ルシファーの宣戦布告㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
木枯らしがキャンパスの枯れ葉を吹き飛ばす、十二月初旬。
朱鳥女子大学の敷地内は、クリスマスを控えた浮き足立った空気に包まれていた。サマエル、そしてアザゼルという二柱の強力な堕天使によってもたらされた狂乱の記憶は、平穏な日常という名の真綿に包まれ、すでに遠い過去の出来事として学生たちの記憶から薄れつつある。
三号棟の犯罪心理研究サークル部室には、今日も変わらず賑やかな喧騒が響いていた。
「新子! 見てくれよ、このクリスマスケーキのカタログ! 今年のイブは俺が特大のブッシュ・ド・ノエルを買ってきてやるから、菱倉家でパーティーしようぜ!」
玄武大学の太田真喜が、パンフレットを広げてバンバンとデスクを叩きながら鼻息を荒くしている。
「真喜さん、少し静かになさって。……それに、イブの夜は菱倉家の関係者を集めた厳粛な晩餐会がありますのよ。あなたが勝手に押し入る隙などありませんわ」
新子は本革のソファで優雅にハーブティーを傾けながら、冷たくあしらった。
「えーっ! じゃあ、夕子ちゃんたちと一緒にサークルでパーティーしようよ! なっ?」
「ふふっ、私はいいけど。でも、油江教授や鹿沼助教にも予定があるかもしれないし……」
夕子が苦笑いしながらパンフレットを覗き込む。その後ろでは、希海、奈津紀、可代子の三人組が「クリスマスは彼氏とデートだよ!」とはしゃぎ合っていた。
平和で、他愛のない現世の日常。
新子はティーカップをソーサーに戻し、目を細めてその光景を見つめた。彼女の背後に立つマウトもまた、漆黒のスーツ姿で微動だにせず、静かにこの穏やかな時間を守り続けている。
「……お嬢様。対象者『太田真喜』の心拍数が異常に上昇し、カタログの角を無意識に引きちぎっています。フラストレーションの蓄積による暴走の危険性……」
「放っておきなさい。ただのクリぼっち(クリスマスに一人きり)の焦りですわ」
新子が小さく笑みをこぼした、その時。
パーテーションの奥から、コーヒーカップを片手にした油江颯教授が、いつになく真剣な面持ちで姿を現した。彼の後ろには、大量の海外の新聞記事を抱えた鹿沼助教が続いている。
「やあ、若者たち。クリスマスの予定を立てるのも結構だが、少し興味深い話を聞いてくれないか」
油江がホワイトボードの前に立ち、鹿沼助教が新聞記事のコピーを次々と貼り付けていく。そこに踊っているのは、見慣れない外国語の見出しと、奇妙な写真の数々だった。
「教授、これは……?」
希海が不思議そうに首を傾げる。
「ここ数日、世界各地の大都市で同時多発的に起きている異常現象の記録だよ。……ニューヨーク、パリ、ロンドン、そして東京。人々が突然、社会的な地位や財産、家族すらも投げ捨てて、ある特定の『新興宗教』のようなものに帰依し始めている」
「新興宗教? 神代零や忌部薫子の時のように、また悪魔が裏で糸を引いているというのですか?」
新子が表情を引き締め、油江を真っ直ぐに見据えた。
「いや。過去の事件のように、恐怖で支配したり、欲望を煽ったりする手口とは全く違うんだ。彼らは皆、幸福そうな笑みを浮かべてこう証言している。『絶対的な美しさに触れた。もはや人間の創り出した法律や道徳など、あの美しさの前では塵芥に等しい』とね」
油江は一枚の写真を指差した。
それは、パリの有名な美術館の前で、数千人の人々が何かにひれ伏すように祈りを捧げている写真だった。彼らの顔に狂気や恐怖はない。ただ、圧倒的な何かを前にして、自らの存在意義をすべて明け渡してしまったかのような『完全な服従』の表情を浮かべている。
「……恐怖でも欲望でもなく、ただ『美しさ』によって人間を狂わせていると?」
新子の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。
「そうだ。エバ、君は言ったね。真の美しさは魂を磨き上げてこそ光り輝くものだと。だが、もしこの世界に、神すらも凌駕するような『絶対的で暴力的なまでの美』が存在し、それを直接人間の脳に焼き付けられたとしたら……人間は、いとも容易く己の魂を明け渡してしまうのではないだろうか?」
油江の瞳が、狂気的な知的好奇心にギラリと光った。
(神すらも凌駕する、絶対的で暴力的なまでの美……!)
新子の脳裏に、冥界の三途の川で閻魔大王から聞かされた、ある古い伝承が蘇った。
かつて天界において最も美しく、最も力を持っていたとされる最高位の天使。己の美しさと力に絶対の自信を持つがあまり、創造主たる神に反逆し、地獄の底へと堕とされた『傲慢』の象徴。
「ルシファー……」
新子の唇から、無意識のうちにその名が漏れた。
「ルシファー? 堕天使のトップ、サタンのことか?」
真喜が首を傾げる。
「……ええ。サマエルやアザゼルとは格が違います。彼らはただ人間に手段を与え、欲望を煽るだけでした。しかし、ルシファーは違います。彼の存在そのものが、人間から『思考』や『誇り』を奪うほどの絶対的な光(毒)なのですわ」
新子は立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。
冬の澄み切った青空の向こう側に、ぞっとするような巨大な翼の影が揺らめいたような気がした。
「マウト。セトとサラに至急連絡を。世界各地の異常現象の震源地と、その『美』の波長を解析させてちょうだい」
「――了解しました。通信プロトコルを起動します」
ただ事ではない新子の気迫に、サークルのメンバーたちも息を呑んで静まり返った。
その日の夜。
菱倉家本邸の最上階。新子は自室の広いバルコニーに出て、冬の冷たい夜風を浴びていた。
眼下に広がる横浜の美しい夜景。現世の人間たちが創り上げた、温かで愛おしい光の海。
「……アザゼルを退け、少しは平穏が続くかと思いましたのに。随分と気の早い宣戦布告ですわね」
新子が独り言のように呟くと、突然、夜空から純白の羽がふわりと舞い落ちてきた。
カラスの濡れ羽色をしていたサマエルやアザゼルの羽とは違う。それは、まるで穢れを知らない天使のような、透き通るような白さだった。
『――美しい夜景だ。だが、儚く、脆い。現世の光とは、かくも不完全で哀れなものだな』
背後から、頭の中を直接甘く撫で回されるような、美しい男の声が響いた。
振り返らなくともわかる。そこには、新子の絶対的な防衛圏をすり抜け、幻影として顕現した『すべての悪魔の王』が立っているのだ。
「不完全だからこそ、美しく愛おしいのですわ。……あなたのような、自らの美しさに溺れて天界を追放された哀れな迷子には、一生理解できないでしょうけれど」
新子はバルコニーの手すりに背を預け、冷酷なまでに美しい令嬢の微笑みを浮かべて、背後の気配へと振り返った。
夜の闇の中に浮かび上がったのは、直視すれば魂が焼き切れてしまいそうなほどに完璧な美貌を持った、六枚の純白の翼を持つ堕天使の姿だった。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




