闇夜の廃倉庫と狂気の駒㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
狂気に染まった若者たちが、鉄パイプやモンキースパナを振りかざし、四方八方から一斉に襲いかかってきた。
彼らの瞳の焦点は完全に合っておらず、口からは「殺す……家族が……」と、呪文のようなうわ言が漏れている。悪魔の呪いによって恐怖と痛覚を完全に麻痺させられた、文字通りの『狂戦士』の群れだ。
「マウト!」
「――演算完了。全対象の制圧プロセスに移行します」
新子の声に応じ、マウトは漆黒の残像を引いて敵陣のど真ん中へと跳躍した。
真っ先に振り下ろされた鉄パイプを、マウトは半歩のすり足で完全に躱す。同時に、男の腕に自らの腕を絡ませ、流れるような合気道の要領で円を描き、背後に迫っていた別の若者へと激突させた。
ドゴッという鈍い音と共に二人が転倒するが、マウトはすでにそこにはいない。
彼はまるで精密な歯車のように動き続けた。
殴りかかってくる拳の軌道を僅かに逸らし、手首の関節を極めて床に這わせる。背後からの掴みかかりには、重心を崩して一本背負いで軽々と宙を舞わせる。
打撃は一切使わない。骨も折らない。ただ徹底的に相手のバランスを奪い、関節を制圧し、神経の急所を的確に圧迫して意識をシャットダウンさせていく。
「お嬢様。対象のペインコントロール(痛覚遮断)により、物理的な疲労蓄積が機能していません。非致死性制圧を維持した状態での完全無力化には、あと百二十秒を要します」
次々と若者たちを床に転がしながらも、マウトは乱れ一つない呼吸で淡々と報告した。
「百二十秒もかけたら、彼らの脳が呪いの負荷で焼き切れてしまいますわ!」
新子はマウトの背後に守られながら、若者たちの手の中で毒々しく赤紫色に発光し続けているスマートフォンの画面を睨みつけた。
悪魔の王サマエルは、あの端末を『アンカー』として、サイバー空間から直接彼らの魂に呪いを送り込み続けているのだ。
(ならば、その不快なアンカーごと、わたくしの天秤で叩き割って差し上げますわ!)
新子の右手に紫色の光の粒子が猛烈な勢いで収束し、天冥石が埋め込まれた鈍色の杖が実体化した。
彼女が杖の石突きでコンクリートの床を鋭く叩いた瞬間、倉庫内の空気がビリビリと震え、紫色の強烈な霊波が放射状に広がった。
『……無駄だ。元・奪衣婆の小娘よ』
突如、若者たちが持っていた二十台のスマートフォンのスピーカーから、ノイズ混じりの不気味な合成音声が一斉に響き渡った。
『我が呪いはサイバー空間の至る所に偏在している。現世の愚かな人間どもが、手軽な金や娯楽を求めてこの小さな画面に依存し続ける限り、我が軍団は無限に増殖する。……お前がいくら物理的に端末を壊そうとも、この匿名の狂気は決して止まらん!』
「あら、随分とスケールの大きな引きこもりですこと」
四方から響く悪魔の王の嘲笑に対し、新子は一切怯むことなく、完璧な令嬢の冷笑を浮かべて言い返した。
「安全な匿名の壁の向こうに隠れ、自らは手を汚さずに、追い詰められた若者たちの小さな弱みにつけ込む。……それは『強欲』や『怠惰』よりもさらに卑劣な、底なしの『怯懦』つまり臆病ですわ!」
『なんだと……!?』
「顔も名前も出せない臆病な王様。あなたのその薄汚いネットワークごと、わたくしが丸裸にして差し上げますわ!」
新子が杖を水平に薙ぎ払った。
天冥石から放たれた紫色の瘴気が、無数の鋭い刃となって空を斬り裂く。
その刃は、若者たちの肉体には一切触れることなく、彼らが握りしめていたスマートフォンの画面だけを、寸分の狂いもなく正確に射抜いていった。
パキィィィィィィンッ!!!
二十台のスマートフォンの液晶画面が、一斉に砕け散る澄んだ音が倉庫に響き渡った。
ガラスの破片がキラキラと舞い散る中、端末から漏れ出していた赤紫色の呪いの光は、新子の放った紫色の浄化の炎に包まれ、チリチリと音を立てて完全に燃え尽きた。
『オノレェェェッ! 我が端末が……!』
スピーカーから聞こえていたサマエルの怨嗟の声も、ノイズと共にプツリと途絶えた。
呪いのリンクを断ち切られた若者たちは、憑き物が落ちたようにピタリと動きを止め、次々と糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちていった。
「……ふう。これで一丁上がり、ですわね」
新子は小さく息を吐き、杖を光の粒子に変えて消滅させた。
激しい霊力を行使した反動で軽い目眩を覚えたが、背後に控えていたマウトが、そっと新子の背中を支えた。
「お嬢様。全対象の呪縛状態の解除、およびバイタルサインの安定を確認しました。任務完了です」
「ありがとう、マウト。あなたがいなければ、彼らを無傷で救うことは不可能でしたわ」
新子が微笑みかけると、床に倒れていた若者たちが、ポツリポツリと意識を取り戻し始めた。
彼らは自分たちの手にある砕けたスマートフォンと、転がっている監視役の男たちを見て、困惑と安堵の入り混じった涙を流し始めた。
「あ……あれ……? 私、何を……?」
その中の一人、夕子の後輩である少女が、ふらふらと身を起こした。
「もう大丈夫ですわよ。悪い夢は終わりました」
新子が優しく声をかけ、トレンチコートのポケットから真っ白なハンカチを取り出して彼女に手渡した。
「あなたたちは、匿名の悪意に利用されかけただけの被害者です。……でも、これからは『手軽で美味しい話』には裏があるということを、しっかりと肝に銘じて生きていくことですわ」
「は、はい……! ありがとうございます、本当に……!」
少女がハンカチを握りしめて泣き崩れるのを見届け、新子はインカムのスイッチを入れた。
「セト。こちらの掃除は終わりましたわ。警察への匿名の通報と、彼らの保護の手配をお願いします」
『了解しました、エバさん。見事な手際です』
通信機越しに、セトの興奮した声が響いた。
『……それと、朗報です! エバさんが彼らのスマートフォンを破壊する直前、呪いのリンクが最大化した一瞬の隙を突いて、こちらのプログラムでパケット通信の逆探知に成功しました!』
「本当ですの!? あの引きこもりの王様の居場所が分かったのね?」
『はい。海外のダミーサーバーを何重にも経由していましたが、物理的な最終発信源は国内です。……横浜・みなとみらい地区にそびえ立つ、超高層インテリジェントビル『バベル・タワー』。その最上階のメインフレームです』
「バベル・タワー……」
新子は、倉庫の割れた窓から見える、横浜の煌びやかな夜景の方向へと視線を向けた。
天を衝くようにそびえ立つそのビルは、最新鋭のIT企業が多数入居する、現世のサイバーテクノロジーの結晶とも言える場所だ。
「神に近づこうとして崩壊した塔の名前を冠するなんて、いかにも傲慢な悪魔が好みそうな玉座ですわね」
新子は不敵な笑みを浮かべ、夜風にトレンチコートを翻した。
「さあ、帰りますわよマウト。明日は忙しくなりますわ。……サイバー空間の王様を、玉座から力ずくで引きずり下ろすための、極上のハッキング・パーティーの始まりですわ!」
見えざる手によるトクリュウの脅威は、一つの拠点を潰したことで一時的に後退した。
しかし、悪魔の王サマエルとの真の決戦は、みなとみらいの摩天楼の最上階で彼らを待ち受けている。
元・奪衣婆エバの華麗なる神罰は、いよいよ現世の電脳の海を支配する最深の闇へと切り込んでいくのだった。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




