じ、夜空を見上げたまま深く息を吐き出した。
「あれが、すべての悪魔の王。……これまでの相手とは、舞台の規模が違いすぎますわね」
恐怖がないと言えば嘘になる。
ルシファーがもたらすのは、世界を白紙に戻すという絶対的な絶望だ。
しかし、新子の胸の奥で燃える『誇り』の炎は、決して消え去ってはいなかった。
「マウト。わたくしたちの天秤は、まだ折れてはいませんわよね?」
新子が振り返ると、感情を持たないはずの漆黒の死神は、極めて人間くさい、しかし絶対的な忠誠を込めた動作で、深く一礼した。
「肯定します。お嬢様の誇りがある限り、この盾は何度でも立ち上がります」
「……上等ですわ。相手がどんなに美しくても、どんなに強大でも関係ありません。わたくしたちの愛する現世を退屈な色に染めようとするなら……」
反逆の令嬢は、冬の夜空に向かって、これまでで最も気高く、華麗な笑みを浮かべて宣言した。
「――すべての傲慢の衣を剥ぎ取り、丸裸にして差し上げるまでですわ!」
クリスマスの夜、横浜に舞い降りる絶対的な絶望。
世界を白紙に戻そうとする最凶の堕天使ルシファーを迎え撃つため、元・奪衣婆エバと漆黒の死神は、静かに、しかし力強く最後の闘いへの決意を固めたのである。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




