トクリュウの影㈡
傲慢な悪魔の嘘、天秤で丸裸にしますわ!元・奪衣婆令嬢の華麗なる無双劇
朱鳥女子大学の旧館最上階。
犯罪心理学研究室の重厚な扉を開けると、そこには淹れたてのブラックコーヒーのほろ苦い香りと共に、ホワイトボードの前に立つ油江颯の姿があった。
ボードには、横浜市内の地図と、数枚の現場写真、そして見知らぬ若者たちの顔写真が複雑な相関図のように貼り出されている。
「お待ちしていましたわよ、教授。随分と物騒なパズルを広げていらっしゃるのね」
新子がソファに優雅に腰を下ろすと、背後のマウトは油江を『潜在的な危険要素』として視線でロックオンし、静かに直立した。
「いらっしゃい、エバ。……今日の君は、一段と研ぎ澄まされた美しい目をしているね。まるで、見えない敵の匂いを嗅ぎつけた猟犬のようだ」
油江は眼鏡の位置を中指で押し上げ、知的な瞳を妖しく光らせた。
「レディを猟犬呼ばわりするなんて、相変わらずデリカシーというものが欠如していますわね。……それで? 連続強盗事件の実行犯たちが、スマートフォンから『逆らえない声』を聞いたというのは本当ですの?」
「ああ。県警の知人から特別に回してもらった調書の内容だ」
油江はタブレット端末を操作し、実行犯たちの顔写真をモニターに拡大表示した。どこにでもいるような、ごく普通の大学生やフリーターの若者たちだ。
「昨夜、横浜市内の高級住宅街で立て続けに発生した三件の強盗事件。犯人たちは防犯カメラの存在など一切気にせず、窓ガラスを叩き割り、住人を力任せに縛り上げて金庫を奪っていった。……まるで、恐怖心や躊躇いといった『人間としてのブレーキ』が完全に外れているかのようにね」
「素人の若者が、そこまで凶悪な犯行を? いくらお金に困っていたとしても、異常ですわね」
新子が眉をひそめると、油江は深く頷いた。
「そこなんだよ、エバ。彼らは逮捕された後も、罪悪感や恐怖を一切見せていない。ただ虚ろな目で『スマホの画面から、絶対に逆らえない声が聞こえた』『頭の中に直接、やれという命令が響いた』と繰り返している。……これは、君が以前に関わったメンタルクリニックの事件や、新興宗教の信者たちと全く同じ、異常な『精神の空洞化』状態だ」
油江の指摘に、新子は心の中でギリッと奥歯を噛み締めた。
やはり、間違いない。
教団や学生会を失った悪魔の王サマエルは、今度はサイバー空間の匿名性を隠れ蓑にし、SNSを通じて若者たちに直接『呪い』をばら撒いているのだ。スマートフォンの画面を見るだけで、人間の心に潜む小さな強欲や怠惰を強制的にブーストさせ、理性を焼き切って凶悪犯罪の駒として使い捨てる。
(なんという悪辣で、そして合理的な手法……! 直接姿を見せない分、以前の事件よりも遥かにタチが悪いですわ!)
「教授。その指示を出している黒幕……トクリュウの首魁は、全く足取りを掴ませていないのですね?」
「ああ。指示はすべて海外のサーバーを経由した匿名通信アプリで行われ、実行犯同士も全く面識がない。任務が終わればアカウントは即座に消去される。……見事なまでの『見えざる手』だよ。警察のサイバー犯罪対策課も、完全に後手に回っている」
油江はソファの背もたれに寄りかかり、新子をじっと見つめた。
「だが、私にはわかる。ただの心理的誘導や洗脳で、普通の若者をここまで即席の『怪物』に変えることは不可能だ。この事件の背後には、人間の精神構造を根本から書き換えるような、未知の……そう、オカルトめいた『力』が働いている。……君なら、その正体に心当たりがあるんじゃないのかな、エバ?」
油江の瞳には、犯罪心理学者としての狂気的なまでの探求心が渦巻いていた。彼に真実を語るわけにはいかない。
「……オカルトめいた力だなんて、教授らしくない非科学的な推論ですこと」
新子は完璧な令嬢の仮面を被り、フンと鼻を鳴らした。
「彼らはただ、匿名の集団心理と、スマートフォンの画面という狭い世界に依存しすぎたことで、現実とゲームの区別がつかなくなっているだけですわ。……人間の心は、環境次第でいとも簡単に怪物に成り下がる。教授がいつも教えてくださる心理学の基本でしょう?」
新子の流れるような嘘に、油江は数秒間沈黙し、やがて喉の奥で低く笑った。
「くくっ……。君のその完璧な論理の防壁、いつ見ても惚れ惚れするよ。だが、君のその目は『私がすべてを裁いてやる』と語っている。……エバ。現世の法で裁けない相手に、君がどう立ち向かうのか、特等席で見せてもらうとしよう」
「ご自由にどうぞ。……では、わたくしはこれで失礼いたしますわ。レディには、野蛮な強盗よりも優先すべき『私用』がありますので」
新子は立ち上がり、マウトを引き連れて研究室を後にした。
旧館を出て、人目のない中庭の裏手へと回ると、新子はすぐにスマートフォンを取り出し、セトへの暗号化通信を繋いだ。
『はい、セトです。エバさん、油江教授との面会は終わりましたか?』
「ええ。やはり連続強盗事件の背後には、悪魔の王サマエルの気配が濃厚ですわ。……それよりセト、先ほど送った夕子の後輩のアカウント情報、解析は進んでいまして?」
『……ちょうど今、結果が出たところです』
セトの声が、いつになく緊張感を帯びていた。
『エバさんの霊視の通り、彼女のスマートフォンに送られてきたメッセージには、極めて高密度の精神干渉エネルギー……悪魔の呪いがエンコードされていました。そして、彼女のスマートフォンのGPSシグナルを追跡した結果、現在、横浜港近くの工業地帯にある、廃倉庫群の一つで信号が途絶えています』
「廃倉庫……。間違いなく、闇バイトの『受け子』や実行犯たちを集めるアジトですわね」
新子の瞳に、冷徹な執行官としての青い炎が燃え上がった。
『エバさん。その廃倉庫周辺の防犯カメラの映像をハッキングしましたが、複数の不審なワンボックスカーが出入りしています。おそらく、今夜も新たな犯行グループがそこから送り出されるはずです』
「相手はただのチンピラではありませんわ。悪魔の呪いで恐怖を完全に奪われた、狂暴な操り人形の群れ……」
新子は背後を振り返り、彫像のように控える漆黒の死神を見上げた。
「マウト。今夜は少し、激しい運動になりそうですわよ」
「――対象の脅威度を再計算。お嬢様の命令とあれば、いかなる狂気も物理的に粉砕します」
マウトの氷のような声に、新子は満足げに微笑んだ。
「セト、サラにも伝えてちょうだい。これより、元・奪衣婆エバと専属ボディガードは、トクリュウのアジトへと単独潜入を開始します。……匿名の陰に隠れて若者を使い捨てる臆病な王様の尻尾、わたくしが力ずくで引きずり出して差し上げますわ!」
平和な現世の裏側で、電脳の海を通じて蔓延する新たな悪意。
姿なきトクリュウのネットワークを破壊し、友人の後輩を救い出すための、華麗で危険な夜のミッションが、今幕を開けようとしていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




