学長と理事長の密約㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
夕闇がキャンパスを包み込み、学生たちの姿がまばらになり始めた頃。
朱鳥女子大学の敷地の最奥、木々に囲まれてひっそりと佇む『旧体育館』の裏手に、新子とマウトは音もなく辿り着いた。
「……ひどい悪臭ですわね。カビと鉄錆の匂いに混じって、むせ返るような安物の香水の匂いがプンプンしますわ」
新子はハンカチで鼻口を覆い、不快感に眉をひそめた。
霊視の目を通せば、旧体育館のさらに地下深くから、禍々しい赤黒い瘴気がじわじわと漏れ出しているのがはっきりと見える。サマエルのような電子的な冷たさはない。それは人間の血肉を沸き立たせ、狂暴な闘争本能を煽る、極めて生々しく物理的な『悪意』だった。
「お嬢様。通風孔の奥に、地下空間へと続く隠し扉を発見しました」
マウトが落ち葉に隠された分厚い鉄扉を指差した。
「強力な霊的結界が張られていますが、物理的なロックシステムは戦時中の旧式です。開錠には約三秒を要します」
「開錠などというまどろっこしい真似は不要ですわ。どうせ中にいるのは招かれざる不法侵入者。……派手にノックしてさしあげて」
「――了解しました。物理的突破を実行します」
マウトが長い脚を無造作に振り上げ、分厚い鉄扉の中央に踵を叩き込んだ。
ドゴォォォォンッ!! という凄まじい破壊音と共に、頑丈なカンヌキがへし折れ、鉄扉が内側へと激しく吹き飛んだ。
砂埃が舞う中、開かれた暗い階段を二人は静かに下りていく。
たどり着いた地下の巨大な防空壕跡地――そこは、新子の想像を遥かに超える、異様で悪趣味な空間へと変貌を遂げていた。
「これが、『秘密のビューティーサロン』……」
新子は呆れたようにため息をついた。
コンクリートむき出しの冷たい壁には、不釣り合いなほど豪奢なアンティーク調の鏡が何枚も飾られ、クリスタルのシャンデリアが毒々しい赤い光を放っている。
しかし、高級エステサロンのような調度品に囲まれて陳列されているのは、美を磨くための化粧品だけではなかった。
鈍く光るダガーナイフ、鋭い棘のついた鞭、そして精巧な細工が施された特製のメリケンサック。まるで『拷問器具の展示室』と『化粧室』を悪魔の趣味で混ぜ合わせたような、狂気のショーケースがズラリと並んでいるのだ。
そして、その鏡の前には、十数人の女子大生たちが群がっていた。
彼女たちは皆、虚ろな瞳のまま自らの顔にうっとりと見入りながら、あの『ルビーの香水』を首筋や手首に塗り込んでいる。香水が肌に染み込むたび、彼女たちの皮膚の下で何かが蠢き、異常なほどの膂力と闘争本能が注ぎ込まれていくのがわかった。
「……誰? 私たちの美しい時間を邪魔するのは」
鉄扉を破壊した音に気づいた生徒たちが、一斉に振り返った。
その顔は確かに人形のように整っていたが、瞳孔は赤く充血し、口元には他者を傷つけることを楽しむような、凶悪で歪んだ笑みが張り付いている。
「あなたも、あの方から『力』をもらいに来たの? でもダメよ。一番美しくて、一番強いのは私たちなんだから!」
一人の女生徒が、ショーケースから抜き取った鋭いダガーナイフを手に、獣のような低い唸り声を上げて新子へと飛びかかってきた。華奢な女子大生とは思えない、恐るべき跳躍力とスピードだ。
「マウト。美しいドレスが血で汚れるのは御免ですわ。お掃除を」
「――対象の敵対行動を確認。お嬢様の美を脅かすバグとして、非致死性制圧を実行します」
新子が優雅に一歩下がるのと同時に、漆黒のスーツが残像を残して動いた。
マウトは、空中からダガーを振り下ろしてきた女生徒の腕を、下から柔らかく弾き上げる。凶刃が天井を掠めた一瞬の隙に、彼女の手首を的確に極め、テコの原理でいとも簡単にダガーを奪い取った。
「きゃあっ!?」
そのまま彼女の重心を崩し、床に優しく、しかし絶対に逃げられない角度で組み伏せる。
「くそっ、何よこいつ! やっちまえ!」
仲間が倒されたのを見た他の女生徒たちが、棘付きの鞭や鉄パイプを手に一斉に殺到する。悪魔の血でブーストされた彼女たちの動きはプロの傭兵並みだったが、相手が悪かった。
マウトの動きには、一切の無駄も感情もない。
振り回される鞭の軌道をコンマ一秒で見切り、その先端を素手で掴み取って力任せに引き寄せる。バランスを崩して前のめりになった生徒の首筋に、寸止めの手刀を軽く叩き込んで意識を刈り取る。
次々と迫る凶器を、まるで優雅なワルツを踊るかのような滑らかなステップで躱し、打撃を一切使わずに関節技と神経圧迫だけで次々と無力化していく。
「お嬢様。対象は痛覚を遮断されていますが、身体構造は通常の人間と同じです。制圧は極めて容易です」
わずか一分足らず。十数人の女生徒たちは骨を折られることすらなく、全員がスヤスヤと眠るように床に転がされていた。
「見事な手際ですわ、マウト。……これで、迷える子羊たちの目を覚まさせることができましたわね」
新子がホッと息をついた、その時だった。
「パチパチパチ……素晴らしい。まさか現世の人間の中に、これほど洗練された暴力を体現する者がいるとはね」
サロンの最奥。ビロードのカーテンで仕切られていたVIPルームの奥から、ねっとりとした両性具有のような声が響いた。
ゆっくりと姿を現したのは、長身で痩せこけた、異様な風貌の人物だった。
豪華な赤いドレスを纏っているが、その両腕は人間の肉肉しいそれではなく、冷たい鋼鉄でできた『機械の義手』だった。しかもその義手の指先には、メスやハサミ、注射器といった美容整形や解剖に使う恐ろしい器具が鋭く光っている。
「忌部一族の学長たちが用意してくれたこの極上の工房を嗅ぎつけるとは。……お前が、サマエル様を現世から追い出したという小娘かい?」
「ええ、そうですわ。わたくしがその小娘です」
新子は微塵も怯むことなく、冷ややかな視線をその異形の悪魔へと向けた。
「我が名はバルベリト。美と力の神、アザゼル様にお仕えする『美容と武器の筆頭職人』さ。……サマエル様は臆病で計算高すぎた。人間というものは、もっと直接的な『力』と『外見の美』を与えてやれば、勝手に血を流し合って自滅していくというのにねぇ」
バルベリトと呼ばれた上級悪魔は、チャキ、チャキと金属の指先を鳴らしながら、恍惚とした笑みを浮かべた。
「お前のその完璧な顔立ち……素晴らしい素材だ。どうだい? 私の腕で、その顔にもう少し『殺傷能力』を足してやろうか?」
「……お断りしますわ」
新子は冷たく吐き捨て、右手に紫色の光を集束させた。
圧倒的な神威を伴って、天冥石が埋め込まれた鈍色の杖が実体化する。
「自らの魂を磨く努力を怠り、他者を傷つけるための凶器や、悪魔の血で着飾るだけの虚飾。……そんなものは『美』でも何でもありません。ただの醜い現実逃避ですわ」
新子は杖の先端を、傲慢に嗤う上級悪魔へと真っ直ぐに向けた。
「レディの美容を妨げ、美しさの意味を履き違えた薄汚い職人さん。……あなたのその悪趣味な工房ごと、わたくしの天秤で完全にスクラップにして差し上げますわ!」
旧体育館の地下に隠された狂気のサロン。
アザゼルの眷属たる上級悪魔と、元・奪衣婆エバの、美と誇りを懸けた華麗なる死闘が、いよいよ幕を開けようとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




