闇夜の廃倉庫と狂気の駒㈠
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
潮風が錆びた鉄の匂いを運んでくる、深夜の横浜港・工業地帯。
街灯もまばらなその一角に、周囲から隔絶されたようにひっそりと佇む巨大な廃倉庫群があった。そのうちの一棟、窓ガラスが割れ、外から見れば完全に打ち捨てられているように見える第六倉庫の前に、漆黒の影が二つ、音もなく降り立った。
「……酷い悪臭ですわね。潮と鉄の匂いだけではありません。人間の恐怖と、それを食い物にして肥え太る悪魔の放つ、吐き気を催すような腐臭がプンプンしますわ」
新子は、深夜の工業地帯には到底似つかわしくない、仕立ての良い黒のトレンチコートの襟を立てながら、不快そうに鼻先をハンカチで覆った。
彼女の隣では、闇に溶け込むような漆黒のスーツを着こなしたマウトが、氷のような瞳で倉庫を静かにスキャンしている。
「お嬢様。赤外線および霊的エネルギーの探知を完了しました。倉庫内に、生体反応が二十三名。うち数名から、極めて攻撃的なアドレナリンの分泌を確認。残りの大半は、著しい恐怖状態、あるいは精神が空洞化した異常なバイタルを示しています」
「やはり、ここに夕子の後輩の女の子も……。あの忌ま忌ましい『闇バイト』の駒として集められた若者たちが監禁されているのね」
新子は鋭い視線を倉庫の重厚なシャッターに向けた。
インカムから、離れた場所でバックアップを行っているセトの声が届く。
『エバさん。倉庫の周囲の監視カメラ映像は、こちらで完全にループ映像に差し替えました。外部への通信もジャミングをかけて遮断しています。彼らは今、完全に孤立しています』
「ご苦労様、セト。……さあ、少しだけ中の様子を拝見させていただきますわよ」
新子はマウトに合図を送り、シャッターの脇にある小さな通用口の隙間から、倉庫の内部を覗き込んだ。
薄暗い裸電球だけが灯る広大な倉庫の中には、異様な光景が広がっていた。
コンクリートの床に直座りさせられているのは、十代後半から二十代前半と思われる、およそ二十人ほどの若者たちだった。彼らの顔には生気がなく、まるで電池の切れかけたおもちゃのように虚ろな瞳で、一人一台ずつ手渡されたスマートフォンの画面をじっと見つめている。
スマートフォンの画面からは、新子の霊視でしか捉えられない、毒々しい紫色の光(呪い)が放たれ、若者たちの前頭葉へとダイレクトに流れ込んでいた。
「お前ら! 今日のタタキ(強盗)のターゲットはここだ。逃げようとしたり、警察にチクったりしたらどうなるか……分かってんだろうな?」
若者たちの前で、金属バットを片手に威圧的に怒鳴り散らしているのは、安っぽいジャージやスウェットを着た三人の男たちだった。彼らがトクリュウの末端の監視役なのだろう。
「お前らの身分証も、実家の住所も、全部こっちで握ってんだよ! バックれたら、お前らの家族がどうなるか……。さあ、スマホの指示通りに動け! 金庫の開け方と住人の縛り方は、さっき教えた通りにやれ!」
男たちの怒声と脅迫。そして、スマートフォンの画面から流れ込む悪魔の呪い。
『手軽に稼げる』という甘い言葉に騙されて集まった若者たちは、逃げ場のない恐怖で思考を停止させられ、さらに悪魔の呪いによって「やってしまえ」という狂暴な衝動を強制的に植え付けられていた。
恐怖と呪いによる二重の洗脳。普通の若者が、一瞬にして凶悪な強盗犯へと作り変えられる、おぞましい『加工工場』の実態がそこにあった。
「……あの子ですわ」
新子は若者たちの中に、夕子に見せてもらった写真と同じ顔の少女を見つけた。彼女もまた、涙の枯れ果てた目でスマホの画面を見つめ、小刻みに震えている。
「マウト。状況は把握しましたわ」
新子は隙間から視線を外し、トレンチコートのポケットに両手を入れたまま、令嬢としての冷酷なまでの威厳を漂わせて振り返った。
「安全な匿名の陰に隠れて若者を使い捨てにする悪魔も、それに加担して偉ぶっているあのアウトロー気取りのチンピラどもも、わたくしの最も嫌いな『美学のないクズ』ですわ」
「――対象の脅威度判定を更新。全員を『お嬢様の不快感の元凶』としてロックオンしました」
マウトが首をコキリと鳴らし、両腕を軽く下ろした。
「ええ。ノックは不要です。あの見苦しいシャッターごと、派手に開け放ってさしあげて!」
新子が冷ややかに命じた、次の瞬間。
ドォォォォォォンッ!!!
深夜の工業地帯に、爆発でも起きたかのような凄まじい轟音が響き渡った。
倉庫の入り口を塞いでいた分厚い鋼鉄のシャッターが、マウトの放った蹴り一発で紙切れのようにへし曲がり、内側へと激しく吹き飛ばされたのだ。
「な、なんだぁっ!?」
「爆発か!?」
土煙と轟音に、監視役の男たちが悲鳴を上げて腰を抜かした。
洗脳状態にあった若者たちも、あまりの衝撃にスマートフォンの画面から顔を上げ、呆然と入り口の方を見つめる。
もうもうと舞い上がる粉塵の中。
コツン、コツンと、優雅なヒールの音を響かせながら、一人の美しい令嬢が静かに歩み出てきた。彼女の背後には、圧倒的な死の気配を纏った漆黒のボディガードが、彫像のように付き従っている。
「深夜に失礼いたしますわ。……随分と空気の悪い、底辺の皆様のお茶会ですこと」
新子は冷たい冬の夜風で黒髪をなびかせながら、完璧な令嬢の微笑みを浮かべて見渡した。
「な、なんだお前らは! どこから入ってきた!」
「お巡りじゃねえな……同業者か!? ぶっ殺せ!」
パニックから立ち直った監視役の男たちが、血走った目で金属バットやナイフを構え、一斉に新子へと襲いかかってきた。彼らもまた、間接的に悪魔の瘴気に当てられており、異常なほどの攻撃性を発揮している。
「マウト。ゴミがわたくしのドレスを汚さないよう、綺麗に掃き清めなさいな」
「――了承いたしました。物理的排除プロセスを開始します」
マウトが音もなく床を蹴った。
金属バットを振り下ろしてきた先頭の男の懐に一瞬で潜り込むと、その手首を掴んで流れるような動作で捻り上げる。男が苦痛の悲鳴を上げる間もなく、マウトは的確に膝裏を蹴り抜き、男をコンクリートの床へと沈めた。
「この野郎っ!」
ナイフを振りかざして飛びかかってきた二番目の男の腕を、マウトは涼しい顔で弾き飛ばし、その勢いを利用して男の襟首を掴み、三番目の男へとボーリングのピンのように投げ飛ばした。
一瞬の出来事だった。
監視役の三人は、骨を折られることすらなく、ただマウトの絶対的な制圧術の前に意識を刈り取られ、ピクピクと痙攣しながら床に転がっていた。
「……す、すごい……」
「何が起きたんだ……?」
座り込んでいた若者たちが、信じられないものを見るような目で新子たちを見上げている。
「さあ、哀れな操り人形の皆様。あなたたちのくだらない『闇バイト』は、本日をもって強制終了ですわ」
新子が若者たちに向かって告げた、その時だった。
『……指示に従え。逃げるな。目の前の女を殺せ。殺さなければ、お前たちの家族が死ぬ……』
若者たちが握りしめていたスマートフォンの画面が、一斉に不気味な赤紫色にフラッシュし始めた。
トクリュウの首魁――サイバー空間の向こう側に潜む『悪魔の王』が、自らの駒を奪われまいと、端末を通じて直接的な呪いの強制上書きを行ったのだ。
「あ、あああ……!」
「殺さなきゃ……殺さなきゃ俺たちが……!」
若者たちの瞳から再び理性の光が消え失せ、代わりに獣のような凶暴な光が宿った。彼らはフラフラと立ち上がり、周囲に転がっていた鉄パイプや工具を手に取り、ゾンビの群れのように新子とマウトを取り囲み始めた。
「厄介ですわね。恐怖と悪魔の呪縛が、完全に彼らの理性を焼き切ろうとしていますわ」
新子は鋭い視線で、若者たちの手にあるスマートフォンを睨みつけた。
元凶はあの端末だ。あの小さな画面を通じて、悪魔の王は彼らの魂に呪いのコードを送り込み続けている。
「マウト! 彼らはただの被害者です、絶対に傷つけてはなりませんわよ! わたくしがあの呪いのリンクを断ち切るまで、全員を無傷で押さえ込みなさい!」
「――難易度の上昇を確認。しかし、お嬢様の命令を最優先事項として実行します」
感情を持たない死神の瞳が、無数に迫り来る狂気の群れを冷静に捉えた。
匿名の狂気と、冥界の絶対的な盾。
見えざる手によって操られる若者たちを救い出すための、容赦なき浄化の戦いが火蓋を切った。
X(Twitter)でも連載しています。
https://x.com/TakumiFuji2025
魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




