摩天楼のバベル㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
翌日の昼下がり。朱鳥女子大学のキャンパスは、昨夜の惨劇が嘘であったかのように、穏やかな冬の陽光に包まれていた。
「新子ちゃん! 本当にありがとう!」
中庭のベンチで紅茶を飲んでいた新子の元へ、大崎夕子が弾むような足取りで駆け寄ってきた。彼女の顔には、昨日までの深い不安の影はすっかり消え去り、安堵の笑みが浮かんでいる。
「後輩の子、今朝無事にアパートに戻ってきたの。警察から連絡があって、詐欺グループのアジトに監禁されていたところを助け出されたんだって。……ショックで詳しいことは覚えてないみたいだけど、怪我もなくて本当に良かった!」
「そうですの。それは何よりでしたわね」
新子はティーカップを優雅に傾けながら、微笑みを返した。
「きっと新子ちゃんが、菱倉家のすごい力を使って警察を動かしてくれたんでしょ? 本当に、新子ちゃんには感謝してもしきれないよ」
「ふふっ。わたくしはただ、少しばかり知人に電話をかけただけですわ。彼女自身が悪運を跳ね返す力を持っていたのでしょう」
新子が事もなげに言うと、背後に彫像のように直立していたマウトが、微かに唇を動かした。
「――お嬢様の身体的疲労の蓄積と、霊力行使によるカロリー消費量を計算。昨夜の『電話』は、極めて物理的かつ破壊的なプロセスを伴っていたと記憶していますが」
「マウト。後であなたの中央処理装置に、激辛のペッパーソースを流し込んでショートさせて差し上げますわよ」
新子が扇子で口元を隠しながら低い声で凄むと、マウトは「味覚センサーは未搭載のため、ペッパーソースによる機能不全のリスクは……」と呟きながら、スッと一歩後ろに下がった。
「ボディガードさん、今日も相変わらず無口でかっこいいですね!」
夕子が無邪気に笑う姿を見て、新子は胸の奥に温かいものが広がるのを感じた。
この平和で、他愛のない現世の日常。スマートフォンの画面の向こうに潜む匿名の狂気から、友人たちの愛おしい笑顔を守り抜くことができた。
しかし、休んでいる暇はない。元凶である『悪魔の王サマエル』を完全にフォーマットするまでは。
「夕子。わたくし、今日はこれから少し野暮用がありますの。午後の講義のノート、後で写させていただけますかしら?」
「うん、任せて! 気をつけてね、新子ちゃん!」
夕子に手を振り、新子はマウトを引き連れて大学の正門に待たせていた菱倉家の黒塗りベンツへと乗り込んだ。
行き先は、横浜中華街の裏路地にある中華飯店『鳳凰』だ。
「……やはり、事態は一刻を争うようです」
鳳凰の地下VIPルーム。
円卓にホログラムのモニターを展開したセトが、険しい表情で切り出した。
「エバさんが昨夜、トクリュウのアジトで破壊した端末から逆探知した結果、悪魔の王サマエルの本体は、みなとみらい地区の超高層ビル『バベル・タワー』の最上階……そこにある巨大なメインフレーム・サーバーの中に潜伏していることが確定しました」
「サーバーの中に潜伏? 悪魔がデータにでもなったっていうのかい?」
サラが愛用の杖を弄びながら、訝しげに眉をひそめる。
「その通りです。サマエルは人間の肉体という不便な器を捨て、自らの霊体を電子信号へと変換し、サイバー空間のネットワークそのものと『同化』しようとしています。……もし完全に同化が完了すれば、彼は世界中のスマートフォンやパソコンを通じて、数百万人の人間に同時に『呪い』をばら撒くことができるようになります」
「数百万人の人間を、同時に洗脳して狂暴化させる……」
新子は息を呑んだ。
それは、現世の秩序が完全に崩壊することを意味している。誰もが他者を疑い、自らの強欲や怠惰のままに略奪を繰り返す、生き地獄の到来だ。
「そんなこと、絶対に許しませんわ。……同化が完了するまでのタイムリミットは?」
「ネットワークの異常なトラフィックの増大から推測するに、明日の深夜零時。……あと約三十時間後には、同化率が百パーセントに達します」
セトの言葉に、VIPルームの空気が重く沈み込んだ。
「乗り込んで、そのメインフレームごと物理的に破壊するしかありませんわね」
新子が凛とした声で宣言すると、セトはタブレットを操作し、バベル・タワーの立体図を空中に投影した。
「それが一筋縄ではいきません。バベル・タワーは最新鋭のインテリジェントビルであり、そのセキュリティは軍事施設並みです。無数の監視カメラ、生体認証ゲート、そして重武装の警備ドローン。さらに厄介なことに、サマエルの瘴気がビルのシステムと融合し始めているため、サイバー空間と物理空間の両方で『悪魔の結界』が張られています」
「正面から力ずくで突入すれば、最上階に辿り着く前にビルの防衛システムと悪魔の眷属にすり潰されるってわけだね」
サラが忌ま忌ましげに舌打ちをした。
「それに、メインフレームを物理的に破壊しただけでは、サマエルの核を完全に浄化したことにはなりません。エバさんの神具で、サマエル自身の魂を引きずり出し、裁きの天秤にかける必要があります」
「……ならば、スマートに潜入して、王様の玉座のすぐ目の前まで近づいて差し上げるまでですわ」
新子は不敵な笑みを浮かべ、円卓の上に両手をついた。
「バベル・タワーは、IT企業が多数入居している商業ビルでもありますわよね。明日の夜、最上階へのアクセスルートが開かれるような『隙』はありませんの?」
「隙……」
セトはキーボードを叩き、スケジュールを検索した。
「……ありました。明日の午後八時から、バベル・タワーの六十階にある展望レセプションホールで、タワーを所有する巨大IT企業『オメガ・システムズ』の新作発表記念パーティーが開催されます。政財界のトップや有名人が多数招待される、極めて大規模なものです」
「素晴らしいですわ」
新子は扇子を広げ、口元を隠しながら妖艶に微笑んだ。
「オメガ・システムズの社長といえば、菱倉商事とも取り引きのある成金のおじ様ですわね。わたくし、菱倉家の令嬢として、そのパーティーに堂々と出席させていただきますわ」
「なっ……! エバさん、また自ら囮になるおつもりですか!?」
セトが慌てて立ち上がる。
「囮ではありませんわ、華麗なる正面突破です。パーティーの喧騒に紛れて六十階まで上がり、そこから最上階のメインフレームまで、セキュリティの裏をかいて一気に駆け上がります」
「――お嬢様の提案は、敵の密集地帯への単独降下を意味します。生存確率が極めて低く、護衛対象の安全確保の観点から強く反対します」
マウトが一歩前に出て、氷のような声で進言した。
「単独ではありませんわ。マウト、あなたもわたくしの『専属ボディガード兼エスコート役』として、タキシードを着て同行しなさいな。あなたのその物理的排除能力があれば、警備ドローンなど恐るるに足りませんわ」
「……了解しました。戦闘用タキシードの調達および、礼装状態での近接格闘プロトコルをダウンロードします」
マウトが即座に引き下がると、サラが呆れたように笑い出した。
「ははっ、本当にあんたたち主従は見ていて飽きないね! わかったよ、あたしとセトはビル外からネットワークのハッキングを行い、警備システムと悪魔の結界にバックドアを仕掛ける。エバたちが最上階に到達するための『道』を作るよ!」
「ええ、頼りにしていますわ、サラ、セト」
新子は立ち上がり、自信に満ちた令嬢のオーラを放った。
「サイバー空間の王様だか何だか知りませんけれど。現世の愚かさを嘲笑い、人間の魂をデータのように使い捨てるその傲慢さ、わたくしが根こそぎフォーマットして差し上げますわ!」
決戦の舞台は、横浜の空にそびえる摩天楼。
悪魔の王サマエルのネットワーク同化を阻止するため、元・奪衣婆エバと漆黒の死神は、眩い光と狂気が渦巻く高層のパーティー会場へと足を踏み入れる。
現世の命運を賭けた、タイムリミット付きの華麗なる潜入ミッションが、いよいよ幕を開けようとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




